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チキサニ ―巨きなものの夢―

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2020年5月の記事一覧

チキサニ ―巨きなものの夢― Chapter.22

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 翌日は一日休養することにした。

 ぼくたちは、肩を並べて白樺の明るい森を散策した。

 朽葉の堆積した地面のそこかしこからキノコが頭を出していた。

「ここでは、もう秋がはじまっているのね」
 登季子が感慨深そうに言う。

「もうお盆もとうに過ぎたし、標高が千メートル近くありますからね」

 登季子はうなずいた。

 そして、キノコを見つける度に、腰をかがめて、一つ一つキノコの名前を上

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チキサニ ―巨きなものの夢― Chapter.23

23

 光に全身を貫かれた。

 眠っていたのに、いきなりそう感じて跳ね起きた。

 だが、そこは自分の手すら見えない漆黒の闇だった。

 ただ、テントを叩く激しい雨音と、強風に煽られる木々の悲鳴が森中にたちこめていた。

 体中が分解しそうなほど痛かった。筋肉が悲鳴を上げ、関節は熱を帯びて、骨がきしんでいる感じだ。

(夢を見たのか……)
 ぼんやりと、そう思って、また眠りに戻ろうとしたとき、

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チキサニ ―巨きなものの夢― Chapter.24

24

 厚い花崗岩層に磨かれた雪解け水のように、空気が研ぎ澄まされていた。

 見上げる空が、果てしなく深い。上層は、すでにシベリアに中心を持つ高気圧の勢力圏に入っているのだ。

 森の木々は、高度を上げるにしたがって葉を落とし、幹は厚い角質をまとって、目の前に迫った長い冬への備えを終えていた。

 最初の胸突き八丁の急登は、前回のような苦しさを覚えなかった。登季子も息をたいしてあげずに順調に歩

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チキサニ ―巨きなものの夢― Chapter.25

25

 いったいどれほど時間が経ったのか定かでなかった。

 ずいぶん長い間眠っていたようでもあるし、ついさっき気を失ったようでもある。

 あたりは薄暗かった。だが、夏の日差しを思わせる香りがして、心地良い暖かさに包まれているように感じた。

 そこは、小屋の中のようだった。板壁の隙間から斜めに陽が射しこみ、十畳ほどの小屋の内部に縞模様を描きだしていた。

 土間の床に柔らかいクッションが敷か

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チキサニ ―巨きなものの夢― Chapter.26

26

 翌朝、目を醒ますと、すでに登季子の姿はなかった。

 土間に、おじやのようなものの入った椀と箸が盆に載せて置かれていた。椀を手に取るとまだ温もりがあった。

 ぼくはあわてて表に駆け出した。

 だが、すでに、集落には人の気配がなかった。昨日と同じように、あの老人……長だけがハルニレにもたれていた。

「あんたは、そこで何をしているんだ?」
 長にこちらから話し掛ける。

「風を待ってい

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チキサニ ―巨きなものの夢― Chapter.27

27

 数日間が無為に過ぎていった。

 ぼくが、ここから脱出しようと言っても、登季子は耳を貸さず、そのうち、二人の間に会話もなくなった。

 夜が明けるとすぐ、登季子は出かけていく。他の者たちと一緒に、山に分け入って行き、日没まで帰ってこない。

 長は相変わらずハルニレのたもとで、足を投げ出して、眠って……盟友を待っている。

 ぼくは、毎日、遠くまで足を伸ばして、ここがどこなのか、どこかに

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チキサニ ―巨きなものの夢― Chapter.28

28

 冴え冴えとした月明かりに照らされて、鬱蒼とした森のシルエットが囲む。その中に、大きなハルニレを中心として、ぽっかりと空いた空間。さっきまでそこにあった黒土の広場は消え失せ、短い下草が生えているただの草原と化していた。

 ハルニレの周囲を歩き回っても何もない。山の中に続く踏み跡も無くなっていた。

 ただ間断なく吹きつける風だけが、そのままだった。

 急に寒さを感じた。吐く息が白かった

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チキサニ ―巨きなものの夢― Chapter.29

29

 雲に乗っているような感覚だった。

 白い靄の立ちこめる空間で、ぼくは横になっていた。温水に浸かっているような心地よいけだるさに全身が包まれている。

「もう少しだったね……」
 どこからか、声が聞こえた。

 体を持ち上げるのがひどく億劫だったが、なんとか上体を起こし、あたりを見回す。だが、どこにも人影はない。

「きみも、サヘを飲むべきだったんだ」
 また、声が響く。

 だが、それ

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チキサニ ―巨きなものの夢― Chapter.30

30

「ああ、気がついたかい」
 独特のイントネーション。……北海道なまりの男の声。

 ぼくは、ゆっくりと目を開けた。

 白い空間。消毒のホルマリンの匂い。

 そこは病院だった。

 ぼくは病院のベッドに横になっていた。枕元にいる男が、ぼくの顔を覗きこんでいた。

 体を起こそうと思ったが、まるで自分の体じゃないみたいに力が入らない。それでも無理に起き上がろうとすると、右の二の腕に鈍い痛み

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チキサニ ―巨きなものの夢― epilogue

 柔らかな日差しを肌に感じた。

 瞼を閉じていても、そのほのかな日差しの揺れ具合から、木陰にいることがわかる。

 耳をすませば優しい葉擦れの音も聞こえる。それは、とても懐かしく、そして心地よく意識の芯を刺激した。

 ぼくは、今まで眠っていたんだろうか……。

 瞼を開けようとしたら、光の強さに目が眩んだ。

(どうして、木漏れ日がこんなに眩しいのだろう……)

 もう一度瞼を閉じ、ゆっくりと

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