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【初投稿から半年】一本の電話から、高校教師を目指すことになった話。

お疲れ様です。胡桃です。
もうすぐ夏休みも終わりですね。9月から怒涛の授業生活が始まると思うと、先が思いやられます。

楽しみ3割。12月末まで耐えられるかどうかの不安が大半を占めています。
まあ、やるけどね!私は!
1学期耐えたんだからいける!できる!
自分に暗示をかけつつ、そろそろ社会人モードに切り替えていきます。


さて、表題の件です。
noteを始めてから半年以上が経ちました。
当初から周りの環境も、自分自身も大きく変わりました。
変わりすぎて自分でも笑えてくるくらいです。
今この瞬間の感情を忘れないように、書き留めておこうと思います。


2月 -note初投稿-

初めての投稿。
ずっとnoteに投稿してみたくて、初めは自己紹介にしようと思っていました。卒業まであと2か月、卒論に追われつつ春からの生活を楽しみにしていました。

でも、この投稿から1週間ほどで、相手都合で春からの仕事を失うことになりました。正直その通告メールを見た時は、「韓国語で何か書いてるなあ」くらいにしか思ってなかったです。

だんだん実感が湧いてきたけど、卒業間近で留年するのか、就職浪人になるのか、このケースなら25卒扱いで就活やり直せるのか、何を選べばいいのかわからなくて毎日いろんな人に話を聞いていた気がします。

結局、大学の先生が取り繋いでくださって、義務教育学校で講師として働くことが可能になりました。
まさか、結局教員になると思っていなかったので、モチベーションもあまり高くなく不安だったのを覚えています。
まあ、こんな感じ!2月は!


3月 -運命を変えた1本の電話-

3月はイベントが色々あって、卒業旅行のような思い出もたくさんできた1か月でした。ちょうどゼミのイベントが終わった後(3/20くらい?)に、これまた大学の先生から連絡があり、「高校でも講師を募集している」との声がかかりました。

正直、高校の免許はたまたま単位がたくさん取れたから取得できたおまけだったし、高度な学習内容を教えられる自信もなかったし、断ろうと思っていました。
でも、自分の性格の中で好きな部分でもあり嫌いな部分でもあるんですけど、「誰もやっていなさそうな3校種同時勤務をしてみたい」という欲が出てしまって、都合もついたので引き受けることにしました。

当時は、「ここまできたら小学校の先生になろう」と思っていたので、モチベーションはほとんどなかったです。ただ、人助けになるならの精神でした。あとは、もう高校なんかで働くことはないだろうしやってみようという興味。
この経験が後の自分を変えると思っていませんでした。



4月5月は慣れていくのに必死期間でした。

可もなく不可もなく。
試しに、民間転職面接にチャレンジしました。
詳しくは振り返りnote見てください!

6月 -憧れの存在ができた瞬間-

本当に6月はしんどかったです。
幸せめっちゃ逃げていった気がする。たくさん悩みました。

そんな中で、高校の先生の授業を見ました。
目から鱗でした。
私もこんな授業のできる先生になりたいと思いました。
それも、高等学校で。
まさかこんなことになると思っていませんでした。

教採は義務教育学校で出しました。
一次試験も受けました。どちらも合格しました。
それでもやっぱり、この合格を蹴ってでも働きたいのは高等学校です。
辞退しました。

私が結局教員を目指すことになるなんて思いもしませんでした。
しかも高校の先生。
自分が高校生の時からちょっと憧れではありました。
でも、自分にはそんな頭はないから、と勝手に線引きしてしまっていました。
素敵な先生方に恵まれて、目標ができたことがこの半年の中で一番嬉しいです。ようやく、自分の中の「何をしたい、どうなりたい」が見えてきました。



また来年に向けて今からは準備の期間です。
長い年月かかるかもしれない、途中で心折れるかもしれない。
でもそのときはそのときだし、私はなんだかんだやると決めたことはやり遂げてきました。次もやり遂げます。

目標が達成したら、今度は役所勤めでもしようかな!
元々ずっと教員で暮らすつもりもなかったし。
あ、もう一回日本語教師目指すのもいいな、日本人学校で働くのもいいな。

やりたいことが多くて大忙しなの面白いですよね。
まずは目の前の250人以上の生徒を大切に、幸せにします。
その後自分のことを幸せにしよう!

以上です。よろしくお願いいたします。

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