『パラサイト 半地下の家族』:山水景石と餃子スープ

先日、最近話題になっている映画『パラサイト 半地下の家族』を観て、ふとある思い出が蘇りました。

以前、とても仲が良かった友達の家族から、夕飯に呼んでもらった事があります。

彼の家は都内のど真ん中に建つ一軒家の二世帯住宅で、父親は大企業の管理職/母親は専業主婦という、絵に描いたような裕福な家庭。
両親共働き、狭いアパートの一室に7人+ネズミの団体で暮らしていた私の家庭とは、まさに月とスッポン。

だからお誘いを受けたとき、自分はどんな美味しいものが食べられるだろうかとワクワクしていました。


そして当日。

いざ食卓についたとき、真っ先に目に飛び込んできたのが「スープ」でした。

ただのスープじゃありません。
一人分のカップに、3つもの餃子が入っています。
しいたけや白菜に混ざって、エビなんかもいっぱい入っていました。

我が家では、正月や誕生日にも出てきてくれるかわからないご馳走。

それはそれは興奮しながら、きれいなスプーンで一口すくって飲みます。




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さて、『パラサイト 半地下の家族』(以下『パラサイト』)は、タイトルの通り「半地下」に暮らす家族を主人公とした映画で、貧困層が富裕層にうまく取り入り、偽物の栄華を満喫する様を描いています。

貧しい人間が、金持ちに一杯食わす。
正直言って使い古されているシナリオにも関わらず、本作が激賞されているのは、その根幹で「3つの悲しみ」にしっかりと向き合っているからでしょう。


【悲しみ1】

貧乏人にとって、金持ちの生活は「手が届くもの」である。

貧乏人は、暇さえあれば金持ちになった自分を妄想します。
金があったら凄いことができるのにと思いながら、毎日を過ごします。

本を買う金もない。金持ちと話す機会もない。なのに、なぜそんなにもイマジネーション豊かな生活を送れるのでしょうか。
ひとえに、「インターネット」のおかげです。

『パラサイト』の冒頭、貧乏な一家はスマホを掲げながらWi-Fiを探し、「唯一トイレの中でだけ電波が入る」とわかるやいなや、落胆するどころか安堵の表情を浮かべます。それほど彼らは貧乏であり、それほどインターネットが使える環境は重要です。

インターネットがあれば、効率のいい内職方法がわかります。
インターネットがあれば、人を納得させる知識も得られます。
インターネットがあれば、身なりに関係なく連絡を取り合えます。
インターネットがあれば、誰かを脅すことすらもできます。

地獄と極楽をつなぎ続ける蜘蛛の糸。
その存在によって、貧乏人は「自分たちも金持ちと平等に戦える」と錯覚してしまうのです。


【悲しみ2】

金持ちにとって、貧乏人の生活は「知る由もないもの」である。

一方、言わずもがな金持ちは貧乏人になった自分を想像しません。
ネットで「貧乏 生活」と検索する理由もないため、彼らには貧乏人の気持ちが一切わかりません。

よって『パラサイト』に登場する裕福な一家も、自分たちに仕えている貧乏人をどんどんとやめさせて露頭に迷わせます。その後の暮らしがどうなるかなど知らないし、知るつもりもないし、知ったとしても信じないでしょう。

"ヤング&シンプル"なママは、幽霊の存在は認めても、自分の家に貧乏人が住み着いているなどとは思いもしません。
パパはママとの行為中に貧乏人のパンティーで「コスプレ」しないかと提案するし、娘は貧乏人の彼氏を「自分の家に似合っている」と屈託なく認めるし、息子は貧乏人のSOSに気づいても暇つぶし程度の興味しか示しません。

彼らにとっては、自分たちの周囲だけに存在する「リアル」が全てであり、その裏を疑いもしません。

彼らはエンターテイメントにも物理的な接触を求めるがゆえ、キャンプに出かけ、スーパーへ赴き、パーティを開きます。

そのように閉ざされた世界で、常に「主体」として暮らしているからこそ、何者にも染まらない(と信じる)純粋無垢な人間性を維持できるのです。


【悲しみ3】

貧乏人は金持ちを「可哀そう」だと思っている。

上記で述べてきた2つの悲しみが合わさると、何が起こるでしょうか。

貧乏人が、「広い世界(インターネット)を知り尽くしている自分たち」の現状に誇りを持ち、そんな凄い自分たちとは異なる本物の金持ちを「狭い世界(リアル)で暮らす哀れな人間」と笑い始めるのです。

劇中、そんな皮肉を体現するアイテムが「山水景石」でした。

広大な自然において、ありのままの姿であるがゆえに評価される石。
ダイヤモンドのような輝きも、大理石のような実用性もないために重宝される石。

貧乏人の息子は、この山水景石を抱いて眠り、抱えて逃げ、武器として他者に振りかざします。

彼にとって、山水景石は自分のプライドそのものであり、貧乏人であることの強みを象徴するものです。

そのプライドが、金持ちの友人から託されたものであることも忘れて。そうした強みを認めて「買う」のが、まさに金持ちだけであることも忘れて。自分たちの全てが、現実世界の金持ちに支えられていることも忘れて。

山水景石は知らず知らずの内に「重し」となり、彼と家族を半地下の世界へと縛り付けていきます。

その様は、金持ちの観客からすればファンタジーとして秀逸であり、貧乏な観客からすればヒューマンドラマとして胸に刺さることでしょう。

この残酷かつ誠実な視点と構成が、『パラサイト』を傑作たらしめているに違いありません。

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友人宅からの帰宅後、私は家族へ餃子スープの味について伝えました。

家族はみな、笑っていました。

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