【自分語り日記】大切な人の死をマンガで乗り越えた話
今回はマンガが好き過ぎて、マンガの貯蔵量が60,000冊を越えながらも、毎月新しいマンガを買い漁る僕が、マンガで大切な人の死を乗り越えたお話を記したいと思います。
細かな経歴はプロフィール記事を見ていただけると幸いですが、この記事の概要をお伝えすると「大切な人を失ったこと」と「新たな出会いや想いをくみ取って前に進んだこと」をリンクさせた経験を書いています。
はじめに
今回の記事の中で紹介するマンガ『まじめな時間』は、僕が大切な人を亡くしたことで無気力になっていたときに、前に進む力をくれた作品です。
先日、令和6年能登半島地震が発生し、僕自身も石川県で大きな揺れを体感しましたが、幸いにもケガもなく避難しないといけない状況でもないため、noteを更新し続けています。
この記事を書くにあたって、昨年の12月下旬から下書きをして投稿の準備をしていましたが、現時点の情報として今回の地震で死者180名越え、行方不明者が約120名、避難所で暮らしているたくさんの方々が辛い状況下である中で、この記事を投稿していいのか非常に悩みました。
それでも悲しみに暮れている間にも時間が過ぎていきます。生き残った人たちが少しでも前に進めるように、この記事をしたためたいと思います。
大切な人との出会いと別れ
今から約10数年前、僕には大学1年の冬から付き合い出した彼女がいました。
彼女との出会いは自動車学校で、当時の僕は石川県の大学に通っていて、彼女は岐阜県の大学に通っており、自動車学校の免許合宿を利用して8月頃の夏休みに石川県へ来ていました。
彼女を受付で初めて見たときに一目惚れして、同じだった学科講習を終えたときに僕から声をかけた記憶があります。(いま思えばよく声をかけれたなと思いますが…。)
それから彼女が石川県にいる間の約3週間のうち、3日間ほどしか会うことができませんでしたが連絡先を交換し、まだLINEがなかったのでメルアドを交換して、メールでの短い内容のやりとりを10通もしないぐらいで終わりました。
そのメールで知り得た情報は、僕と同い年で岐阜出身、カレーパンが好きということぐらいでした…(泣)。
彼女の人となりの情報を少し知った程度でメールのやり取りが終わってしまい、そのままメールは自然消滅する形となってしまいました。
そしてその年の冬休み、僕は部活の冬季合宿で岐阜を訪れたときに、泊まっていたホテルで彼女と再会しました。
ホテルのフロントでチェックインを終えたタイミングで、すぐに後から名前を呼ばれ、振り向くと割烹着っぽい服装をした彼女が立っていました。
そのままロビーで少し話すと、彼女の実家がパン屋さんでそのホテルに朝食用のパンを配達する段取りで来ていたとのことでした。
その夜、久しぶりに彼女とメールでやりとりをしていた中で、夏の免許合宿のときから僕のことを少し気になってくれていたことやメール数通で関係が終わってしまったことで冷めたことなどがわかりました。
僕は彼女に一目惚れして声をかけたことや気になっていたけど3週間の中で少ししか会うこともできないので踏み込めなかったこと、そしてチャンスがあるなら想いを直接言いたいと伝えたところ、翌日に話す機会を設けてくれました。
そして僕から告白してお付き合いさせてもらうことになり、石川と岐阜の遠距離になりますが、月に1回は必ず会うことをルールとして交際が始まりました。
そこからしばらくの期間は部活に明け暮れながら、長期休暇は少年自然の家のボランティアに行くことが多く、なかなか距離を縮めることができませんでしたが、月に1度のデートとメールのやりとりを続けました。
そしてその裏で、僕もパンを作ってみたいという好奇心に駆られ、独学でパン作りの知識を学んでいたことを打ち明け、お盆休みと年末年始の部活が休みになりボランティアもない各3日間ほどの期間を彼女の実家で働かせてもらいました。
彼女は幼少期に母親を病気で亡くしていて、父親と妹の3人で暮らしていましたが、彼女の人柄なのか家族の方がとても優しい方だったのか、僕が初めて彼女の実家にお邪魔したときに手厚くもてなされました。
それから彼女との距離もグッと深まり、大学2年の冬休みに彼女のお父さんから、「大学を卒業したらうちで働かないか?娘と一緒に暮らしてもらえないか?」と言われました。
事前に彼女からそんな雰囲気の話が父からあると聞いていたこともあり、彼女と話し合って、僕は大学を出たらすぐに婿養子として結婚することを決めました。
お互い大学2年の20歳で婚約し、アルバイトで貯めていた少しのお金と元々の貯金で婚約指輪を買って、彼女のお父さんからその話が出たときに、彼女と結婚する予定であることとその覚悟があることを伝えました。
そして婚約者としてお付き合いすることになった2010年12月、パン屋さんを継ぐための勉強と彼女と結婚するための資金づくり、そしてスポーツ推薦で大学に行ったからこそ部活で結果を残すことを目標立て、密度の濃い3ヶ月を過ごしました。
まさか2011年3月に最悪の事態になるとは、その当時は想像もつきませんでした…。
2011.3.11の午後1時、岐阜県で1つの交通事故が起こりました。大学生1名が携帯電話で通話しながら運転していたトラックに撥ねられ意識不明の重体。
僕は学校が春休みということもあり、午前中は部活をしていて、昼過ぎに家に帰って昼ごはんを作っていたときに1本の連絡が入りました。
電話をくれたのは彼女のお父さん。声を震わせながら、「娘がトラックに撥ねられ、いま病院に搬送されている…」とのことでした。
僕はパニックになりながらもすぐに岐阜に行く準備をしていた午後3時前、東北で未曾有の災害が起こります。
東日本大震災です…。
ニュースではさまざまな情報が入り乱れ、混乱に次ぐ混乱と関東を含め交通機関も麻痺し、石川には大きな被害はありませんでしたが、岐阜では震度3の揺れが観測されました。
状況が状況なだけに、彼女のお父さんから再度連絡があり、交通機関も落ち着いた翌日でいいので、今日は岐阜に来なくでも大丈夫だと言われました。
彼女の容態が気がかりでしたが、日本中が大混乱の状況のため、一旦落ち着いて行動をとるためにも翌日に岐阜へ向かうことにしました。
この選択がさらなる後悔につながるとも知らずに…。
そして翌日の朝6時前に彼女のお父さんからの電話で目を覚ました。
内容は2つ。
彼女が意識不明のまま亡くなったこと…。
そして、東日本大震災の余震で2011.3.12の早朝4時に長野県で震度6強の地震が発生し、岐阜の一部地域では震度5の揺れが観測され、道に亀裂が入り、建屋もいくつか倒壊している状況であること…、です。
彼女の実家も物が散乱し、パン屋さんとしてのお店も扉のガラスにヒビが入ったりと、地震の影響を受け、道路も寸断されたり土砂崩れで通れなくなったりと、交通麻痺も起こりました。
結果的に僕は彼女の葬式に参列することも叶わず、彼女に会えたのは葬式が終わった5日後のことでした。(葬式といっても、日本中が震災の爪痕に浸り、岐阜でも混乱が続いていたため、亡くなった3日後に火葬場で行われたとのことでした。)
それから何日か経ち、彼女のお父さんと妹さんとたくさん話し合いを重ね、結婚の約束がなくなり僕はパン屋を継がなくなること、高校生だった妹さんは大学進学を諦めて専門学校に行くこと、彼女の夢であった「学校教育の在り方を見直す」想いを妹さんは引き継げないことなどを決めました。
いま思い返せばとても身勝手というか、ありがた迷惑な想いを伝えていのだろうと感じますが、当時は僕がパン屋を継ぎ、持ってる貯金で妹さんの学費を工面しようとした行動は、厚意だけ受け取られ、あとは当事者だけでやっていくという確固たる想いと拒絶感を味わったように思います。
こうして僕は大学3年を迎える直前に、いままでの人生の中でも、そしてこれからの人生の中でも乗り越えられない出来事が起こったようでした。
マンガで見つかったきっかけと新たな出会い
それから1年以上もの間、何も手がつかなくなりました。
いままでの彼女に対する接し方から、あのとき何故押し切ってまで行動しなかったのかという後悔の気持ち、そしてこれからどうすればいいのかというボーッとして何も考えられない感覚…。
彼女の家族から突き放されて、僕の気持ちを向けたい矛先がなくなった虚無感…。
少しずつ気持ちが整理されてきても、ずっとモヤモヤした気持ちが心のどこかに詰まっている状態で、完璧には整理されない自分がいました。
時が経ち、大学4年の夏休みを迎えたそんなときにボランティア仲間の1人の友人から1つのマンガを紹介され、この作品と出会ったことで僕の心は救い出してもらいました。
その作品は『まじめな時間』という、不慮の事故によって亡くなり幽霊になった女子高生の主人公が、自分の死とどう向き合っていくかを軸に、遺された家族や友人たちの向き合い方や心理描写がリアルに描かれているマンガです。
この作品に登場する主人公の植村一紗は自分が死んだことを受け入れらなかったり、自分を偲ぶ友人たちの行動が気に食わなかったり、家族が自分のことをどう思っていたのかを知ったりと、亡くなった一紗の時点から描かれながらも、友人が何故そんな行動をとるのかや遺族の視点で、家族が一紗には日常的で当たり前のことすぎて直接の伝えてこなかったことへの後悔する姿などが描かれています。
巻数は2巻と少ないですが内容が濃く、何よりも残された側の視点で、僕たちはどう捉えたらいいのかというヒントを残してくれている気がします。
僕は作中で一紗の母親が娘の死を受け入れ、納骨してお墓参りしているときにポロッと一紗に向かって呟いた一言に救われました。
この作品を紹介してくれた友人は月刊誌で既に読んでいて、単行本派の僕が彼女の死から1年経ってもモヤモヤしていることを気にかけて、単行本が発売されたと同時に持ってきてくれました。
友人は「俺は大切な人を亡くした経験はないけど、このマンガでそれを擬似体験をした。だからいま大切な人には、恥ずかしくても自分の想いを伝える行動をとるようにしている。だからお前にも俺の想いとして受け取ってくれ。」と、言いました。
そして乗り越えられなくてもいい。それでも前に進めるように、顔を上げられるように、少しだけ気持ちも軽くして、「なんとかやってみる」と思わせてくれました。
この作品で僕が共感した言葉のように…。
そして僕は毎年、彼女の命日の翌日である3/13とお盆の最終日に彼女のお墓参りに行くようになりました。
日にちをずらしているのは、迷惑をかけた彼女の家族に会わないためです。
毎年ひっそりと花がいっぱいになっている彼女のお墓に線香を焚いて、誰にも会わずにお花を少しだけ足して帰ることを数年続けていました。
それから3年後の3/13、彼女のお墓で彼女のお父さんとある1人の方と出会いました。
彼女のお父さんは『君が毎年、命日の翌日とお盆に娘のお墓参りに来てくれていたのを知っていたよ。私はいまでも毎朝ここに来ているから…。そして君が私たちに会わないように日にちをずらしてまで来てくれていることに感謝したい。』…と、話してくれました。
突然の言葉に驚きながらも、自分の想い込みで距離を取っていたことや僕自身の伝えられていなかった想いを拙い言葉で泣きながら話した記憶があります。
そして彼女のお父さんの隣にいたのは、彼女が当時通っていた大学のゼミ教授で、その教授から信じられない言葉をかけられました。
『君の話を彼女から何度も聞いていたよ。学生結婚するとかしないとか、実家を継いでもらって私は大学院で教育学を深めるんだとか、そんな話をよくしていたから。そして昨日の彼女の命日に、お父さんからその当時の彼が明日も来ると思うから会ってみてくれませんかと言われて、君に会いに来ました。もう社会人として働かれていると思いますが、もし良かったから大学院の院生試験を受けて、私のゼミに来ませんか?彼女のやりたかったことができるかどうかはさておき、彼女が見たかった未来を見ることができるかもしれませんよ。』…と。
この出会いをきっかけに、その年から約1年半後の院生試験のために猛勉強して、たまたまですが転職のタイミングと一緒に大学院へ進学し、コロナ禍も途中にあって、2021年に卒業しました。
僕は社会人生活の中で出会った方と結婚して息子も1人いるので、彼女の家族と機会はなくなりましたが、ゼミ教授とは企業のキャリア教育や就活講話、後輩の面倒を見る名目でちょくちょく顔を合わさせてもらいながら、彼女の思い出話を語ってもらっています。
そんな思い出話を聞けば聞くほど、『まじめな時間』での言葉である「乗り越えられる気はしない。一生無理なんだろうけど、まあ……、なんとかやってく。」を思い出し、僕はまだ乗り越えれていないのかもしれないけど、既に乗り越えているのかもしれないなとも思います。
乗り越えたというよりも「区切りがついた」という表現が正しいのかもしれません。
それでも『まじめな時間』という作品に出会ってなければ、前に進む行動がとれなかったと思いますし、いまのような区切りではない形で区切っていたかもしれません。
僕はこの作品に出会えて感謝しています。
まとめ&紹介したい曲
実は友人から『まじめな時間』を受け取ったときに、一緒に紹介された歌があります。
曲名は「空への手紙」、アーティストは「GReeeeN」です。
本当に辛くて辛くてどうしようもないときに、この「空への手紙」を聴いて泣いていましたし、この歌詞からも一歩を踏み出す勇気と、辛くてざわつく心を落ち着かせてくれた歌なので、ぜひたくさんの人に知ってほしい歌詞です。
この曲はGReeeeNのブログの中で「GReeeeNの曲の中で1番思い入れがある」とコメントされたことがあり、メンバーのHIDEさんがファンへの思いを込めて、長い時間をかけて作った曲だそうです。
日々GReeeeNはファンの方からコメントやファンレターをもらっているそうですが、その中に、亡くなった子どもや恋人が「GReeeeNのことが大好きでした」という内容や「お葬式で好きだった曲をかけさせてもらいました」といった内容のものが入っていたそうです。
たくさんの人に愛されていたという事実、そして最後まで自分たちの曲を使ってくれているというたくさんのメッセージを受けて、真面目に真っ直ぐに作った曲が「空への手紙」なのです。
自分たちの歌で、何かが変わるとは思えないけれど、作らずにはいられなかったともコメントしています。
大好きなGReeeeNが自分のために曲を作ってくれたその事実が、何よりの恩返しになっているのではないかと思いますし、綺麗事でなく気持ちに真っ直ぐに書かれた歌詞は、たくさんの人の心を救っているのではないかと思います。
話がだいぶそれてしまいましたが、僕はマンガに命を救われましたし、マンガで一歩を踏み出すことができました。
社会に出ると、学生時代の頃よりも辛いことや嫌なことが多く、本当に塞ぎ込んでしまうような出来事も起こりますし、社会に出る云々の前に大切な人やペットを含む家族との別れがあるかもしれせん。
さらにその別れは、予期せず意図していないタイミングで唐突に訪れるかもしれません。
僕はストーリーのある内容の本を読むことが好きで、それは「いろんな人の気持ちになれるから」という部分があります。それは小説やドラマや映画、アニメなどもそうなのかもしれませんが僕はマンガでした。
そして名言・自分に刺さる言葉を集めることを始め、いまでは60,000冊を超えるほどマンガに熱中し、そしてこの経験を踏まえて、マンガやその作品の中にある名言で誰かが救われる可能性があるならnoteに残して伝えたいと思ってブログを始めました。
あまり興味を持ちづらい内容だったかもしれませんが、自分の気持ちを整理するための日記であることも含めて、この記事を残したいと思います。
石川県で起きた令和6年能登半島地震の現状は、まだまだ予断を許さない状況ではありますし、悠長に記事を書いている場合ではないのかもしれませんが、少しでも前向きに生きていけるためのきっかけになったらいいなと思っています。
それでは今回はここまでです。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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