見出し画像

「そして、バトンは渡された」を読んだ


どうしてか、食が物事の真ん中に近い部分で描かれる作品に縁がある気がしていて、はたまたそういうエンタメ、好きだな〜と思うのです。意識して手に取らないときでもなんか巡り合いがちなのは、今年本読む冊数が一気に増えてみて感じるところでもある。


本書、本屋大賞を受賞した2019年に単行本を購入していたけれど積読のまま本棚の肥やしとなっていたところ、7月の課題図書としてページを捲るきっかけをもらったってわけ!ギリギリ駆け込みの感想文!


誰かと暮らすとき、生活を共にするとき、そこには必ず食べ物がある。食事を用意する時間には相手への想いがあって、それを共に囲むときには会話が生まれる。

そういう変わらない食事の時間が日々不安なく積み重なっていくことで家が安寧の場となり、人と人とが家族という繋がりになっていく……様々な家族の形、とは言うけど、食というのはそれを築く一つの基盤になり得る!んだよねぇ。

口に入れるものを用意する暮らしの営みを無意識のうちに軽んじていないこの物語の登場人物みんなが、悪い人じゃないんだな〜と感じられて、わたしはそこに温かさをみた。

朝食夕食、そして夜食。手土産お土産、お茶にお茶菓子。それらを苦労なく用意できる環境であることの幸せは前提にして、その時間が未来に続いていくことを疑わずにいられるというのは、少なくとも「不幸せではない」かぁ〜。

美味しいものを食べたとき誰かに自分の顔を思い出してもらえること、それってとんでもなく「幸せ」なことなんだな〜〜と思ったら、誰かと一緒に食べる時間というのを今改めて噛み締めていきたいかもね。


食べ物に込められるメッセージがあって、食べ物が作る雰囲気があって、今日の食べ物が作る明日の自分がある。食べることは生きること……ってあながち大袈裟な表現ではないと、年々感じるこの頃です。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?