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軽井沢安藤美術館 設計クロニクル 1:予想外のご依頼

一級建築士事務所・株式会社ディーディーティーの武富と申します。

先日(2023年10月8日)、ぼくが設計した軽井沢安東美術館は開館一周年を迎えました。
この美術館は代表理事の安東泰志さんと奥様の恵さんが20年あまりの歳月をかけて収集した、藤田嗣治の作品だけを展示する私設美術館です。
一周年を機に、美術館ができるまでのプロセスを、設計者の視点から記録しておきたいと思います。

2022年10月8日オープン当日の安東泰志さん(右)と武富(左)

初めて安東さんから美術館の構想を伺ったのは、「軽井沢しらかば会」という、軽井沢に別荘を持つ人々の交流会の席上でした。
2018年の晩秋のことです。

安東さんはファンド会社・ニューホライズンキャピタルの会長で、経営が傾いた企業の再生事業に長年取り組んでこられた方です。
専攻も学年も違いますが、安東さんとぼくは同じ大学出身なので、やはり軽井沢を拠点とする同窓生の集い「軽井沢赤門会」でも面識がありました。
さらに、安東さんは軽井沢のインターナショナルスクール、UWC ISAK Japanの監事もつとめておられ、ぼくが時折その理事団から建築に関するご質問・ご相談をいただいていたという繋がりもありました。

そのように複数の接点はあったものの、それまであまり個人的な会話を直接交わしたことがなかった安東さんと、偶然、その秋の「しらかば会」5周年記念パーティーでは、共通の知人である堀内勉さんと3人で立ち話になったのです。

東京ステーションホテルで開催された、「しらかば会」5周年起点パーティー

森ビルCFOの堀内さんは『読書大全 世界のビジネスリーダーが読んでいる経済・哲学・歴史・科学200冊』などの著書でも知られる、博識な方です。

安東さんの構想をすでにご存知だった堀内さんが「軽井沢の美術館、どうなりました?」と尋ねたところから、美術館の話題になりました。
ぼくも美術館やアートには人一倍興味があるので、好奇心のおもむくまま安東さんにお尋ねしました。
「どんな美術館ですか?」「藤田嗣治です」
「設計はどなたが?」「銀行に紹介してもらったゼネコンに頼む予定です」

ここで、ぼくは僭越ながら少し「もったいない」と思ってしまい、「建築家をご紹介しましょうか?」と申し出ました。

もちろんゼネコンは総合的な技術力を駆使して、きちんとした建物を設計・施工してくれるでしょう。

しかし有名な建築家に依頼すれば個性的な美術館が実現するはずで、都市部より集客が難しい地方美術館にとって、「スター建築家が設計した」という付加価値のメリットは少なくないと思います。

そんなお話をして、会合後すぐにぼくのネットワークでご紹介できる有名建築家数名と代表作のリストをお送りし、一週間後にあらためて安東さんのオフィスまでご説明に伺いました。

後日、この話をすると、みなさん「ご自身も設計者なのに、なぜ自分を売り込もうとしなかったの?」と驚かれます。
ぼくは、「しらかば会」のようなコミュニティは、直接仕事を獲得する場所ではなく、主にご縁を育み、様々な業界で活躍する方々の考えを学ぶ機会と捉えています。
また、自分がリストアップした建築家が藤田嗣治の美術館を手がけたら、どんな作品が出来上がるだろう?
ひとりの建築好きの人間として、その作品を見てみたいという好奇心もあり、ご提案させていただいたのです。

安東さんの会社でひととおりご説明した後に返ってきたのは、はからずも、「妻とふたりでリンク先の建築家たちの作品を見ましたが、武富さんにお願いしたいと思います」とのお言葉でした。
ぼく自身の実績は何一つお見せしていないにも関わらずです。
まさに青天の霹靂で、大きな驚きで茫然とした後、安東夫妻の懐の深さに対する尊敬と感謝の念が全身に広がりました。

依頼予定だったゼネコンの設計業務はまだスタートしていなかったので、今回は施工だけを担当していただき、設計はぼくの事務所、株式会社ディーディーティーで請け負うことになりました。

25年(当時)の設計キャリアの中で、住宅から大規模なコンベンションセンターまで様々な建築に関わってきましたが、「個人」美術館の設計は初めてです。
安東さんも投資ファンド、企業再生の世界では第一人者ですが、美術館の設計の発注や、美術館運営は初めての試みです。
お互いに手探りの部分もあるものの、せっかくいただいた機会、力を尽くしてお応えしようと強く心に誓いました。

つづく


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