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劇場版『少女⭐︎歌劇レヴュースタァライト』感想。そして露崎まひるについて。

※以下、アニメ『少女⭐︎歌劇レヴュースタァライト』及び劇場版『少女⭐︎歌劇レヴュースタァライト』のネタバレを含みます。


昨日、劇場版『少女⭐︎歌劇レヴュースタァライト』をイオンシネマで見た。5回目である。

初めて見たのは2021年7月。劇場で見終わった後放心しながら帰宅していたら、ゲリラ豪雨に降られて、びしょ濡れになりながら帰ったことを思い出す。
それからもう一回劇場で。
あとの2回は購入したBlu-rayを実家で。
彼女たちの感情渦巻く舞台は何度見ても鮮やかで、濃密で、真新しく、私の心を満たしてくれる。
ただ、昨日のスタァライトは少し違った。
一番私の心のえぐいところ
を刺していった。
なぜなら彼女たち舞台少女が進路の分かれ道に立たされている状況と、今私が転職先をああだこうだと迷っている状況と重ねてしまったからだ。
映画という物語が、観客席にいた私を一直線に一太刀で貫いてきたのだ。

皆殺しのレヴューで私も一緒に殺された。


彼女たちが何を迷い、なぜ悩み、どうやって解決しようと足掻いていたのか。その生き生きとした様が、今の岐路に立たされていながらもただただ過去を懐かしみ漫然と今を揺蕩っている私と、似ているようで余りにもかけ離れていて、
私は今までの_____いや、今の自分を恥じた。
今の私はスタァライト風に言うならば、『とっくに死んでいる』。
劇場版『少女⭐︎歌劇レヴュースタァライト』はそんな死体の自分を自覚させてくれた。舞台少女たち(=私たち)は飢えて乾いて次の舞台へ必ず向かうことを教えてくれた。
進学、就職、結婚、老後etc…。この物語は、岐路に立たされた全ての人間に贈られる極上の強制人生回顧システムだったのだ。

列車は必ず次の駅へ____
では舞台は?私たちは?

『私たちはもう 舞台の上。』

劇場版『少女歌劇 レヴュースタァライト』 

好きな舞台少女「露崎まひる」

私は露崎まひるが一番好きだ。
好きになったきっかけはアニメ5話。
明らかに愛城華恋と神楽ひかりの“運命”に入り込めない、いわゆる「かませ」のように造形されたように感じられた彼女。私は、彼女がこのまま何の星も見つけられず塔の上から落ちていってしまうのではないかと、人知れず恐れていた。
だって明らかにおかしいと思ってしまうじゃないか。メインキャラが9人で、まひる以外は相互に強く思っている(思いの種類はそれぞれだが)特定の相手がいて、まひるだけが一方通行のように造られていた。どうしても目についてしまう。
当初は私も勝手に憤ったものだ。なぜ露崎まひるだけがメインキャラクターの中でひとりぼっちなのだ、と。彼女の運命はなぜいないのだ、と。
実際のところ、彼女は私が思っていたよりも遥かに優秀で、“持つ”者で、振り切れる強さを持っていた。けれど、私はその恐れの全てをアニメ12話だけでは拭い去ることが出来ていなかった。

でも私は完璧に間違っていた。
彼女は、露崎まひるは、私が想定していたハードルを更に飛び越えた舞台「競演のレヴュー」を見せてくれた。彼女はもう舞台で生きていく覚悟を決めていたのだ。彼女に必要な禊はアニメ5話で終わっていて、とうに『導く者』になっていたのだ。
華恋の眩しさが怖くて逃げてしまったひかりを、叱咤し激励し背中を押す者に。
私は、「大嫌いだった」の台詞は、ひかりに本物の台詞を言わせるための演技だったのだと思う。ただひかりを送り届けた後にポツリと呟く「まだまだ、下手くそだけど」という言葉から、「大嫌い“だった”」は全てが演技/全くの嘘ではないのだろう。
全ての負の感情が0になることはない。
華恋がまひるの運命になることは、ない。
それでも、まひるは華恋への依存/執着で隠していた自らの劣等感を克服した。
古い自分を喰らい、新しい自分になったのだ。
露崎まひるは神楽ひかりのことを「大嫌い」だったかもしれないが、
今の彼女にとってひかりは同じ舞台に立った対等な「ライバル」。華恋の眩さ、舞台の眩しさが怖くなった者同士になったのである。

私は劇場版でのまひるを最初に見たとき、
「この子は本当に凄すぎる」としか考えられなかった。
今まで見てきた執着心の強いキャラクターたちは、その執着心で身を滅ぼしたり周りと不和になったり悪魔になったりしながら、結局その執着を最後まで(現在進行形で)捨てきれていなかった。捨てきれたとしても、それ以後のことは描写されることは少なかった。だが露崎まひるはそれを捨て、その上で更に露崎まひるだけの個性として成長していたのだ。
キャラクターのメタ的にもそして生きる人間的にも簡単にできることではないことをやってのけてしまったまひるのことが、私は自分のことのように誇らしい。
何より、これは最も伝えたかったことだが___レヴューのギャップがいい。
最初はポップなオリンピックから始まったのに急にホラーにしないで欲しい。ミスター・ホワイトの首を飛ばさないで欲しい。舞台裏まで舞台にしないで欲しい。瞳に光があるまま無表情で追い詰めないで欲しい。挙げ句の果てには東京タワーからひかりの服をぐいと引っ張ってそのまま突き落とさないで欲しい。その果てにミスター・ホワイトデカデカクッションを置いて衝撃を完全に和らげているのがめちゃくちゃ優しい。
ちなみに前述の「〜ないで欲しい」の語尾には全て「最高」という感想が含まれている。

もうお気づきかもしれないが、私は露崎まひると神楽ひかりの関係性がかなり好きである。まひるに金メダルを贈られた後に「まひるすっごく怖かった!」とほわほわな感想を頬を染めながら述べるひかりがとても可愛らしかった。
また、今度時間ができた時にまひるのことがよく知れると噂の「#2」を見てみようと思う。

まとめ:現実と虚構、レヴュー

スタァライトがどのような世界観の作品なのか、どのような価値観で進んでいく作品なのかを説明するのは他の方におまかせする。
というか、私もレヴュースタァライトのことは正直全然わからない。
なんなんだトップスタァを決めるレヴューって。現実世界とレヴュー世界はどのように融合しているんだ。あれは本当に起こっている事象なのかそれとも100%メタファーなのか。アニメ内で星罪の塔に幽閉された神楽ひかりの5ヶ月もの失踪は、現実世界でどう折り合いをつけられていたのだろうか。
もしかしたらアニメと総集編、劇場版以外で説明されている部分もあるのかもしれないが、私はあいにく先の三つの媒体でしかスタァライトに触れていない。

だがぶっちゃけそんなのどうでもいいのだ。『少女革命ウテナ』みたいなものである。ウテナとスタァライトは、荒唐無稽な学園生活内の決闘という舞台設定も抽象的な概念たちも説明のしなさ加減も似ている。
わからないままでいいのだ。
わからないまま、
花柳薫子のいじらしさ
石動双葉のがむしゃらさ

(この2人のレヴューはまるで痴話喧嘩。隣に立つだけじゃ満足できなくなるよね。ここで騒がせ役としてクロディーヌが出てくるところもポイント。薫子は思うところまだありそう)
星見純那のまっすぐさ
大場ななのめちゃくちゃさ

(ななのめちゃくちゃさを最終的に自分の言葉で切り伏せている純那は凄すぎると思う。ななに関しては他の作品にはない唯一無二の立ち位置のキャラクターなので、機会があれば別のnoteでちらっと話したい)
西條クロディーヌのかっこよさ
天堂真矢のかわいさ

(クロディーヌは真矢の前だと血気溢れるライバルなのがいい。パンパンに中身の詰まった真矢の「私はいつだって可愛い!」は作中随一の名台詞)
愛城華恋/神楽ひかりの等身大の弱さ
(愛城華恋の過去、そして等身大の少女としての彼女を見れるのは劇場版だけ(だと思う)。これだけで劇場版は観る価値がある。)
そして、
露崎まひるの舞台女優さ
を見て欲しい。

そして、私と同じく人生の岐路に立たされている人たちは、あわよくば私のように皆殺しのレヴューで皆殺しにされて欲しい。
この映画は第四の壁を平気で超えてきて、私たちに問いかけてくるのだ。死んでいないか?観客のままでいないか?私たちは次の列車に乗っているのだと。


私たちはもう 舞台の上

きっとこれからの人生を歩んでいく中で
必ず自分に問いかけてくる心の声の一つになっていくのだろう。





ところで、新曲の「Star Darling」の歌詞、あれ、どういうこと?

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