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なぜ離婚率は高いのか@ダンバーさんの進化心理学

ダンバー数で名を馳せる進化心理学のトップランナーロビン・ダンバーさんの著作をヒントに弁証法を組み立てました

# 「なぜ離婚率は高いのか」という問題に関しては、
# 「単婚は動物としてのヒトの脳にしっかりと根をおろした絶対不変の本能ではないからだ」という主張と、
#「家族的な価値観というロールモデルの限界が到来しているからだ」という主張がある。
# 以下では両者の論点を明らかにした上で、
#「離婚率の増加は現代社会の病理だ、と悲観する必要はない」という立場を展開する。

[Phase1]『なぜ離婚率は高いのか』
単婚は動物としてのヒトの脳にしっかりと根をおろした絶対不変の本能ではないからだ

第一に、一雌一雄関係は、進化レースの副産物である。生物学的にいえば、生きる目的は種の遺伝子を残すことだ。この観点で、多婚のオスは生殖後メスのもとを去り、育児をしないために子孫の生存率が低かった。一方、一雌一雄関係ならば子孫を確実に残すことができた。長期間の連れ添いに問題のないパートナーの選択、パートナーに合わせて自分の行動を変えることによる良好な関係の維持、これらは高度な脳を持った種に優位性があった。すなわち、単婚の動物は極めて少数で特別な部類なのである。現に鳥類でも哺乳類でも、体格の割りに脳が大きい種はまず間違いなく一雌一雄だ。反対にその他大勢の群れをつくり、乱交にはげむ種は脳が小さい。

第二に、自然界に純粋な単婚はなく、単婚の種も状況に応じて婚外関係をもつ。このわけは単婚のジレンマにある。例えば、単婚とされる鳥が生んだ卵の1/5はパートナー以外のオスが父親であることが判明している。育児の協力関係には、他の個体にただ乗り搾取されるリスクが伴う。単婚のオスは、パートナーが生んだ子の父親が本当に自分なのか確信がもてない。かといって新しいメスに走ると、母親だけでは我が子を育てられないかも知れない。ゆえに単婚のオスは今のメスとの関係も維持しつつ、新しいメスとも交尾する婚外関係をもつようになった。またメスは子育てに投資するオスを基本的につがいに選ぶが、婚外交渉により、優秀な遺伝子を有するオスの入り込む余地を残した。
進化のスピードが遅いことを考えると、現生人類の情操観念は数万年前と同じ型を持っており、例外ではない。進化論的に言えば、生殖のチャンスが訪れたらすぐにものにできる方が有利だ。となると、新しくてより良い相手が現れることで、それまでの関係が崩壊しても不思議ではない。

[Phase2]『なぜ離婚率は高いのか』
家族的な価値観というロールモデルの限界が到来しているからだ

つまり社会慣習的要因が主眼だ。社会慣習とはすなわちデフォルトであり、婚姻関係においても、キリスト教的一夫一婦制度や、王朝・貴族的な一夫多妻慣習など、人々は時代のモデルケースに従ってきた。個人の自由が大部分実現した20,21世紀といえど、人は社会に生まれる存在であるから、このモデルケース的な考えからの影響は大きい。現在は移行期にあると見るのが適切だ。一方で「離婚を容認しない価値観」、他方で「離婚を許容する価値観」、とモデルケースの対立がみられる。前者は、産業資本主義時代から連なる、「家庭」という単位を理想化するモデルケースである。一家から一人の労働者を確実に駆り立て、配偶者が工場労働者を支えることで安定的な労働力を維持する。家庭はまた、子供(=次の世代の労働力)を育てる単位としても機能する。こうした資本主義社会を支えるシステムとして、国家は家庭的な価値観を擁護してきた。その顕著な証拠として、社会保障システムは、一夫一婦のカップルが享受することを想定しており、単身者や同性カップルは扶養控除の適用などから除外されている。こうした制度的支え、あるいは家父長的な考え方による女性の社会進出の抑圧により、このモデルケースは維持されてきた。しかしながら、20世紀前半に女性参政権の拡大、20世紀後半からはジェンダーの台頭により、女性の社会進出が普遍化するようになると、女性は安定した職を得て単身でも自活することが比較的楽にできるようになり、経済的な足枷がとれた。また、セクシュアリティの活動が広まり、従来の家庭観が疑問視されるようになった。よって単婚一生涯型は必須ではなく、選択肢のひとつに変わったため、離婚率が上がった。

[Phase3]以上より、離婚率の増加は現代社会の病理だ、と悲観する必要はない

キーワードは相対化である。たしかにデフォルトの"常識"だけにとらわれると離婚は心理的に苦しいものだ。しかしながら、離婚はヒトとしてのプロトタイプであると考えると、寛容に捉えられるかもしれない。また、ヒトは情操観念を制御するだけの高度な脳を持っている。この柔軟性はモデルケースを与えればそれに従いもする、という歴史的な事実に明らかである。大半は単婚を続けており、家庭的な価値観に抑圧されていた部分が自由になったと考えれば、むしろ離婚はヒト本来の自然な数に近づいてそこで落ち着くとも捉えられる。現代の私たちは動物としてのヒトを相対化しつつ、個人の自由としての離婚と、社会的な倫理とのバランスをとったモデルケースづくりをすることが必要だ。

参考文献 「友達の数は何人?ダンバー数とつながりの進化心理学」 ロビン・ダンバー インターシフト社

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