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虚構とは何か


アラヨン掌編文学 S&S
uso ha 小説 の始まり』


城建つ
 建ちませー
 と、市長が、言ったため、天守閣は建った。2000年春のことである。
 市長Kは、議会に提案し、採決は一致した。1950年のことである。
 町の実力者Tが市長に、天守復元を進言した。1940年のことである。
 天守復元が、BOOMになっていた。1930年代。
 市長KのAW市の場合、こりにこって、忠実な木造建築を狙いとした。よそでは、鉄筋コンクリート造りなのを、出し抜くものであった。いい意味での差別化であり、観光の集客戦略であった。しかし、いかんせん、思わぬ時間が、着工までまで30年、建設に20年かかってしまった。
 市長は、その50年間に、15人替わった。
 その間、各地の天守閣は、次々と、変事に見舞われた。これらはすべて、革命の1800年に取り壊された各城の、古い石垣の元の天守台の上に、建築されている。この新旧の違和感が、人々の心の中に生じ、その集合無意識がなんらかの、実体的物理エネルギーとなり、パワーともなった、サイエンス・アミューズ・ライターは書いているが、そんな説明しかなりっ建たないのだった。
 消えたのである。天守台が。石と土が無くなり、食い込んでいた土台部分を露出して、天守閣は空中に浮いてしまった。なぜ浮いていられるのか、さまざまな調査団が来たが全然駄目だった。
 
 みかん

このPAGEが捧げられたら、申し出たまえ。

GREEN HOLE
この我々の宇宙は、終末に向かって進み、新たな宇宙が始まるかもしれないし、あるいは、融合の宇宙は、始まらないかもしれない。以下の物語は、私のINSPIRATIONとして生まれた。
続く

老朽者の爆走
私という時の列車の車輪は、むなしく空回り、その時計は正確に空回り、列車は何も運ばず、誰も運ばず、美しい風景も見なかった。
少年は幸福に詩を書き始めたが、頓死し、時の列車は停止した。青年は、歩み始め、時の列車は、車輪とひとつになって動いた。何の因果であろう、応報というのか、時の列車が転覆し、車輪は正確に時を刻んだ。再び立ち直った時、私は、今55になり、時の列車は、傷んでいる。願わくば、爆走につれ回復することだが、もはや時すでにやばく、すばやくもこの世の週末とともに、っ終幕する。しからば書誌よ、我が前衛の市を築いて沸いただけ無いか。大検航行。直接民主党。人力発電所個人体育。余生同意切れるか、時の列車は、ようやくまともになっているではないか。
PART 2

輪ゴム一本
 チャンバラごこに、はまっていた。
 その名も、ゴムヤ、に輪ゴムを買いに行った。
 チョンマゲにするために。
   輪ゴム、ありますか?
   何本?
   一本
   はい
   のんぼでっか?
   ただ
 僕の真摯な取り組みは、おば藩の心を打ち、
    プレゼントされてしまった。

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