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小説「お絵かきとおしゃべり」(3) 滴一滴

滴一滴さんの小説、第3回をお送りします。
第2回はこちらです。併せてご覧ください。

・・・前回までのあらすじ・・・
主人公・岡崎睦武(おかざきむつむ)は大学を卒業後、生活雑貨を扱う会社に社内SEとして入社。その新人歓迎会で、大学時代の同期である真嶋伸司(まじましんじ)が営業部門に配属されていることを知る。その後、岡崎と真嶋は徐々に親睦を深めていくが、真嶋は働き方や人生に違和感を覚えて退社を決意。しかし、退社当日、真嶋は交通事故に遭って死んでしまう。
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3.1 2018年11月30日 
必然と蓋然と偶然、そして過去と現在と未来について

恥ずかしい話だけれど、最近になって「蓋然」という言葉の存在を知った。
その意味は、簡単に言えば『偶然と必然のあいだ』ということらしい。

そんなもの、言葉にする必要があるのかな、と思わないでもないけれど、辞書に載っているということは、やっぱり一定数の規模で、どこかで誰かが使っている、必要な概念なのだろうな、とも思う。

でも、それ以前に、偶然とか、必然とかって、一体何なのだろう?

これは、日記を書き始めたことで改めて直面した問題の一つだ。昔からぼやんと疑問には思っていたけれど、僕は日記を書くことで、割と真剣に、その問題について考えるようになった。

それについて、絶対的な回答があるとは思わない。十人十色の言葉よろしく、誰もがそれぞれに解釈を持つだろう。けれど、とりあえず現時点での、僕の頭を絞って出た解答としては、必然は過去に、偶然は未来に、そして蓋然は現在に宿るのだろう、ということだ。

例えば過去を振り返るとき、僕たちはそれを一本の線として見出すことができる。紆余曲折のある過去であろうと、平々凡々とした過去であろうと、それらが一本の線であることには変わりない。

実際、過去は一本の線である、と感じている人は多いはずだ。調査をしたわけではないけれど「すべては必然だった」という言葉の存在が、その何よりの証拠となるだろう。

他方で未来はどうか。

恐らくは多くの人が「未来は偶然という名の、無数の道に開かれている」と感じているのではないだろうか。

もちろん、未来に対して明確なビジョンを持ち、それを根拠に「未来を必然で構築することは可能だ」と考える人もいるかもしれないけれど……恐らく、それは勘違いだ。

どれだけ論理的に未来を予想したとしても、どれだけ綿密に目標へのステップを構想したとしても、どれだけ実現へむけて努力したとしても、それはある程度の確率を孕んでいるし、それを拒否することは決してできない。

将来設計やそのための努力が大切であることには僕も同意するけれど、それが確率的な偶然性を締め出し必然性を帯びることは、決して無い。

例えば、僕たちはあらゆる事故に出逢う確率を、放棄することができない。

そしてその事故には、実に様々なラインナップが用意されている。交通事故や病気といったネガティブなものから、出会いや状況の変化、そして宝くじに当たることに代表される幸運まで、本当にありとあらゆる事故が、この世には存在している。

もし事故という言葉で理解が難しければ、別の言葉に置き換えてもいい。アクシデント、ハプニング、イベント、出来事、岐路……それに類する言葉は本当に沢山あるけれど、とりあえず僕は、そういった事故に出逢う確率を「偶然」と呼ぶことにしている。

つまり、僕たちは偶然という確率的な現象に遭遇する権利を持っているし、持たされている。そして、偶然という存在へ開け放たれた窓口は常に開かれ、それを閉じることは決してできないのだ。生きている限り。

さて。
前述のとおり現在から過去を見た場合、そこには一本の道筋が浮かび上がる。それはその形態から、必然という言葉で言い表される。他方で現在から未来を見た場合には、偶然という窓口を通して、無数の道筋へ分岐しているように見える。

そういう視点に立ってみれば、恐らく現在は、無数の可能性の束として見えるのではないだろうか。すなわち、これまでの必然が枝分かれし、これからの偶然へと転化を遂げるその瞬間……恐らくはそれこそが、蓋然という言葉の正体なのだろうと、僕は思っている。

そして――これは全くの副産物であり、もしかしたら日記愛好家(?)の方々には自明のことなのかもしれないのだが――日記というのは、そういった時間の手触りを教えてくれる格好のツールである、ということを最近になって初めて知った。

日記の中では、時間は流れない。既に時間が流れ終わった、過去のことを書くからだ。ただし、時間が流れない代わりに、僕たちがその中を動いて眺めている。昔、美術館に展示された何かの絵巻物を見たことがあるけれど、そういった絵巻物を返す返す見て、その様子を書き留める、というような感覚に近いかもしれない。

記憶という絵巻物を上手に文章にすることは難しいが、その中を自由に行き来し、つぶさに観察してみたり、違う角度から観察してみたりする、というのはとても面白く、興味が尽きない。

この日記を書き始めたきっかけは、前にも書いた通り、鳴海真菜華に勧められたからだけど、日記を書き続けられているその裏には、多分、そんな理由が存在しているんだろう。

なんとなくだけれど、そんな気がしている。

3.2 2016年11月、公園での出来事について

真嶋が死んでから日常が戻ってくるまで、一週間とかからなかった。
いや、僕自身に関していえば、彼の葬儀に出た翌日から、極めて平静に、日常生活を送っていた。

もちろん、そんな僕を怪訝に思う人間は少なくなかった。
例えばIT部の人間がそうだった。

あれだけ仲が良かった同僚が死んで、何故平然と業務を行うことができるのか……直接そう言われたことは無かったけれど、口よりも多くを物語る彼らの視線が、そのような感情の矢を僕へ突き立てていた。

それは、それなりに不快な経験だったけれど……でも、結論から言えば、そのような状況は長くは続かなかった。
忙しさが全てを打ち流していったからだ。

あらゆる納期が差し迫っていた。やるべきことは膨大で、ぐずぐずしている暇はどこにもなく、皆が徐々にその事実へ気がついていった。

そしていつしか彼らは僕に構うことをやめ、自らの業務へと戻っていった。

ある日突然、小野寺部長が「大丈夫なんだな」と僕に声をかけてきた。
僕は「大丈夫ですよ」と答えた。
それでお終いだった。

IT部には再び、そして完全に、日常が舞い戻り、室内には怨念を込めたような激しいタイピング音が響き始めた。


当時はあまり分かっていなかったけれど、恐らく僕は真嶋の死を、悲劇的な出来事というよりも、むしろ衝撃的な出来事として捉えていたのだと思う。

そしてその衝撃が、僕の中の何かを壊したことは確かだ。

『何かの崩壊』に対して危機感をいち早く表明したのは、僕の奥底に眠る本能だった。

本能は『僕』という意識を体から引きはがし、その指示系統を半ば強引に奪い取った。そして僕の体は、本能の指示のもと、健全な日常を送るよう邁進していったのだ。

そう。僕はそのときに初めて、僕の体が、決して僕だけのものではないということを痛感した。

それまで僕は『僕』について認識するとき、その範囲を身体と精神を含めた、総合的な存在として認識していたのだけれど、それは間違いだったのだ。そうではなくて『僕』という存在はあくまでも『僕という意識』意味にすぎず、そしてそれは本能によって身体の指示を委任されているにすぎない。

例えて言うならば、僕という意識は、岡崎睦武という人間の、身体の運営を任せられている『雇われ店長』であり、そして僕の体たらくに痺れを切らした本能という名の『オーナー』が、僕を謹慎処分にし、自ら身体の運営に乗り出してきた、ということだ。

そういったわけで、僕はあらゆる自由を奪われていた。

悲しみや虚無感を抱いていても、それを発露するための回路は遮断されていた。どうやら本能は、そういった諸々の感情を、身体活動を阻害するもの、負の感情を増幅するもの、生命に危機をもたらすもの、として判断していたらしい。

僕は心の中で対流を続ける感情に溺れつつ、朧げな意識の中で、何を考えるでもなく、視界を通して外の世界を眺め続けていた。

他方で僕の身体は、朝早くに起き、出社し、帰宅したら夕飯を食べて、無為に夜更かしをすることもなく床に就く……という、絵にかいたような、極めて健康的な生活を送っていた。

そんな風に自分を眺めるというのは、とても不思議な気分だった。
時折、三人称の視点で自分の体を動かす、という夢を見ることがあるけれど、そういった感覚に近いかもしれない。

動いているのは確かに僕で、そこは確かに現実なのだけれど、そこにどうしても緊張感を持つことができない……そんなぼんやりとした薄い膜が、僕に纏わり、何かを痺れさせているような感覚だった。

休日になると、本能は僕を、散歩へ出かけさせるようになった。
本来であれば、本を読んだり、映画を観たりというのが僕の休日の過ごし方だった。けれど本能は、家の中でじっとしているよりは、外で体を動かしている方がましだ、と判断したのだろう。

時間もコースも手当たり次第で、退屈な場合もしばしばあったけれど、地元の新たな風景を発見することも少なくはなく、自分の意志とはほぼ無関係に進む散歩は、何か新しいアトラクションにでも乗っているような気がして、意外に楽しかった。

自宅から北側へ1時間ほど歩いたところに公園を見つけたのは、散歩を初めて二か月が経とうかという、11月も半ばのことだった。

残暑は完全に過ぎ去り、秋の息吹も残り僅かであろうことが、肌で感じられた。いくつかの木は赤や黄色の葉をつけ、いくつかの木はそういった葉を手放し始めていた。

その公園は、小高い丘の上にあった。丘の頂上からは周囲の住宅地と、近くを流れる川が見えた。さほど広い公園ではなく、遊具の数も多くなかった。ブランコと鉄棒と滑り台。それでおしまいだ。近所に住んでいるらしい家族が数組いて、各々が持ち込んだおもちゃやフリスビーで遊んだり、レジャーシートを広げて弁当を食べたりしていた。

少し歩き疲れていた僕は、ベンチへ腰を下ろした。

空はよく晴れていて、穏やかに吹く風がとても気持ちがよかった。風で擦れる枝や葉の音、どこかで小さく鳴いている鳥のさえずり、そして子どもたちのはしゃぐ声が、そこに流れる音の全てだった。

こんなところで本を読めば、さぞかし気持ちがいいだろうな、と思った。ポケットには部屋の鍵と財布だけが入っていた。携帯は家の充電器に刺しっぱなしだった。僕は特に何を考えるでもなく、ただぼーっとそのベンチに座っていた。

そんな時だった。

「や、や、いいよ、別に」

それは老人の声だった。

見れば、少し離れたところで、少女と老人が問答している。

「良くないわよ。ガツンといってやるんだから。ヒサさんは、そういう所がダメなのよ」

「や、いやいや、ね。ダメとか、そういうことじゃなくてね。ここはみんなの公園なんだから。それに今日は日曜日だしね……」

そう言って肩へ手をかける老人に、少女は憤然とした表情で首を振る。

「駄目よ。公園だろうが日曜だろうが、ひえらるきぃは、守らないと!」

彼女は肩にかけられた老人の手を振り払うと、ずかずかと音を立ててこちらへ迫り、両手を腰にあててふんぞり返った。

7、8歳だろうか。正確なところは分からないが、小学校の低学年であることは間違いないだろう。肩には、背格好には不釣り合いな、大きなトートバッグが提げてある。キッと結ばれた口や眉間に寄せられた皺は、けん制にも似た、過剰に装飾的な怒りが演出してあった。

「あなた、そこ、どいてくれる?」

尖った声は、しかし、舌ったらずな声色によって妙なギャップを帯び、僕の頬は思わずゆるみそうになっていた。けれど、それが彼女の怒りを逆なですることもまた自明だったので、何とか僕は平静を保ちつつ、彼女へ首を傾げて見せた。

「ごめん。悪いんだけど、事情を説明してくれるかな。ここは座っちゃいけない場所なの?」

「その通りよ!」

少女は腕を組むと、鼻を膨らませて顔を反らし、目の端で僕を睨みつけた。

「そこはね、ヒサさんの指定席なのよ。悪いけどあなた、他をあたってくれるかしら」

「や、や、や。すみませんね。いいんですよ、そこに座っていただいたままで。そのままで、なんら問題ありませんから」

少女の後ろから、先ほどの老人が割って入る。

歳の頃は、恐らく七十代後半。おじいちゃん、という言葉がよく似合う、柔らかい表情をしている。会話から察するに、この人が「ヒサさん」なのだろう。

けれど、この二人はどういう関係なのだろうか? 普通に見れば、二人は祖父と孫というのが適当な関係なのだろうが、果たして祖父をさん付けで呼ぶ孫がいるだろうか?

ヒサさんは少女を説得しようといくつか言葉をかけるものの、少女は腕組みしたままがんとしてその姿勢を崩さない。そこで僕は、一つの妥協案を提案することにした。

「ひとまずみんなでこのベンチに座って、ヒエラルキーとか、その辺の事情について、そっくり教えてくれませんか? そしたら、それに納得しようがしまいが、僕はこの場所を去りますよ。別にこの公園には、このベンチ以外にも座る場所はあるわけですし」

どうやら二人は、この公園の『常連』らしかった。
そして僕が座るこのベンチは、ヒサさんが詰碁の本を読むのにいつも使っている、指定席だったようだ。

いつものベンチに僕が座っているのを見たヒサさんは、それならばと他のベンチに座って詰碁の本を開いていたらしいのだが、それをトモちゃん(と、ヒサさんは少女のことを呼んでいた)が発見し、状況を把握した彼女が僕に憤慨して文句を言いに来た、というのが、事の顛末らしい。

「今日は休日だから、人がちらほら見えますがね、平日は寂しいもんですよ。女の子が数人、お喋りしにこの公園に来たりしますが、男の子はからっきしですな。ほとんどわしら二人だけと言ってもいいくらいです」

ヒサさんは、諦めと寂しさの混じった小さな笑みをこぼしてそう言った。

「昔はね、平日も休日も関係なく、賑わってたんですよ。子どもたちの遊び場としてね。でも、まぁ、時代の変化ってやつですな。球技が禁止になる。いくつかの遊具が、危険だからと撤去される。他にも、テレビゲームや携帯が出てくる。そんなこんなで、子どもたちはほとんどここには来んようになってしまった」

「別にいいじゃない。私たちの公園が荒らされなくて済むわ」

「や、だからね。その、私たちの、って考え方はやめなさいって」

ふん、とトモちゃんは鼻息を鳴らして、そっぽを向く。

「ねえ、そのバッグの中には何が入っているの?」

ふと気になって尋ねると、トモちゃんはギロリと僕を睨んだ。

「なんでそんなこと教えなきゃいけ――」

「画材道具ですな」

「ちょっと!」

あっけらかんと答えたヒサさんに、トモちゃんは叫んで抗議したものの、ヒサさんはさっぱりそれを意に介さず話を続けた。

「彼女はね、この公園で絵を描くのを日課にしてるんですよ。これがなかなか上手でね。まあ、わしも技術的なことはよう分らんのですが、生き生きとした魅力、っていうんですかね。そういうのを感じるんですな。彼女の絵を見るのもまた、この公園に来る楽しみの一つでもあるんです」

「ヒサさん! プライバシーって言葉、知ってる!?」

「はは、知らん知らん」

聞けば、二人は祖父と孫という関係でも、ご近所さんという関係でもなく、この公園で知り合った仲だという。

「彼女は三年前にここへ引っ越してきましてね。今では学校生活を楽しんでいるようですが、ほら、引っ越してきたばかりというのは、なかなか友達もできなくて、暇な時間を持て余すもんでしょう。それがきっかけのようですよ、絵を描き始めたのは」

「プ・ラ・イ・バ・シ・イ!」

「ははは、すまんすまん」

どうやら二人はいつもそんな調子らしかった。二人が紡ぐやりとりは、尖っているようでほほえましく、ぶっきらぼうのようで安心感があり、適当なようであって相手への信頼が感じられて、少しだけ、僕はそんな二人がうらやましかった。

「もしよかったらトモちゃんが書いた絵を、少しでいいから見せてくれないかな?」

「イヤよ!」

即答だった。
まあ、そうなるだろうな、と予想していたし、無理強いしてまで見せてもらおうとは思っていなかったので、素直に引き下がるつもりだったのだけれど――

「見せてあげなさいな」

静かに、彼女に食い下がったのはヒサさんだった。当然彼女はヒサさんにも抵抗したけれど、ヒサさんもヒサさんで一向に――しかしもちろん、柔らかな物腰を崩すことなく――引き下がろうとはしない。

困り果てた彼女は、しばらく黙って考え込むと、やはり目の端で睨むようにして僕へ視線を向け、言った。

「代わりに、何を見せてくれるの?」

「えっと……代わりに、っていうと……」

「交換よ、交換。タダでみせてあげるわけにはいかないわ。あなたはシンイリなんだから」

「これこれ」

困った顔で、ヒサさんが割って入る。

「新入りだの交換だの、何を言ってるんだい。だいたい、ワシにはいつも見せてくれるじゃないの」

「ヒサさんはセンパイだもの」

「あぁ」

思わず、僕は膝を打った。

「君がさっき、ヒエラルキーっていってたのは、そのことなんだね。確かに僕はさっきこの公園に来たばかりだから、その意味では新入りだし、それはヒエラルキーでいえば最下層に位置する。そして君は、僕の先輩にあたるわけだ」

「そうよ」

きっぱりと、トモちゃんは胸を反らして言った。

「なるほど……でも、困ったな」

先ほども言った通り、ポケットには財布と家の鍵しか入っていない。いくらかお金を払って絵を見せてもらうという手もなくはないが、それだとヒサさんが黙っていないだろう。かといって僕には、簡単に披露できるような一芸も持っていないし……。

「それなら、こうしなさい」

思いついたように、ヒサさんが言った。

「あんたも絵を描くんですわ。で、その書いた絵を見せるかわりに、トモちゃんにも絵を見せてもらうんです。それならええじゃろ?」

そう言ってヒサさんはトモちゃんの顔を覗き込む。

彼女は黙って口を曲げたまま宙を睨んでいたが、やがて、ゆっくりと頷いて見せた。

「決まりですな」

「や、でも……僕、道具なんて持ってませんよ」

「なあに。持ってきてあげますよ。家にね、孫が来た時に使うやつが、しまってあるんですわ。わしも婆さんも絵はからっきしでね。さっぱり使いやせんのです。どうぞ使ってください。使ってもらった方が、道具も喜ぶってもんですよ」

よっこいしょ、の掛け声でヒサさんはベンチから腰をあげ、軽く尻をはたき、小さくため息をついた。

「あ、そうそう。わしは、天野久隆っていいます。で、この子が、松原智美ちゃん」

トモちゃんはどうやら、ヒサさんにプライバシーへ配慮してもらうことを諦めたらしい。腕を組み、口をへの字に曲げたまま僕を見て、不承不承言った。

「……よろしく、新入りさん」

「これこれ。その新入りって呼び方はやめなさい」

ねえ? とヒサさんは僕へ呼びかける。

そこで僕は慌てて立ち上がり、まるで取引先への挨拶をするようなお辞儀の仕方で、二人へ頭を下げた。

「岡崎睦武っていいます。よろしくお願いします」


それから僕は、ヒサさんの道具を借りて、絵を描き始めた。
画用紙と鉛筆とクレヨン。それが僕に与えられた全てだった。
そして絵を描くという行為は、少なくとも僕にとって、とても難しい作業の連続だった。


そもそも、中学で受けた美術の授業以来、まともに絵なんて描いてこなかったし、美術館や雑誌などで、まともに絵を観るというような習慣も持っていなかった。

けれど、それにもまして重要であり、そして僕に欠落していたのは、目の前に広がる風景を、まともに見るという習慣だった。

考えてみれば当たり前の話だけれど、絵を描くというのは、何よりもまず、見る、という作業から始まる行為だった。

もちろん僕は、これまで生きてきた何千何万という時間をかけて、風景を見てきたつもりだったけれど、しかしそれはあくまで『つもり』でしかないということを、その時になって初めて思い知らされた。

昔どこかで「映画を観るという行為を、多くの人は受動的に行っている。そしてその意味において、その人々は映画を、本当に見ることは出来ていない」という言葉を耳にしたことがあるけれど、僕はその意味をようやく理解することができた。

目の前に広がる風景には、それぞれに物語――あるいは歴史と呼んだほうが適当だろうか?――があった。

僕が腰を下ろしているこの公園は、どこかの誰かが作ったものだし、この公園に集まる人々だって、ただ存在しているわけではなく、それぞれの物語を通じて、ここに立っているはずだ。公園の周囲に立ち並ぶ住宅群には、それぞれ人が住んでいて、今なお、様々な物語を編んでいる最中であり、住宅地の底に眠る大地は、いくつもの紆余曲折を経て今の地形に落ち着いているのだろう。もちろん、それだけじゃない。木陰に佇む小鳥も、たゆたう電線も、空に浮かぶ雲も、そしてそれ以外にも存在しているあらゆるものが、あらゆる物語の果てに、この風景へと辿り着いているはずだった。

そう。僕は恐らく、そのときにようやく、人生で初めてしっかりと目を開き、世界というものに接したのだ。

そして、目が開いて間もない僕にとって、世界はあまりに豊かで、あまりに眩しく、それらを一つ一つ、じっくり観察して描くだなんてことは到底不可能で、僕にできることと言えば、おっかなびっくり細く目を開いて、ちらほらと世界を捕えることしかできなかった。

だから当然、出来上がった絵は悲惨だった。遠近法とか色彩感覚とかそういったレベルではなく、絵として成り立っておらず、ただ色のついた紙と呼んだ方が正しいような気がした。

トモちゃんとヒサさんは遠慮なくそれを笑った。三歳児の方がマトモな絵を描く、というのがトモちゃんの論評で、ヒサさんはそれを否定せず、そして僕はそれに同意した。だって、確かにその通りなのだから。

それでも、絵を描くことが、とても楽しかったことは事実だ。

絵を描くことは確かに難しく、自分の無力さや、情けなさや、ふがいなさに直面する行為ではあったけれど、しかしだからこそ集中力が要請され、一心に打ち込むことができ、そしてそれは、ある種のスポーツと同様、アドレナリンやドーパミン、エンドルフィンなどにも似た快楽を生み出していた。

と、なんとも大仰なことを言ってはみたものの、先述のとおり、その結果は散々だったのだ。

そのときに描いた画用紙はもう残っていないけれど、その画用紙を撮った写真は残っているから、振り返りの――そして無用に美化しないための、戒めとしての――意味も込めて、ここに貼り付けておこうと思う。

他方で、トモちゃんの絵は、ヒサさんが言った通り、確かに魅力的だった。僕が目にした風景のまばゆさを、木々のもつ生命力を、街並みに宿る音律を、柵にとまるカラスのしたたかさを、確かにしっかりと捉え、画用紙に定着させていた。

もちろん、だからといって彼女の絵が完璧かと言えば、そんなことはない。彼女の技術は小学生の域をでるものではなく、その絵の魅力は、恐らくこの風景を目にしたことがある人間にしか伝わらないだろう。

木々も街並みもカラスも、それぞれが持つ固有の魅力を彼女は捉えていたが、残念ながらこの風景を見たことが無い人間には、ただの小学生が書いた絵としか伝わらないはずだ。もしかしたら技術というのは、そういったノイズや障壁を乗り越えるためにあるのかもしれない。

互いの絵の品評会を終えた後、僕たちはたわいもない会話をいくつか重ねていたが、五時のサイレンがなることで解散することになった。

「それじゃあ……また来てもいいですかね、先輩」

僕がそう尋ねると、トモちゃんはまんざらでもなさそうな笑みを浮かべ、

「じゃあ、またヘタクソな絵が見られるね」

という言葉を残して、笑いながら走り去ってしまった。

ヒサさんは、そんな彼女の後姿を満面の笑みで見送りつつ、

「そのクレヨンと画用紙、差し上げますよ。ご迷惑でなければ、ですが」

と言った。

「そんな、迷惑だなんて……。でも、これはお孫さんの……」

「また来たときに、買えばいいですから。そんなに高いもんじゃありませんし」

「でも……いいんですか?」

ヒサさんは、前を向いたまま答えた。

「もちろんですよ」


家に帰る頃には、日はすっかり落ちていた。

照明のスイッチを押すと、無機質な蛍光灯の光が部屋に満ちた。隣の部屋から、笑い声が聞こえた。客が来ているのか、いつもより賑やかだった。ベランダに出て、洗濯物を取り込んだ。風が悲しげな音を立てていた。

窓を閉めて、暖房をつけ、キッチン下の戸棚を開けた。腹が減っていたので、手軽に食事にありつくことのできる、インスタント食品を探した。いつもなら、何かしらそこには入っているはずなのに、その日はインスタントの味噌汁以外何もなかった。

仕方なく冷蔵庫を開くと、二日ほど賞味期限の切れた豚バラ肉があった。それ以外に目ぼしいものはなく、今度は野菜室を開いてみた。そこには、もやしとキャベツとニラがあり、少し考え、野菜炒めを作ることにした。

フライパンに油をしき、暖める。キャベツとニラを適当な大きさに切る。豚肉をフライパンに入れる。油の弾ける音が鳴り、肉の焼ける匂いが鼻腔をつき、ため息のような腹の音が、胃の底で響く。

換気扇をつけ、もやしとキャベツとニラを入れたところで、ご飯がないことに気がついた。コンビニでインスタントのご飯を買うこともよぎったが、せっかくなら美味い飯がくいたいと思い、炊くことにした。

キッチン下の扉を再び開き、奥に追いやられていた米袋を引っ張り出し、一合測って、研ぎ始めた。水は思ったよりも冷たく、自然と全身に力が入った。

炊飯ジャーの釜に研ぎ終えた米と水をいれ、高速炊飯のボタンを押す。肉と野菜は焦げ始めていて、慌てて木べらでかき混ぜる。少し焦げていたが、食べられないほどではない。コンロの火を止めるのとほぼ同時に、インスタントの味噌汁があったことを思い出して、僕は電子ケトルに水を入れてセットした。電子ケトルならば数分で湯を沸かすことができるので、スイッチは米が炊ける直前に入れることにした。

そうして、やることが無くなった。

僕は椅子に座り、ぼんやりと炊飯器を眺めた。ディスプレイには現在の時刻が表示されている。18時55分。炊き上がりまでの時間が表示されるのは、確か20分前からだ。どうやら、まだまだ時間がかかるらしい。

隣の部屋からは、話がひと段落したのか、何も聞こえなくなっていた。室内は静かだった。時折、遠くで聞こえるバイクの音以外に、部屋へ入ってくる音は何もなかった。手持無沙汰ではあったが、携帯をいじる気にもならず、かといってテレビやパソコンを眺める気にもならなかった。僕はただぼんやりと、炊飯器を見つめ続けていた。

そのときだった。

僕の目頭が突然熱くなった。

最初は微弱だった波は、やがて大きなうねりとなり、僕の顔面を内側から打った。

どうしようも無かった。僕は堰を切ったように咽び泣き、体を震わせ、椅子から崩れおちた。最初は痙攣してうまく動かなかった口や喉が、次第にゆるみ、大声をあげて泣くことができた。僕は床に横たわり、赤ちゃんのように体を丸め、涎も鼻水も垂れ流して泣き続けていた。

涙が収まったのと、コメの炊きあがりを示すビープ音が鳴ったのは、ほぼ同時だった。何もかもをすっかり出し尽くして、消耗しきっていたけれど、空腹であることに変わりはなく、腹の音が夕飯を催促した。

やるかたなしに立ち上がった僕は、鼻をすすりつつ電子ケトルのスイッチを入れ、野菜炒めを暖めなおして皿に盛り、米を茶碗によそい、ちょうどよく沸いた湯でインスタントの味噌汁をつくり、テーブルについた。

浸水が足りなかったのか米は固く、野菜炒めは味がうすく、味噌汁だけが何とかまともな味を保っていた。野菜炒めは焼き肉のタレをかけることで幾らかマシになったものの、米の固さはどうしようもなかった。

仕方なく、僕は少しずつ箸を進めた。

そして、ふと気がついた。

ほんの今朝まで僕を覆っていた、あの薄い膜が消えていたのだ。

いつの間にか本能は後退し、僕と体の間には何も存在せず、あの微かな痺れを感じることも無かった。

僕は僕の意志で箸を動かし、僕の意志で夕飯を食べていた。

久しぶりに、味わって夕飯を食べた気がした。

(続く)

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