見出し画像

7.毎日の幸せの瞬間と人生で幸せと感じるときは一致しているか?

最近DMM英会話をはじめた。
ランダムなトピックについて話し、今日のテーマは幸せについてだった。
テーマごとにいくつかの質問があって、それを答えていくような形式でレッスンはすすんでいく。

その中で面白い質問を見つけたのでnoteで掘り下げてみたいと思う。

あなたにとって人生で幸せだったときと毎日の幸せを説明せよ

読んでる人にもぜひ考えてもらいたい。

まず1問目。
Describe the happiest moment of your life.
(あなたの人生でいちばん幸せだった時を説明してください。)

読みすすめるのをやめて、1分くらいゆっくり考えてほしい。


〜〜〜〜〜〜答えが見つかったら読みすすめてね〜〜〜〜〜〜〜〜



見つかりましたか?

では2問目。
Describe the happy moments you experience every day.
(あなたが毎日経験する幸せな瞬間を説明してください。)

これについても1分くらい考えてほしい。



〜〜〜〜〜〜答えが見つかったら読みすすめてね〜〜〜〜〜〜〜〜


どうでしたか?
人生で一番幸せだと感じるときと、毎日幸せだと感じるときはなにかの親和性をもってましたか?

親和性をもってるあなた。素敵だと思います。その毎日を積み重ねることで、人生も間違いなく幸せになっていくと思います。

時間を浪費してしまっているかもしれない


この質問をなぜ面白いと思ったのかというと、
Describe the happiest moment of your life.
➔長期的な視点(人生)であなたが幸せになること

Describe the happy moments you experience every day.
➔短期的な視点(一日)であなたが幸せになること

この質問が自分が一日をちゃんとよく使えたか?ということを気づかせてくれる良い質問だと思ったからです。

私の場合、1問目の「人生であなたが幸せだったこと」は、
・友達や家族と一緒においしいごはんをたべる時間
・自分がだしたクリエイティブに対してなにかしらの反応をもらったとき
でした

2問目は、
・美味しいものを食べること
・インスタでKPOPアイドルやかわいい女の子を見ること
・Netflixで韓ドラやアニメなどおもしろい作品を見ること
でした。

2問目が結構大事な問いだと思っていて、瞬間的に私を幸せにしてくれることは、その日振り返ったときに本当に私にとって幸せをもたらしてくれたことだったか?ということを考えると、100%賛成はできないのです。

わたしは甘いものがすきで、目の前においしそうなものがあったらすぐ食べちゃうし、ダイエット中でも我慢するのが本当に苦手です。甘いものを食べてるその瞬間は幸せでも、食べすぎてあとで気持ち悪くなったり、ニキビができたりすると、あ〜食べ過ぎちゃったな、と落ち込みます。

インスタでかわいい子を見るのも、その子たちのヘアスタイルやメイクをインプットする、というていで見ていて、その時間はとても楽しいのですが、これも1分だけが3分になり、15分になり、気づいたら1時間になってたりします。
Netflixもおもしろいアニメを見終わったあとにはリコメンドされるアニメやドラマをただダラダラ見る時間があります。

こんなふうに最初は自分がやりたくてやっていたとしても、中毒症状のようにやめられなくなってしまったとき、私はそのことに対してかなり罪悪感をいだきます。

SNSの開発者は、人間の報酬システムを詳しく研究し、脳が不確かな結果を偏愛していることや、どのくらいの頻度が効果的なのかを、ちゃんとわかっている。(中略)
このような企業の多くは、行動科学や脳科学の専門家を雇っている。そのアプリが極力効果的に脳の報酬システムを直撃し、最大限の依存性を実現するためにだ。金儲けという意味で言えば、私たちの脳のハッキングに成功したのは間違いない。

「スマホ脳」(アンデシュ・ハンセン)より

インターネットサービスが顧客獲得のために、人間の行動心理や脳科学の専門家を雇って開発していると「スマホ脳」にはかかれています。

果たして、私がNetflixやインスタで感じているのは自分が本当に感じている幸せなのか?それは誰かに作られた幸せの形をしたような全くの偽物ではないのか?

長期的な幸せを日々の幸せに結びつけること

自分が感じている瞬間的な、けれど最後には罪悪感になってしまう日々の幸せをどうやったら本物の幸せにできるのか。

その答えが長期的な幸せのための一歩一歩の積み重ねを日々の幸せに落とし込むことなのではないかなと思いました。

たとえば、私の場合、
「自分がだしたクリエイティブに対してなにかしらの反応をもらったとき
でした」
が人生で感じた幸せだったことなので、毎日少しずつでもなんかしらのアウトプットを行うこと。

「友達や家族と一緒においしいごはんをたべる時間」であれば、自分で料理をつくって、家族と食べたり、ちゃんとおいしいごはん屋さんを調べて友達と行く、であったり。

自分が人生でなにが幸せだったか、その幸せに紐づく行動を毎日したい。
そしてその行動が日々の幸せに紐付いていたらそれはとてもよい方向に人生が好転していくなと思いました。

英語の勉強をしていて思うのですが、やっぱり英語の勉強は地味です。特に基礎の英文法を勉強しているときは本当に終わりが見えなかったりこれで本当にしゃべれるようになるのかなあ、と自分で自分の行動を疑ってしまってそれもしんどいです。
だけど、英会話でなんとなく前までうまく言えなかったことが、今日はこの文法を使って言えるようになった、とか、ほとんど使えない文法を無理やり使うことができた、とか、そういう小さな成功体験・ゴールまでの過程を楽しめる人が勉強をやめないで続けて成果を出せているんだなあと思います。

だから長期的な幸せと短期的な幸せがつながってないなと思うのであれば、結果だけでなく、小さな成長の過程を楽しむ、そしてそれを小さな幸せとして変換していくことが良いのかなと思います。

誰かに作られた幸せじゃなくて、ちゃんと自分の幸せに向き合っていきていきたいです。
人生も、毎日も。


毎日を大切にしたくなる言葉をおいておきます。

人生は要約できねえんだよ。人ってのは毎日毎日、必死に生きてるわけだ。
つまらない仕事をしたり、誰かと言い合いしたり。
そういう取るに足りない出来事の積み重ねで、生活が、人生が、出来上がってる。だろ。
ただな、もしそいつの一生を要約するとしたら、そういった日々の変わらない日常は省かれる。
結婚だとか離婚だとか、出産だとか転職だとか、そういったトピックは残るにしても、日々の生活は削られる。地味で、くだらないからだ。
でもって「だれそれ氏はこれこれこういう人生を送った」なんて要約される。
でもな、本当にそいつにとって大事なのは、要約して消えた日々の出来事だよ。それこそが人生ってわけだ。』

「モダンタイムス」(伊坂幸太郎)より

人が生きているうちの大半は、人生じゃなくて、ただの時間、だ。

「死神の精度」(伊坂幸太郎)より


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?