【基礎教養部】Part8


本文はJ LAB活動の一環として書いています。

こういう本を読むと自分は普通とは違うのだと改めて思い知らされる。著者が驚いていた非行少年たちの特性についてなぜショックを受けたのか何一つ共感できなかった。共感出来ない理由はみんなが出来ることを出来ない人もいるということを身を持って知っているからだ。私は物心ついた時から社会で必要とされる「能力」という面で周囲と比較すると大きな差があることに気づいていた。少なくとも日本の現代社会では「能力」はわかりやすく上下関係を表す指標であるので、能力のない人間は非常に生きづらい。加えて周囲の人と違うことを考えているとなると生きづらは加速する。ただ、能力で上下関係を順位づけした時私は最下位にはならないようだ。最下位でない人の自称能力がないは言い訳にしかならないらしい。

「出来ない」と「出来るけどやらない」の違い
これについて以前から考えているのだが、答えが出ない。やらなければできるという証拠はない。犯罪の一線なんて簡単に越えられるのにやろうとするもしくはやってしまうのは少数派である。1日5分で日本を変える 犯罪者がいなくなることと良い社会になることのつながりがピンとこない。

ではどうすれば?(第7章)
誰に向けて書いているのだろうか、本書で書かれているように非行少年の親は本を読んでそれを活かそうとするほど教育熱心ではなさそうだ。犯罪を犯してしまった後の非行少年たちを支援する人に向けて?対象の非行少年の中でもこの手法で解決できない少年たちの行方はどうなるのだろうか

本に沿って思ったことを3つの観点から書き進めようとしたが、書き進めることができなかった。特別救済措置としてテーマはなんでも良いということにしていただいたので、本とは全く関係のない私のことについて以下に書こうと思う。 J LAB内で自分自身のことを隠しているつもりはないし聞かれれば答えはするのだが、自ら自分のことについて発信するということをしていない。これからは少しずつでも誰も興味がなくても、本音で話し合える人間であるという信頼を得るため自己開示をしていこうと決めた。

まず第一回はJ LAB内でほとんど話したことがない恋愛話(?)をテーマとしたい。現在私は3年ほど付き合っている彼女と同棲している。とは言っても、よし同棲しようと一緒に住み始めたわけではなく私が彼女の家に転がり込んだ形で始まり、最初約2年はヒモだった。元々は実家暮らしをしていたのだが、家族とは溝があったので一刻も早くここを出ようと彼女の家を住処とした。そのような形で始まった同棲なので私にとってはただ一緒の場所で暮らしているだけという感覚だったのだが、一般的に同棲といったら一大イベントのようだ。同棲してるというだけで二言目には結婚というワードが飛び出てくる。機械的に結婚について質問してくる聞き手のあの感じが面白くなく、面倒臭く感じていたので自分から同棲してるとは言わなくなったのだが、濁しているのも何か隠しているようで嫌なので、最近はどうやったら面白く返せるのかを考えている。結婚について真面目に回答するなら、「タイミングが合えば」になってしまう。濁して“タイミング”と言っているのではなく本当にタイミングが合えば結婚したい。そう思えるほど一緒にいて居心地が良く面白い人だ。「DAIKIが楽しくやってることなら」と私がやっている活動をなんでも応援してくれる仏のような人である反面、しっかり自分の主張と折れない自我を持っているところが面白いところであり、好きなところでもある。何より変わり者の私を受け入れ、一緒にいてくれるということには感謝しかない。

J LABも私にとってより居心地の良い場所にできるよう自分を表現し、自分自身を曝け出すということを行動で示していきたい。そうすることでしかラボメンとの関係、もっと言えば人間関係を深めることができないと学んだ一年でもあった。“めんどくさい”で思考停止するのはもうやめよう。暇な時、短文でも自分の色を見せられる文章をnoteに投下できるようになりたい。


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