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時間間隔がなくなるコロナ禍で。

オンライン授業も2週目に入り、ただ家にいるだけの大学生に戻った実感が湧いてきた今日この頃。

「コロナになってなんか変わった?」

初回授業でよく聞かれることだ。ZOOM飲みをしていると「なんか意外と変わらないで普通に生活できちゃってるわ」ってオチになる。ある友達が「思い出を写真で保存しているからスクロールしてスマホのアルバムをさかのぼっても、全然写真がないことによくわからない焦りと不安を感じている」という話はちょっと分かるかもしれないと思った。

移動がなかったり、友達との予定、ごはん等のイベントがない分、ただただ毎日が過ぎていくような感覚になるというのはみんなで共感し合っている。

私も深夜2時~3時就寝、午前11時~午後1時起床、午後5時~6時に昼寝をするという10時間以上の睡眠という今までこんなに寝たことはないだろうという生活を繰り返している。

時間間隔がなくなることに対して日々をだらだら過ごしている罪悪感があったけれど、今日一日を振り返ってみると意外といろんなことをして、いろんな感情が起きていることに気づいた。

TO DO LISTは減点方式、DONE LISTは加点方式

ツイッターで見かけたDONE LISTとやら、私もやってみた。

たまにTO DO LISTを一日の始まりに書くこともあるけど、機能したことは皆無で一日の最後に見返して「あ、できなかったな~(ポイッ)」ってなってしまう。

というか、私は基本的に自分のやりたいことができることに対して多すぎるのだ。全然終わらない。できなかったTO DO LISTをポイッとしつつも心の中ではあぁ、今日もできなかったとため息をつく。

その点、このDONE LISTは加点方式なので自己肯定感が上がる。今日なにしたっけな~と思い出してなにもしていない一日など実はなかったことに気づく。

人生はビックなイベントではなく、日常の何気ない積み重ねだと伊坂幸太郎が言っていたので、平凡な一日を過ごしたことを私は忘れたくない。と、いう理由で始めたほぼ日手帳はたまに空欄な日がありながらも意外と続いている。

何気ない今日の話

ということで、需要はないだろうけど私のために今日あったなにもしてなさそうで意外としている一日を記す。

9時半起床

予定があったので早起き。目覚めから10分後に布団を出るという偉業を成し遂げた。いつもこのぐらいの時間に一瞬目が覚めるが、予定がない日は二度寝、三度寝をしてやっと正午に起きだす。原因は深夜2時まで起きてスマホやらパソコンをいじっているからだ。夜ブルーライトをしっかり浴びた瞼は、朝2tくらいの重さになり開けることが至難の業になる。(例のごとくnoteを書いてる深夜3時半)あと低血圧で朝体が全然動かないのも言い訳としてある。動かそうとゆっくり動かしているうちに動きが止まり、そのまま再び眠りに落ちてしまうのだ。

予定本命の郵便局に行き、郵便局が10時開店と知ったので近くのスーパーにこの前切れていた爽バニラ味を買いに行く。そして郵便局に到着したのが10時ぴったり。10時ぴったりについたのがとてもうれしかった。

帰宅すると、久しぶりの早起きに母親に驚かれつつも、朝ごはんの前に爽を食した。歩いてちょっと溶けた爽ほどおいしいものはない。しかも前回食べたい時に売り切れていたのでその我慢の分もあり、おいしさは2倍である。

11時

羽生結弦にしか興味がない母親が「殿、利息でござる!」を録画していて一緒に見ようよと言ってきた。テレビでやっていたので時間大幅短縮に母は不満気気味。映画ラストシーンにやっと母がこの映画を進めた理由が分かった。仙台藩藩主役が羽生結弦だったのだ!!やはり母は羽生結弦にしか興味がない。

13時

映画を見終え、父にクリーニングに出した洋服の回収を手伝ってほしいと言われたのでついていった。「江戸時代はみんなお上のことを気にしないで町人も商人も勝手に生きてるよなあ。」と父が映画をあまり見ていないのに感想っぽいことを言ってきた。

たぶん記憶があまりないが、家に帰ってきてから19時くらいまで寝たあとにごはんを食べて友達とテレビ電話をした。

一昨日、昨日とつながる今日、そして明日

ここ最近で見ると今日はとても活動した一日だった。2日前、雷雨で雷がひどく、雨もひどかった日があった。その日はゼミがあり、11時~14時ぶっつづけで講義を受けた後、爆睡した。本当にゼミしかしなかった一日だった。

さすがに1日24時間があって、ゼミの3時間くらいしか活動の記憶がないというのは時間を無駄にしているとしか思えなくて自分でもため息が出た。

しかし、このただ時間を過ごしている日々は時として新しい発見ももたらす。たとえば、今日の空はすがすがしいほど透き通っており、外に出て散歩したい気分になった。雷雨の日、本当に何もする気がおきず、そのあとの晴天で今日はめちゃめちゃ活動したい!!という気持ちのギャップがあった。自分が天気でこんなにも影響されるとは、コロナ禍の新しい発見かもしれない。

留学を経て発見したゆったりする価値観

もし留学前に、コロナで家から出ることを制限される生活になっていたことを想像すると、きっととても焦っただろう。大学生最後の年なのに、大学に行って図書館を使えない、授業の内容を先生に直接質問できない、友達と会えない、バイトができない、会社の雰囲気が分かりづらい中での就活。普段できていたことと比べて、いまできないことに視点がいって焦っていたかもしれない。

でも留学中、シドニーで土日に近くのカフェに行ってコーヒーをゆっくり飲みながら、お客さんや店員さん、窓から見える風景、行きかう人たちをぼーっと見ていたらふと感じること、思うこと、気づくことがあった。

大学3年の留学前の私は予定はぎゅうぎゅうにつめて、友達とたくさん会ったり、興味ある外部セミナーに行って知識を吸収したりしていた。忙しい毎日は楽しくて刺激も多かったが、休みがないとただこなしていってしまうようになって、その刺激も感じにくくなってしまっていた。


ていねいに生きる。

ということの大切さをオーストラリアで学び、当面の目標にしている。

ていねいに生きる、とは「自分の小さい感情に向き合っていくこと」だと今日思った。感情には波があり、起伏がある。泣いたり、笑ったり、自分の顔の表情に現れるのは大きい感情だけだ。それは外から見ても分かる。

だけどその瞬間に消えていってしまう小さな感情は自分でも気づきにくい。感じた10秒、1分後には自分でも忘れていく。さざ波みたいに。


その小さい感情に向き合うことこそ、しっかり生きることなのではないかなぁと思う。


雷雨の日に3時間しかちゃんと活動しなかったこと、でも次の日の晴天だった時は、朝起きて晴れてる!ってうれしくなって起きた瞬間に窓を全開にしたこと。奇妙な言い方かもしれないけど、私という同じ人間は日々によって別人になる。

「STAY HOME」おうち時間は、いままで適当に付き合っていた自分とやっとちゃんと付き合えるチャンスなのかもしれない。

DONE LISTを書いて日々の自分を記録して、怠惰になってしまう自分と、でもそのなかで動いた小さな感情としっかり向き合っていきたい。




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