文化の日に思ったこと

 11月3日は文化の日ということもあって、文化について考える6名ほどの少人数による座談会に参加した。普段話をする人もいたが、あまり話したことがない人や全く話したこともない人もいて緊張してしまった。トピックは「(地元)盛岡に文化はあるか」。事前に聞いていたこともあって少し考えてから臨んだが思ったようにしゃべれなかった。やはり言葉や文脈を共有していない人とはじめて話すことは非常に難しい。それに加えてある程度文化の定義もせずにスタートしてしまったことが反省される。また改めて反省を生かした形で話し合ってみたいと感じた。

 文化という言い方は非常に大きなものを含む。なのでここではそれぞれの土地に住む人々の生活の中まで広く浸透している食文化や伝統文化(祭りなど)を端的に「文化」と呼ぶこととし、そこに含まれるより時代的で局所的な新しい文化、それを「カルチャー」と呼ぶことで使い分けたい。そのうえで私が関心を持っているのは次の点だ。

 まず一つ目。都市と地方のカルチャーについて。より素朴に想像するにカルチャーは都市部を中心に生まれているように感じる。はたしてカルチャーとは往々にして都市のものなのか、その場合地方でカルチャーはどのように生まれ存在することができるのか。

 二つ目は前節と関連したことで、カルチャーと人口の関係について。カルチャーの生成と人口の多さが相関関係にある場合、地方にはカルチャーが生まれにくい、少ない、弱いと考えるしかないのか。

 以上の二つは、単純に都市/地方という二項対立図式でカルチャーをとらえたときに、後者は常に都市部の模倣、コピー、あこがれという形でしかカルチャーを想像できないのだろうかという問いである。

 そこから発展して三つ目はカルチャーの内側と外側の問題。カルチャーが組織化やメンバーシップ化することにより、排他的になっていくことで縮小し自滅してしまうような事例をどのようにとらえるか。カルチャーの発生のメカニズムに注目し、それを当事者と外にいる他者という関係性から考えてみたい。

 四つ目はカルチャーの持続性と発達とその速度について。カルチャーが消費され、飽きられ、消えていく、それに抗うにはどのようなことが可能なのかを考えたい。

 大まかだが、以上のような問いから今後カルチャーについて考えてみたいと思う。地方に住む一市民である私にとって、少しでも自分の住む地域が楽しく面白い場所になるよう、その一端を担えれば幸いである。


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