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小説「お絵かきとおしゃべり」(1) 滴一滴
こんにちは。DDDPの中倉です。
今回は滴一滴さんによる小説「お絵かきとおしゃべり」をお送りします。
こちらの小説は現在、全六回での連載を予定しており、毎週木曜日が更新予定日となっております。お楽しみに!
・・・あらすじ・・・
会社員・岡崎睦武(おかざきむつむ)は絵を描くことを趣味としていたが、ある日突然、全く書けなくなってしまう。鳴海真菜華(なるみまなか)へそのことを相談すると「日記を書いてみてはどうか」という提案が。友人との会話、公園での出来事、そして、真菜華のおしゃべり――様々な思い出を通じて、岡崎は少しずつ、自分の輪郭を取り戻していく。
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1・2018年11月13日
突然……本当に突然、僕は絵が描けなくなった。
といっても、腕が折れたとか、病気になったとか、そういうことではなくて、自分の『描きたい』という気持ちを、上手く紙へ乗せることが出来なくなった、ということだ。
だからもちろん、写生はできる。けれどそれによって満足感が得られるかといえば、そんなことは全く無かったし、それ以外の手法で描こうとすると、さっぱり筆が進めることができなかった。
テーマを変えてみたり、画材を変えてみたり、描く場所を変えてみたり……その他にも色々な方法を試したけれど、どれも無駄だった。
周囲の人間へ相談したこともある。
でも、およそほとんどの人間から返って来た助言は、どこかピントのずれたものばかりだった。
「別にいいじゃないか。お前は画家じゃないんだから。あんまり重く考えるなよ。また時間が経てば描きたくなるさ。それまで焦らず待てばいい。お前は真面目すぎるんだよ」
確かに僕は画家ではないから、絵が描けないからといって収入が減るわけではないし、将来絵を描くことによって生計を立てたい、という野望を持っているわけでもない。
でも、だから何だというのだろう?
僕は、僕の内側に巣食い、暴れている『絵を描きたい』という欲望の『吐き出し方』が分らなくて、困っているのだ。
絵を描きたい。でも描けない。
その欲望は捨てられないし、別のモノでも満たされない。
ランニング、ボルダリング、映画や音楽の鑑賞、料理に読書、その他にも色々なことをやってみたけれど、『絵を描きたい』という共鳴音が、僕の内側から消える気配はまるでない。
いつだったか、何かの映画で『乳の張った母親が、うまく搾乳できずに苦しむ』というシーンを見たことがある。
もちろん、そこに自分を重ねることはあまりにも安直だし、もしかしたら女性から反感を買うかもしれないことは承知しているが、しかし当時よりも今の方が、そのシーンに感情移入できることは確かだ。
2・2018年8月23日のことについて
絵が描けなくなった僕へ「日記でも書いてみたら?」という助言をくれたのは、鳴海真菜華だった。
うだるような蒸し暑さの満ちた、八月の末のことだ。
その日、僕たちは渋谷にあるハワイアンのレストランで夕食を取っていた。
その店を選んだのは真菜華だった。友人から教えてもらったから行ってみたい、と彼女が誘ってくれたのだ。
ハワイアンのレストランに入るのは初めてだったので、メニューのチョイスは彼女に任せた。彼女はさほど時間をかけずにメニューを読み通すと、店員を呼び、ガーリックシュリンプとサラダ、ロコモコ、そして生ビールを二つ注文した。
生ビールとガーリックシュリンプは、わりと早くに出てきた。乾杯した後、僕はガーリックシュリンプを一尾つまみ、それを齧った。けれどどうやら、その様子がよほど退屈そうに見えたらしい。真菜華は呆れたような笑みを浮かべ、僕にその理由を尋ねた。
当時、絵が描けなくなったことについて、僕はまだ彼女に相談していなかった……というか、出来なかった。僕はそのことを、何故か彼女に対してだけは負い目のように感じていて、恥ずかしく、とても相談する気になれなかったからだ。
だから、僕は彼女への相談を、先送りにし続けていたし、レストランで彼女に問いただされても、僕はしばらくの間、その相談をためらっていたのだけれど、
「ビールを美味しく飲みたいの」
という彼女の言葉に観念して、僕は少しずつ、喋り始めた。
そして、すっかり白状し終えた僕へ彼女が提案したのが「日記」だった。
「日記? ブログとか、そういうこと?」
彼女はビールをジョッキの半分まで一気に飲み干し、気持ちよさそうなため息をつくと、ほんの少しだけ虚ろになった瞳で僕を見た。
「や、そうじゃないよ。別にそっちの方が手軽でいいっていうなら止めないけど、私としては普通に、昔ながらの日記を書いてみたらいいんじゃないかな、って思ってる。
あ、でも、今日からかかさず日記をつけろって意味じゃないよ? そうじゃなくて、これまでの経緯を記した「過去の日記」を書いたらいいんじゃない? って意味。
っていうのはね、ツム君はさ、色々なことを、わりとややこしく考えるタイプの人間じゃない? で、これまでそういう話って私にしてくれたこと無いけど、ツム君は自分なりに何かしらの理由を用意して絵を描いていたんだと思うんだけど……あ、もしかしてこれって、私の考えすぎ?」
「いや、そう……だと思うよ、多分ね。ちゃんと言葉にしたことは無いけど……」
「よかった。……うん、今ツム君も言ったけど、その「ちゃんと言葉にしたことは無い」っていうのを、ちゃんと言葉にしてみたら? って思うわけ。
ツム君はさ、自分が絵を描くことの意味や目的を、最初は無意識に理解していたんだと思うんだよね。でも、途中からそれを見失っちゃったんじゃないかな。
つまり、絵を描くことが予想以上に楽しくなっちゃったせいで『絵を描くこと自体が目的』になっちゃったんだと思うんだ。で、楽しいからドンドン描いていくわけだけど、夢中で描いてるから『そもそもの目的』から少しずつ逸れてしまって、ふと気がつくと、全然見覚えのない森の中へ迷い込んでしまった……とまあ、そういう状況なんじゃないかな、って思うんだよね」
「だから、目的を見直したり、これまでの道を辿るという意味で、日記を書いてみろ、ってことか。なるほどね。でも、どうしてそういう風に思うの? つまり、何故僕が森に迷い込んでいるように見えるのかってことだけど……」
彼女は笑い、首を振った。
「そんなの、絵を見てれば分かるよ。最初に見せてくれたような、のびのびとした線が、最後に見せてくれた絵ではガチガチなってたし、色だって見るからに苦しそうだったもん。
もしかしたら、ツム君はそれを『試行錯誤の跡』だって思っているのかもしれないけど、私からしたらそれは『焦りと苦悶の表情』にしか見えないよ」
「それはまあ……そうかもしれないけど……」
「あ、でもさ、一つだけ言っておくけど、私は何も『私は何故絵を描くのだろうか?』だとか『絵を描くことの意味とは何だろうか?』っていう風に、生真面目に考えろっていうわけじゃないよ? 多分、そういう方向で考えちゃうと、色々とドツボにはまっちゃうんだと思うんだよね。
もちろん、ある程度自分の考えが固まったら、そういう論文っぽいスタンスで考えてもいいとは思うんだけど、とりあえずはもっと敷居の低い『日記』っていうスタイルでやってみればいいんじゃないかな、って思うわけ。
だからまあ『絵を描き始めたきっかけって、なんだっけ?』くらいの軽いノリでいいんじゃないかな。
それにツム君の『絵を描き始めたきっかけ』が何なのか、個人的にも知りたいし、その時に書いてある文章が論文みたいに硬い文章だったら、面倒でしょ?」
「え、なに、日記は君に提出しなきゃいけないの?」
「あはは、冗談よ、冗談」
真菜華はひらひらと掌を振って笑うと、ジョッキに残ったもう半分のビールを飲み、近くの店員を呼んで、そのお代りをオーダーした。
彼女がひらひらと掌をふるのは「ここで話は終わり」というサインだった。僕はそれに従い、そこで相談を終えた。
人生初のハワイ料理ついては、残念ながら曖昧な記憶しかない。それなりに美味しかったとは思うのだけれど、逆に言えばそれなりの美味しさでしかなかったのだろう。
ただ、そのときに――というのはつまり、彼女のお代りのビールが届き、仕切り直しの意味も込めて、二度目の乾杯したときに飲んだ――ビールが、目が覚めるような美味しさだったことは、今でもはっきりと覚えている。
とまあ、そういった理由で、僕はこの日記を書いている。
彼女の提案から、実際に描き始めるまで、ずいぶんと時間がかかってしまった。今日は11月13日。あのうだる様な蒸し暑さは、いつの間にかどこかへ去り、代わりに肌寒い風と枯れた木の葉が辺りを舞っている。
さて、それでは早速始めよう。
まずは二年前の九月のことから。
つまり、絵を描き始めたきっかけになる、あの日のことから。
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