夏海と拓海

夏海と拓海 12

 拓海が階段をゆっくりと登ってリビングに姿を現したのは一時間ほど経ってからだった。
 様子を伺うようにしてやってきた。
「ゆっくりと見られた?」
 ソファに座っていたわたしは立ち上がると訊いた。
「ああ、ありがとう」
 拓海はそういうと頷いた。
「もうお昼だけど、どうする?」
「どうするって?」
 拓海は首を傾げた。
「わたしはいまからお昼の用意をして食べるつもりなの。拓海は?」
 わたしはそういいながらキッチンへと歩いていった。
「お昼か……」
 拓海はソファの近くで立ったままひとりごちた。なにか考えあぐねているようだった。
「ひとり分もふたり分も手間は同じなの。でも、二回作るのは面倒なの。わかる?」
 わたしは振り返り、拓海の顔を見ていった。
「いいのか?」
 すこしだけ不安そうな顔をして拓海が訊いた。
「遠慮はいらないわよ」
 わたしは笑顔で返した。
「じゃ、食べていくよ」
「わかった」
 わたしは頷くと準備をはじめた。
「それで、なんなの、お昼?」
 拓海はソファに腰掛けると尋ねてきた。
「カレー。この前、マムが作ったやつ。冷凍にしてあるから、それを食べようと思って」
 わたしはそう答えながら解凍したカレーを鍋に移して、火に掛けた。
「カレーか」
 拓海がぽつりといった。
「嫌いだった?」
 わたしは振り向いて拓海の顔を見ていった。
「ぜんぜん。カレーが嫌いなやつっているのかな?」
 拓海は首を振りながらいった。
「マムのカレーは絶品なんだ。もっともわたしが勝手にそう思っているだけかもしれないけど。ハワイと日本ではちょっとだけ味が違うの」
 わたしは付け合わせのサラダを作りながらいった。
「どっちが美味しいの?」
 拓海が興味深げに訊いた。
「もちろん、日本。ルーがちょっと違うらしい。この前、食べたときにいってた。マムったらうっかりしていつもの量を作っちゃって。ほら、いまふたりでしょ。なのにダッドの分も……。だから結構な量、余ってるの」
 わたしはそういうとダイニングテーブルの用意をした。
「これぐらいで足りる?」
 わたしは皿にご飯をよそって拓海に見せた。
「いや、きっと足りないと思う」
 テーブルに近づいてきた拓海は、わたしが差しだした皿を見て答えた。
「これでどう? ずいぶん大盛りだけど」
 わたしはまた皿を見せた。
「いいんじゃない」
 拓海は頷いた。
 わたしたちは向かい合うようにダイニングテーブルに着くと、それぞれ食べはじめた。
 男の子とふたり、こうして食事をするのは、もしかしたらはじめてかもしれない。ちょっと不思議な感じがして、わたしは拓海を見た。なんだかままごとをしているみたいな感じ。
 拓海はサラダを半分ほど食べると、カレーを食べはじめた。
「美味しいよ」
 ふた口ほど食べてから拓海がいった。
「ありがとう。マムも喜ぶわ」
 わたしは頷いた。
「どうかした?」
 拓海はスプーンを持つ手を止めるとわたしの顔を見て訊いた。
「ごめん、男の子とこうやってご飯食べたことないなと思って」
 わたしはちょっと照れていった。
「そう」
 拓海はそれだけいうとまたカレーを食べはじめた。
「ハワイには、友だちいないの?」
 しばらく経って拓海が顔を上げると尋ねてきた。
「いるよ。ベリンダとかレイチェルとか」
 わたしは食べながら答えた。
「どんな友だち?」
「どんなって、ただの友だち。子どもの頃から知ってるから」
 わたしはスプーンを持つ手を休めるとちょっと考えてから答えた。
「どんな娘なの?」
 拓海が尋ねてきた。
「頭の中には男の子のことしかないような娘たち」
 わたしは正直に答えた。
「マジで?」
「そうね、どの子がかっこいいとか、どの子がいかしているとか。そんなことばっかり。あとはお洒落のこととかね」
 わたしはふたりの顔を想い浮かべながらいった。
「そんなものなんだ」
 拓海はちょっとがっかりしたようにいった。
「他にはいないの? その、海の知り合いとかさ」
 けれど、すぐに思い直したように訊いてきた。
「それならジョディね。ふたつ歳上なんだけど、すごくサーフィンが上手いの。もしかしたらそのままプロになっちゃうかもしれないぐらい。いっしょに海に出るといろいろと教えてくれたりする」
 わたしは頷きながら答えた。
「男の知り合いは?」
 拓海がぼそっと呟くように訊いてきた。
「いっぱい。でも、みんなただ挨拶するぐらいかな。特に親しい子もいないし。そういえばベリンダがレニーのことかっこいいっていってたな」
 わたしは考えながら答えた。
「レニー……」
 拓海がひとりごちた。
「ごちそうさま」
 拓海はそういうと席を立った。
「もういいの?」
「うん」
 わたしがまだ半分ぐらいしか食べていないのに、倍はあったはずの拓海はしっかり食べ終えていた。
──やっぱり男の子なんだ。
 こうしてがっつり食べてもらえるとなんだか嬉しい。マムもダッドの食べっぷりを見て、そう思ったことはあったんだろうか。
 感心したわけじゃないけど、ちょっぴり見直したような気分になった。
「どうしたらいい?」
 拓海は立ったまま訊いてきた。
「なら流しに置いておいてくれる? ありがとう」
 わたしが答えると、拓海は自分が使った皿なんかを流しに持っていった。そのままソファのところへ戻ると腰を下ろした。
「ねぇ、写真どうだった?」
 気になっていたから訊いてみた。
「ああ、じいちゃんの写真集?」
 拓海はいったん言葉を句切ると腕組みをした。
「どうやって説明したらいいのかよくわからないんだけど、心の中になにか染みこんでくるような、そんな気がした。写真を見てるとね、そこに写ってる景色だけじゃなくて、その場の雰囲気といったらいいのかな、そんなものまで伝わってくるようだった。吹いてくる風とか、打ち寄せてくる波の音とか、陽射しの暑さまで感じ取れるようなそんな感じ」
「うん」
 わたしはただ頷いた。
「心がなにかを感じ取って、周りがいままでとはどこかちょっと違うように思えてしまうのは、きっととてもいい写真だからなんだと思う。もっともぼくなんかがこんなこといって偉そうに聞こえるかもしれないけど」
 拓海は言葉を選びながら話しているようだった。
「それを聞いて、きっとダッドも喜んでると思う」
 わたしは笑顔で答えた。
 食事を終えるとわたしは流しで洗い物を済ませて、ソファの方へと歩いていった。
 拓海はすぐ前にあるウッドデッキにいた。
 わたしもウッドデッキに出た。
「いい眺めだね。海が見えて、江の島の向こうには富士山も見える」
 拓海は前を見たまま口を開いた。
「うん、ダッドがどうしてもこの眺めを見たくて、ここにウッドデッキを作ったみたい」
 わたしも海を見た。
 九月に入ったばかりだからか、太陽はまだ夏の輝きのまま。それを受けて海が碧く煌めいている。大崎のところには白く波が打ち寄せている。
「ねぇ、波があるよ」
 わたしはそういって海の方を指さした。
「あそこは大崎?」
 拓海がわたしの顔を見て訊いた。
「ちいさな波だけど、きっと乗れるよ」
 わたしは笑顔で答えた。
「でも、ボードないし……」
 拓海が口ごもった。
「水着は?」
 わたしが訊くと拓海はすぐに頷いた。
「大丈夫、バッグに入ってる」
「じゃ、問題なし。ボードは家のやつを使えばいいよ。あっ、ブーツは?」
 わたしは確かめるように訊いた。
「それもOK。ショウさんにいわれていつも持ってる」 拓海は頷いた。
「それならいきましょ」

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