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月下の逢瀬

見上げると月が朱い。

私は月に向かって願いを投げた。「救えぬのならば殺せ」と。月は何も答えず。その真円から血を流す。溢れでた朱色がモノクロームの世界を染めてゆく。

喪失が私を責め立て、無力感が私を嬲った。後悔に首を締められ遠のく意識。未練が死を断ち切り、空になった肺に赦しを吸い込む。深呼吸をして意識が明確になると、そこは見知らぬ街だった。

何かに呼ばれたような気がして、石畳の街路を駆け抜けてゆく。無数の耳朶が貼り付いた看板。読経し続ける口唇。虚ろな眼に睨まれながら、崩れかけた廃墟に飛び込んだ。元はホテルか何かだったのだろう。ロビーの残骸が残る広々とした空間に、びっしりと彼岸花が咲いていた。

私の目が涙に濡れる。そして問う。「なぜ貴女は逝ってしまったのだ」と。揺らぐ朱がざわめきを返し、懐かしい声が鼓膜を震わせた。虚ろな眼が廃墟の壁に記憶を映す。読経を止めた口唇は記憶を語り始める。忘れていたわけではない。忘れたふりをしていただけだ。急速に熱を帯びる感情。呼応するかのように彼岸花が揺らめく。それを合図に月から流れ出た血は、吸い込まれるように月へと帰っていった。

見上げると月は白く輝いている。夜の帳が下りている。公園のベンチに座り、ただ空を眺めていた。春の終わり。私は彼岸を彷徨う。意地汚くも此岸に帰る。とこしえの愛を誓いながら、その愛を裏切り続け此岸に留まっている。あの日。共に逝けばよかったのか。月は答えてくれない。だから再び彼岸を彷徨う。貴女に逢うために。貴女の手を握る為に。

彼岸花は何も言わず。
ただただ揺れていた。

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