知識の記録方式 (96) 技術者倫理
世の中はもので溢れています。今日は、ものの安全性と設計者の倫理観について述べたいと思います。
大きなものは原発、化学工場、鉄道、航空機、自動車、建築、玩具、電気製品や小物に至るまで、安全規格は規定されています。
ものの安全において、利用段階での安全性は一番気をつけなければいけないことは言うまでもありません。
企業は利用者との距離が近く無ければいけない。近いとは敏感で反射神経が優れていて欲しいものです。
お客様窓口を設置している企業は多い。しかし、お客様の意見や要望、苦情が安全に関してどのように関連するものであるかが判断できているのであろうか?
多分、受付処理の機能となっていて、問題は、受付られた情報は、どのように社内展開されていくのかにある。
神経がピントしていて末端まで伝達する能力は企業風土によっては、かなりの差がある様に思う。
ものの設計者が一番心配することは、安全性であるべきです。しかし、ものが果たす機能の実現に偏重してしまうと、安全の配慮が疎かになるのである。
倫理観は社会生活の場面だけではなく、仕事をする際にも個人が保有すべき重要なことであります。
まして、自分の設計する製品が市場に広く利用される設計思想においては、充分にチャックされるべきことです。
人類は危険にチャレンジして飛行機を開発するなど、チャレンジも一方では人の役に立つ技術として大きく貢献をしてきた。
しかし、墜落事故は無くなっていない。まだまだ技術の開発が必要なのです。
原発は同じくチャレンジの要素が大変強いものである。しかし、未だどんなリスクが一般人にあるかは伝わっていない様である。
あれだけの事故を起こしながら、想定したリスクに対して、原発の設計構造やシステムの中にどの様な対策が取られているのかが分からないのである。
安全性は一般の人が理解できる様に説明されなければならない。
プロフェッショナルな方だけが理解していても、起こりうる可能性が完全に対策できていると自信を持って言えるだろうか?
要するに言い切れないことがあるはずだと思う。それは設計者が心配しながら図面を書いた段階で脳裏にあったことも含まれる。
あれだけの規模の構造物と物理現象他の組み合わせの巨大装置が完全無欠であるとは思えない。
同じ機能を設計するにおいても、設計者が異なると全く違う設計をすることもあるだろう。
この様に人によって設計が変わること自体に、その製品の技術的な未熟さがある。
全くの飛び抜けた製品が出にくい日本は、ある意味思考が保守的で安全を大事にしているからだと思う。
しかし、一方で、危険が当たり前(素直に危険だと思うこと)であっても、対策が打たれないことも原発だけではなく他にもある。何かおかしな気がして仕方がない。
市場に出てから問題を起こさない設計をするには、設計者が保有する技術力のほかに、何が安全で、どうすると不安全になるかを想像できる力が必要であり、その力は設計者としての素直な倫理観によって認識されるものである。
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