エッセイ 限界と快楽の間の生きものたち
人間はしばしば、自己の生き方について深く思索する。
人間とは何か
何のために生きているのか
筆者は生物の生き方について考えを巡らせた。
生物は厳しい自然環境、つまり生と死の狭間で生きている。
生物は各々が厳しい生存の限界の中で生きている。
なぜそんな苦しい生き方を選ぶのか疑問に思う。
しかし、それは生物にとって自然な生き方であり、その限界が彼らにとって最も安住の地であり、生存戦略なのだろう。
例えば、極寒地に暮らすペンギンは熱帯のライオンやヘビに襲われることがない。
ペンギンの生き方が種の生存に最適化されているのだ。
生物はなぜ生存にこだわるのか。
なぜ繁殖に執着するのか。
繁殖のためにだけ生きているようにも思える。
これらの疑問に答えを探る中で、生物を動かす「プログラム」について考察した。
生物の基本機能である五感を例に取れば、味覚は特に興味深い。
人間は味覚を楽しみのために使用している。美味しいものを食べることは、生きがいの一つでさえある。
だが、動物にとっての味覚は、生命を守るための重要な役割を担っている。危険な食べ物を避けるためのセンサーとして機能しているのだ。
人間が楽しむ「甘味」も、楽しみのためだけでなく、命を守るためのものなのであろう。
筆者は糖尿病の薬を服用しながら、思いを馳せた。
生物は、命を繋ぎ止めるために、あらゆることに執着する。
私たちを含む全生物を導いているのは、単なる生の本能ではなく、「快楽」かもしれないと考えた。
生物は、快楽を求めて行動しているのではないだろうか。
快楽は、生命の本能に深く根ざした、生きることの真の動機である可能性がある。
厳しい環境の中でも、生物は生きる喜びを見出し、その喜びが生存への執着を強化しているのだろう。
人間は食べることを楽しみ、美しい景色に心を奪われ、愛する人との時間を価値あるものと感じる。
視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚の五感はすべて生命を守るためのセンサーだ。その五感を快楽のために使ってるのは人間だけなのだろうか。
生物も快楽を求め、全力で生きているのではないだろうか。
そう考えると、大自然の不思議も身近に感じられる。
限界の中で生きる生物たちは、それぞれが自分なりの快楽を見つけ、そのために命を懸ける。
創造主が考えた壮大なプログラムに感動する。
結局のところ、生物が生きる目的は、単に生存すること以上の何かがある。
それは、限界を超えた快楽への追求であり、生命の本質的な美しさとも言える。
すこし、人間としての生き方を考えてみた。
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