Born In the 50's 第二十一話 ダブルトラップ
ダブルトラップ
ホテル全体に響いた低く鈍い爆発音と、それに続く銃撃の音をジムは地下駐車場で聞いていた。すでにホテルの従業員の服は脱ぎ捨て、紺色のオーソドックスなスーツを纏っていた。
耳にはイヤーピースを、SPたちと同じようにつけている。
「ジム、あの銃撃は?」
アイリーンの声がそのイヤーピースを通じて聞こえてきた。
「きっと別の部隊だろう。俺たちだけではなく、別の部隊も今回の仕事に関わっているようだ」
左の袖口に顔を近づけてジムはいった。
「どうする?」
モランの声が聞こえた。
「作戦はプラン通りに」
ジムはただそういって頷いた。
「わかったわ」
アイリーンが答えた。
「了解」
モランも答えた。
ジムはふたりとの通信を終えると視線を一階から駐車場へ降りる階段に戻した。耳を澄ませて、物音を確かめる。
ゆっくりと階段を降りてくる靴音が響いてきた。
手探りで進むように、その足音は静かにそして時間をかけているのがわかった。
ジムは息を押し殺してターゲットがその姿を現すのをじっと待った。
自分が描いたシナリオ通りに仕事を進めて、そしてターゲットを仕留める。そのためなら、何時間でも、あるいは何日でもじっと潜んで待つことができた。
──もうすぐ、この仕事も終わる。
ジムは確認に満ちた笑みを零した。他人からみたら、こんな残酷な笑顔はないかもしれない。
「ターゲットを確認」
アイリーンの声がイヤーピースに響く。
「判った」
ジムはひと言で答えた。
階段の陰から先頭を進む機動隊員の姿が見えた。ライオットシールドを片手にH&C MP五を構えながら、一歩一歩確かめるように進んでいる。やがてもうひとりの機動隊員の姿も見えた。
それに続いてSPたちだ。SIG SAUER P二三〇を両手でしっかりと構えている。
そのすぐうしろにNSAのチョッキを纏った男がふたり。そのふたりに囲まれるようにして石澤総理の姿があった。
静かな地下駐車場への階段を降りてくる靴音だけが響く。
慎重にその歩みを進めてきていたが、しかしここまでなにごともなく前進を重ねてきているためか、すこしずつそのスピードが、本人たちが気がつかない程度だったが、速くなっていく。
やがて総理の背後を守るSPと後衛の機動隊員たちの姿が見えた。
その姿を確かめると、ジムはつぶやくそうにその袖口に向かって言葉を発した。
「Go」
カランカランカラン。
なにかが転がり落ちる金属音が響いたかと思うと、階段の下で破裂した。
「うわ!」
後衛の機動隊員たちが叫び、SPたちが身を挺して石澤総理を守るのが見えた。
ジムはその様子を伺いながら構えていたM二四のボルトを操作して、弾を薬室へ送り込んだ。
その瞬間、爆裂音に石津は思わず頭を抱えしゃがみ込んだ。
すぐにとなりにいた田尻も同様にしゃがみ込んだが、さすがに途惑うことなくあたりを素早く見廻すと、石津の肩に手をやった。
「スタングレネードです」
「ああ」
石津はなんとか頷くと、しかし石澤総理に視線を送った。
石澤総理はSPに抱えられるようにしゃがみ込み、石津の視線を受けとめるとただ頷き返した。
「おかしい、さっきから無線が使えなくなっている」
田尻が宮下にいった。
「本部、本部……」
宮下もそれは感じていたらしい。改めてマイクで呼びかけてみたが返事はなかった。
石津も濱本との会話が途中で度切れてしまったので気にはなっていたのだ。
「どうする?」
宮下が田尻に訊いた。
「無線で応援を呼べないとなると、ここで待つよりは、移動してしまった方がいいだろう」
田尻は石澤総理の顔を見ながら決断した。
「わかった。このまま車へ!」
宮下の声が響いた。
改めて先導していた機動隊員がライオットシールドに身を隠すようにして、ふたたび進みはじめた。
総理を乗せるはずの車はエレベータホールの真ん前に駐まっていた。
階段からは壁際を回り込む方法と、そのまま駐車場内を突っ切ってエレベーターホールへと進む方法のふたつがあった。
もちろん突っ切ってしまう方が早い。しかし、あまりにも無防備だった。
「壁際を進め」
田尻が指示を出すと、機動隊員たちは動きはじめた。
壁に沿って直進し、突き当たりを左に回れば、エレベーターホールの前に駐めた車へと辿り着くことができる。
機動隊員たちは壁とは反対側をライオットシールドでガードしながら進む。石津もそしてSPに守られている石澤総理も同じように壁際を進み出した。
二、三メーターほど進んだところで石津はふいにレーザーサイトのポインタの赤い点が自分の身体に当たっているのに気づき、思わず田尻を手で止めた。
石津に動きを静止された田尻はいったいなにが起こったのか、すぐに理解できなかったが、レーザーサイトのポインターに気がつくと、石津の顔をじっと見た。
石津も田尻を見返す。
動きを止めたふたりを不審に思った先導の機動隊員が振り返ると、石津の胸のあたりにあった赤いポインターがゆっくりと動いていき、その後ろにいた石澤総理の身体に移動した。
それに気づいた石澤総理は思わず石津の顔を見た。
石津は咄嗟に自らの身体でガードしながら、石澤総理を見返した。
「なにしてる、撃て」
田尻がそういいながら、レーザーサイトのポインターが照射してくる方向目がけてグロック一九の引き金を引く。
機動隊員たちも銃撃を加える。
すぐに金属製の物音が響いて、赤いポインターの照射は止んだ。
先導していた機動隊員たちが確認のために近づいていく。
そこに落ちていたものは駐車場に備えられていたカーブミラーだった。機動隊員のひとりがふと顔を上げると、別の方向からレーザーサイトが照射されているのがわかった。カーブミラーを使って、反射させていたのだ。
彼は思わずその方向へMP五を構えたが、なんの反応もなかった。
──デコイ?
そのとき、彼の視界に撤去したはずの青いポリバケツが飛び込んできた。
「罠だ!」
彼がそう叫んだ瞬間、そのポリバケツが爆発し、そこにいた機動隊員ふたりは爆風に吹き飛ばされた。
──さぁ、どうする?
ジムはエレベータホームの真向かいに潜んでいた。階下へと車が降りていくスロープの壁を利用して身を隠している。
M二四を構えながら、石澤総理たちの動きをじっと見つめていた。
スタングレネードもレーザーサイトのポインタもジムによる作戦だった。スタングレネードは一階に身を潜めているアイリーンが、そしてポインタは同じくこの駐車場の別の場所に身を隠しているモランによるものだった。
このあともうひとつ罠を仕掛けてある。そのあとターゲットを仕留める予定だ。
ジムのM二四には、レーザーサイトとは別のドットサイトが装着してある。レーザーサイトだと、光源を辿って位置を特定される恐れがあるためだ。
そのサイトからライオットシールドを構えた機動隊員がふたりと、SPが四人、さらにNSAの防弾ベストを着た男がふたりとターゲットの総理大臣を確認することができた。
──あと二三人は消えてもらいたい。
ジムはそう思いながら、サイトをじっと覗いていた。
「さぁ、いいぞ。もっと車に近づけ!」
言葉にならないほどちいさな声でジムはつぶやいた。
そのとき、エレベーターホール近くの物陰から、機動隊員の姿をした男たちがターゲットに向かって銃撃をはじめた。
──バカな!
機動隊員の出動服を身に纏った男たちが六人、一斉にターゲットに向かいMP五で銃撃を加えている。
ターゲットたちは、機動隊員が持っていたふたつのライオットシールドを盾にして応戦している。しかしいかんせん、ふたつのシールドではそこにいるものたちすべてをガード仕切れなかった。
ライオットシールドをSPたちに預けて応射していた機動隊員たちふたりが銃弾に倒れ、SPも三人が銃弾を受けてしまった。
残るはSPひとりと、それからNSAのふたり。
ジムが望んでいた状況へと闖入してきた男たちによって展開したはずだった。しかし、ジムは苦虫を噛み潰したような表情でそれを観ていた。
「モラン、やれ」
ジムは無線でモランにいった。
「いいのか、ジム? こっちに有利な展開になってるぞ」
モランからの応答がイヤーピースに響いた。
「俺の仕事だ。そして俺が立てたプランだ。だれか知らないが、そこに手を突っ込むヤツはただの障害物だ。いいから、やれ!」
次の瞬間、エレベーターホールで爆発が起こった。
押し殺したような男たちの悲鳴が駐車場に響いた。
ジムはそれを聴きながらふたたび口を開いた。
「もう、ひとつもだ」
続いて、総理大臣を乗せるはずの車が爆発した。
「引き上げる、撤収だ」
ジムはそれだけいうと、立ち上がった。
「ジム、それでいいの?」
アイリーンの声がいさめるように口調で響いてきた。
「いいか、クライアントは俺たちをダシに使うつもりだ。だったら、この仕事はキャンセルさせてもらう」
ジムは素早く移動しながら、無線を通じてふたりに話した。返事を聞くこともなくそのまま従業員専用の階段へと向かった。
すぐにモランがやって来てジムに合流すると、ふたりは扉を開けて専用の階段へと消えていった。
二度目の爆発のあと、石津はいったいなにが立て続けに起こったのか整理できず、その場にしゃがんだままでいた。それは同行している田尻や、SPの宮下、そしてその宮下にガードされている石澤総理も同じだった。
カーブミラーのトリックのあとの爆発に続いて、突然銃撃に晒されたかと思ったら、すぐに二度爆発が起こり、機動隊員ふたりとSP三人を倒した襲撃者自身がその爆発に巻き込まれたようなのだ。
石津たちは命拾いをしたといえるだろう。
あのまま石澤総理を車に乗せていたら、自分自身も含めてその車ごと吹っ飛んでいたかもしれない。
──だとすると、銃撃と二度の爆発の関係はいったい……。
石津にはその顛末を想像することができなかった。ただ判っていることは、自分とそして石澤総理はまだ生きているということだけだった。
「いったいどういうことなんだ?」
それでもその疑問を石津は口にせざるを得なかった。
「いまは、次のことを考えましょう」
田尻が石津にいった。
「確かに、まず総理を脱出させることを優先すべきだ」
宮下も石澤総理の身を庇いながらいった。
「で、どうすれば?」
石津は次の質問を口にした。
「車は爆発してしまったし……」
「いったんロビーまで戻った方がいいかもしれません。別の車を用意するにしても、この地下駐車場よりはエントランスの車寄せの方が安全でしょう」
田尻が石津に答えた。
「どうやってロビーまで戻るかだな」
宮下はそういいながらエレベーターホールの方を見た。
「エレベーターの横にある階段が使えるかどうか、確認してきます」
宮下はそれだけいうと、手にしていたSIG SAUER P二三〇のマガジンを確認して、爆発が起こったばかりのエレベータホールへと近づいていった。
「わたしも援護に。総理を頼みます」
田尻はそういいながら、自らが手にしていたグロック一九を石津に渡した。
石津は若干の戸惑いを見せながらもグロックを受け取ると、マガジンのリリースボタンを押して、いったんマガジンを取り出し、残弾を確認してセットし直した。
「ずいぶん馴れてるんだな」
すぐ横でその動作を見ていた石澤総理が声をかけた。
「好きで馴れた訳じゃない。戦場で取材していると、命を守ることも必要になってくる。いい悪いではなく、生きていくために仕方なくできなければいけないこともあるのさ」
石津は自重気味に答えた。
「変な意味で取らないでくれ。しかし、いい歳の取り方をしたようだな」
石澤総理は神妙な顔つきで石津を見た。
「それはお互い様だろう。きちんと役目をこなしているじゃないか、期待以上に」
石津も石澤総理を見ていった。
「お前にそういってもらえるのが一番嬉しいよ」
「バカいうな、評価するのはもっと違う立場の人間だろう」
石津は照れたように答えると、エレベーターホールへと向かった田尻たちの行方を目で追った。田尻は機動隊員たちが使っていたH&K MP五を手に宮下の援護に向かっていた。
宮下はP二三〇を構えながらゆっくりと爆発した車にまず近づいた。
幸いなことにガソリンに引火することなく、天井と各ドアが吹き飛ばされているだけだった。すぐ近くに機動隊員の出動服を着た男たちがふたり倒れていた。爆風でやられたらしい。ひとりは吹き飛んだドアの下敷きになっていた。
どちらも左足のブーツの爪先には赤いペイントがあった。
宮下は銃を構えたまま、ふたりの様子を探る。
足で身体を揺すると、ドアの下敷きになっていた男はうめき声を上げた。もうひとりはどうやら直撃をくらったようで、腕が千切れて、身体はボロボロの状態だった。すでに絶命している。
宮下は銃を構えたまま跪くとうめき声を上げている男を今度は手で揺すったが、どうやら意識はほとんどないようだった。
すぐ後ろでMP五を構えている田尻に向かって、首を横に振って合図した。
田尻は黙って頷き返した。
エレベーターの近くにもふたり倒れていた。
どうやらエレベーターの扉に爆弾が仕掛けられていたようだ。ここにいた者たちは真後ろから爆風を受けたらしい。どちらも命はあるものの意識はほとんどなく、あたりを伺いながら慎重に近づいていった宮下が身体を揺すってもほとんど反応はなかった。
そのとき血痕が続いているのを田尻が見つけ、宮下の肩を叩いて合図した。
ひとつは滴り落ちる血の跡が点々と続いている。その先にはトイレの案内板があった。
田尻は頷くと、トイレの方へと進んでいった。
もうひとつは足を引き摺ったような血の跡だった。こっちはエレベーター横の階段へと続いていた。
宮下は改めてP二三〇のマガジンを確認すると、立ち上がってその痕を追うことにした。
階段前で血痕を確認するとそれを辿るように階段を登りはじめた。
手摺りに身体を寄せるように身を屈めて階段をゆっくりと登っていく。ときおり立ち止まると、物音が聞こえないかじっと耳を澄ませてはまた登りはじめる。
一階との間の踊り場にも血痕が残っていた。それを確認すると、あたりの様子を伺い、再び慎重に階段を登っていく。
──危機に際してはいかなる場合も細心に。
宮下が肝に銘じている言葉だった。
カンカンカン──
そのとき、階下でなにが落ちていく音がした。
宮下の反射神経が咄嗟に反応してしまった。
ビシュ!
サプレッサーで減音された銃声が響いた瞬間、宮下は自らの不覚を悟った。
そのまま踊り場まで転げ落ちると、朦朧とする意識の中、顔を上げて自らを撃った相手を見た。
NSA所属の沢口が機動隊員の格好をしたまま、そこに立っていた。
血の雫は点々と男子トイレへと続いている。
H&K MP五を構えたまま田尻はゆっくりとトイレへと向かった。ドアの前まで来ると、ただ静かに大きく息を吸い込み、銃口を向けたまま素早くドアを開けた。
床には血溜まりがあり、すぐ横に男が倒れていた。
腹部を激しく損傷したようだった。
田尻は念のためにしゃがみ込むと男の様子を伺った。が、しかしもうすでに虫の息だった。
田尻はなにかいおうとしたが、しかし相手にその言葉は届かないことを悟って、ただ黙って踵を返した。
そのままエレベータ横の階段へと向かう。
宮下がいるはずの階段はしかし静まりかえっていた。
田尻はなにかを感じて、大きく息を吸うと階段を登りはじめた。すぐに一階との間の踊り場に人が倒れているのが目に入った。
──宮下!
しかし田尻はすぐには駆け寄らず、あたりをじっと伺った。
──もし自分が宮下を撃った相手なら、駆け寄るところを狙うはずだ。
改めて手にしているH&K MP五のセーフティレバーを確認した。三点バーストになっているのを確かめると、一歩ずつ階段を登っていく。倒れている宮下の様子が階段を登るにつれはっきりとしていく。
かなり出血しているようだった。すでにうめき声も上げられないほど衰弱していた。
そのとき一階のあたりに人の気配を感じ、田尻は素早く後ろへと飛び退いた。
ビシュ! ビシュ! ビシュ!
サプレッサーを装着した銃声が響く。
田尻は階段の途中で頭上を見上げると、ただなにも考えずにトリガーを引いた。
タン! タン! タン!
タン! タン! タン!
タン! タン! タン!
すぐにうめき声がすると階段を乗り越えて人が落ちてきた。
沢口だった。
「沢口……」
しかし沢口は血にまみれた顔のまま素早く立ち上がると田尻に掴みかかってきた。ふたりはもつれ合うようにして階段を地下一階まで転げ落ちていく。
沢口は立ち上がると田尻ののど笛を両手で掴もうとした。
田尻がそれを防ごうとすると、沢口は血まみれの顔でニヤリと笑い、両手の力を緩めた。田尻が一瞬途惑うと、沢口は右手で自らの腰に着けていたナイフを掴んで、田尻の腹部目がけて思い切り突き立てた。
「ぐふっ!」
田尻はあまりの痛みに気が遠くなるのを感じながら、それでも構えたままのH&K MP五の引き金を引いた。
ブスッ! ブスッ! ブスッ!
至近距離からの銃撃を受けた沢口はさすがに反撃するだけの力を失い、後ろに倒れると地下一階からさらに下の踊り場まで転げ落ちていった。
ホッと息を吐いた瞬間、いきなりその背中を蹴られ、田尻もまた階段を転げ落ちてしまった。
ビシュ!
さらに撃たれた。
うつろになった田尻の目に、銃を構えたスーツ姿の男が映った。
静かだった。
銃声が何度か聞こえたが、しかしその後ぱったりと止むと静まりかえったままになった。
──いや、静かすぎる。
石津はこういうシチュエーションでの妙な静寂さが嫌いだった。自分の呼吸音だけが響いて聞こえる。それが静けさをより際立たせる。
戦地で何度が味わったしじま。
それを破るのはいつも決まって爆発音や銃撃音だったからだ。しかし、いまその静寂がいやになるほど続いていた。
石津は石澤総理を見た。
石澤総理も石津の視線になにかを感じたのか見返した。
「このままでは埒が開かないようだ」
石津は声を潜めていった。
「確かに」
石澤総理もただ頷く。
「ともかくエレベータ横の階段を登るしか手はなさそうだ」
「そうだな」
「問題は、その階段が安全かどうかわからないということだ」
「ああ」
石津は石澤総理の返答を聞くと、すぐには口を開かず、じっと考えた。
「石津……」
「それしか手がないなら、いくしかないか……」
石津は覚悟を決めたようにいった。
「昔から俺たちはそうだったじゃないか。無茶だろうが、無理だろうが、ただ行動あるのみ。だろ?」
石澤総理がそんな石津に声をかけた。
「バカ、仮にもお前は一国の総理なんだぞ」
「いや、いまはお前のただのだちだ」
石澤総理は軽く笑みを零しながらいった。
「ともかく、いこう」
石津が立ち上がった。
石澤総理も石津につられるように立ち上がった。
石津はあたりを警戒しながらゆっくりと石澤総理の前を歩いていく。石澤総理もそれに従ってついていく。
「なぁ、ひとつ訊いていいか?」
石澤総理が小声で訊いてきた。
「なんだ?」
「どうしてお前は俺の前を歩いているんだ?」
石津は、石澤総理の質問に立ち止まると真顔で答えた。
「お前の前を歩くのは、なにかあった場合に身を挺して守るためだ」
「なぜ、右前なんだ?」
「いざというとき、銃を持っていない左手でお前を引き摺り倒して、ガードするためだよ」
それだけいうと石津は、また歩きはじめた。
「ありがとう」
石澤総理はそれだけいうと、黙ってついていく。
エレベータ横の階段まで来ると、石津はいったん立ち止まりあたりをじっと伺った。
そこから階段の様子を観る。
「ちょっと待て、だれかが倒れている」
すぐに踊り場に倒れている宮下の姿が目に入った。
「宮下!」
石澤総理は名前を呼ぶと宮下に駆け寄った。すでに事切れている宮下の手を石澤総理はギュッと両手で握ると、そのまま目を瞑った。
「かけがえのない友人のひとりだった。こんなに信頼できる男はいなかったのに……」
いままで感情を露わにしてこなかった石澤総理が、声を震わせながらつぶやいた。その瞳は涙で濡れている。
石津はそんな石澤総理を姿を見て、しかし声をかけることができなかった。
大切な人を失う辛さを、これまでに充分経験してきたからだった。言葉などでそれを簡単に慰めることなどはできない。ましてやその辛さを消すことは決してできはしない。もしかすると一生心のどこかに深い傷として残ってしまう。
「石澤……、お前……」
石津の声に、石澤総理が振り向いた。
「なんだ、石津……」
平静を装うつもりだったのだろうが、しかしその声はまだ微かに震えていた。
「お前って、やっぱり俺がよく知っている石澤だな」
「あたり前だろ」
石澤総理が答えた。今度はごく普通の声音に戻っていた。
「いこう、命を賭してくれた男たちのために」
「ああ」
石澤総理が頷くと、ふたりはふたたび立ち上がって、踊り場から階段を登ろうとした。
そのとき、背後に男の気配がした。
「総理! ご無事でしたか」
山下課長だった。
階段を登りながら地下一階に姿を現すと、そのまま踊り場にいるふたりにゆっくりと近づこうとしていた。
「山下課長、どうしてここに」
石津がそこまでいったとき、不意に山下課長の顔つきが変わった。それまでの冷静な顔つきから引き攣ったような笑顔になった。と同時に右手が動いた。
その瞬間、石津は咄嗟に石澤総理の前に立つと、手にしていたグロック一九を両手で構えた。
しかし山下課長の方が素早かった。すでに銃口が石津に向いていた。
トリガーにかかった指に力が入れば一巻の終わりだった。
ズギュン!
石津は頬のすぐ右横を熱いなにかが通り過ぎたのを感じた。
──外れた!
山下課長の顔が一瞬ひるんだ。
ズギュン!
石津は咄嗟にトリガーを引いていた。
山下課長の引き攣ったような笑顔が力を失い、なぜと問いかけるような疑問の表情に変わると、その場に崩れ落ちた。
「ふぅ」
石津は声にならない溜息を漏らした。
その瞬間、階段の下から叫声が響いてきた。
「このやろう──!」
血にまみれたその形相からいったいだれなのか、石津にはすぐに判らなかった。が、しかし紛れもない沢口だった。
右手にH&K MP五を、そして左手にはナイフを持ち、そのまま階段を駆け上がろうとしていた。
石津はふたたびグロック一九のトリガーを引いた。しかし、ジャミングしたのか撃てなかった。何度引き金を引いても弾は出ない。いまの石津にできることは盾になることだけ。そのまま石澤総理の前に立った。
そこへ沢口が石津に向かって突進してきた。その左手のナイフがいままさに石津の胸に突き刺さろうと襲いかかる。
そのとき、階段全体に銃声が響いた。
タン!タン!タン!
沢口の後ろに、田尻がいた。
立つこともできずに、その場にしゃがみ込んだまま、力を振り絞ってH&K MP五のトリガーを引いたのだった。
沢口は血まみれの顔を醜く歪めるとその場に崩れ落ちた。
石津はその場にただ立ち尽くしていた。
「どうした、大丈夫か?」
石澤総理が訊いた。
「ああ、大丈夫だ……」
石津は首を振り、その手に持っていたグロック一九をその場に放り出した。
「お前、凄い形相だぞ。大丈夫なはずじゃ……」
石澤総理がいった。
「こいつが……」
「この男がどうかしたのか?」
「近藤を撃ったやつだ。NSAの職員だったはずなのに、いまは機動隊員の格好で死んでいる……」
「なるほど、今回の事件はそうとう根が深いようだな」
石澤総理がぽつりといった。
「人ごとじゃないんだぞ、石澤。お前を殺そうとしてこいつらは暗躍していたんだぞ」
石津は吐き捨てるようにいった。
「ああ、解っている……」
石澤総理はそういうと唇をきっとかみしめた。
「すまん、悪いのはこいつらなんだよな。それはよく判っているつもりなんだが」
「いいさ、いこう」
石澤総理が促した。
ふたりは田尻の元へと階段を降りはじめた。
「Born In the 50's」ですが、各章単位で公開していて、全体を通して読みにくいかなと思い、index を兼ねた総合ページを作ってみました。
いままで通り毎週、章単位で新規に公開していきますが、合わせてこの総合ページも随時更新していこうと思います。
頭から通して読み直したい、そんなことができるようになったはずです。ぜひもう一度、頭から読み直してください。
■ 「Born In the 50's」総合ページ
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