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私の親は毒親「だった」

注意書き①
※虐待にあたる表現が出てきます。
※虐待は絶対によくないことです。


今になって思う。
あの頃はみんなどうしようもできなかった。

3人家族。父と母と私。

みんな生きることに不器用で、伝えるのも、受け取るのも下手だ。
いまでもそうだと思う。

そう思えるようになった。

小学校~19歳くらいまで、父とうまくいっていなかった。
きつい叱責、締め出し、暴言や暴力、ときどきネグレクト。
当時は泣いて叫ぶくらい嫌だった。

母は無力だった。
父を止める力も、私を連れて家から出ることもできなかった。
「しなかった」わけではないと私はよくわかっている。
当時は分からなかったけど、当時の母の気持ちが痛いほどわかるようになった。

そんな環境でひとりにならずに済んだのは周りのおかげ。

友達や友達の親、ネットの知り合い、先生。
みんなに助けを求め、サポートをしてくれる人もたくさんいた。

だからいまここに自分がいる。


※この記事は虐待に対して寛容的な立場での話ではありません。
※もし今現在そういった環境にいるかたは公的機関や相談できる機関への連絡を優先してください。


「毒親」という言葉がある。

多分私の親も「毒親」と呼ばれるかもしれない。
少なくとも昔はそうだった。

なぜ「過去形」なのか。

私はうまくいっていなかった当時の両親の気持ちが理解できるようになってしまった

許す許せないとかそういう感じではないし、怒りだとか憎しみだとかもほとんどない。

なくなった、と言ってもいいかもしれない。


父はカッとしやすい人だった。

そこに仕事のストレスがあったり、家族をひとりで養うことの負担だったりがあって毎日ピリピリしていた。

母も私と同じように調子が悪い日が多いタイプなので、帰宅後に家事をやっている日もあった。

人間関係を築くのが苦手だと思うから、そういうところも会社でのストレスの原因にあったと思う。

それに、なにより私に大きな期待を寄せ、勉学や習い事に打ち込ませたかったのだろう。
それが「どんなに嫌でも仕事をする」というひとつの理由にもなっていたかもしれない。

自分でいうのも変なことだけど、平均には勉強ができて、空手も周りよりほんの少しうまくできた娘だったから、中学で不登校になったあとでも全日制の高校で空手を続けさせたかった気持ちもわかる。

諦めてほしくないとか、頑張ってほしいとか、そういった気持ちが誰よりも大きかったのは父だ。
だから必死に登校させたかったと思う。


母は私のよき理解者だった。

今でも精神疾患のことや何かへの不平不満を話せるのは母だ。

父とうまくいっていないときに、母は母なりに守ってくれていた。
それに気づいたのは比較的最近のことである。

ただ、母は父を止めきれないことが多かった。
母の置かれていた環境では、私を連れて逃げることもできなかった。

父と私が取っ組み合っているのを眺めることしかできない母の気持ち。

「私には力がない」
「3人で暮らしたい」

と母から直接言われたこともあった。

当時はそれが許せなかったけど、そのときの母に今の私を重ね合わせたら多分同じことを言うだろう。

そう言わざるを得ない。

母は今でもそれについて謝るときがある。
そのたびに私も申し訳ない気持ちになるのだ。


父も母も、少し変わっている人なんだと思う。

それは「病気」だとか、「発達」だとかで言い表せるものもあれば、「特性」や「性格」の範疇のものもある。

そして自分は、父と母がそれぞれ持っているそういったものをどちらも受け継いでいるかもしれない。

自分がふたりの気持ちが分かるようになったのは、ある意味での「時間が解決してくれる」といったことだろう。

親になったこともなければ会社員になったこともないけど、少しづつ年を重ねていって、さまざまなことに理解が追い付いてきたのかもしれない。

あのときの親がとった「行動」はよくないものが多かった。
それは事実だと思う。

でも、「親」なりに考えがあったからそういう行動になった、と言われれば、過去の自分を顧みたうえで理解できる部分も多くある。

私は私で未熟な部分が多くて、我儘だったところもあるのはたしかだ。

何年もそう考えていたら、自分の中で
「もう責めなくていいんじゃないか?」と思ったり、
「都合よく親のせいにして今の自分の現状への責任を押し付けようとしていないか?」
と感じるようになった。


なんやかんやで、結果としては今も3人で暮らしている。

昔は各々の距離が近すぎてぶつかり合っていたが、今になっては自分も親も好きなことを好きなようにやっている。

ときどき楽しく話したり、真面目な話も口げんかもして。

ここまでの道のりは長かったが、お互いがお互いを(無理のない範囲で)理解しあって、時間をかけてやっとここまでこれた。

昔より柔らかい顔で笑う母と、その母にたくさん話しかけて一緒に出かける父、今のふたりを私は毒親とは呼べないのだ。


ここまで読んでくださりありがとうございます。

この記事で、私個人の経験や考えの押し付けをしたいなどといった意図は一切ありません。

家族の分だけ悩みがあり、人の数だけ考えがあって、そのなかで私という人間はそういう結論に至っているというだけです。

私はほかの家庭や個人に対して直接何か言及したりはできないし、しないように気を付けていこうと考えています。

誰かがもしこの記事を読んで怒り悲しみ疑問など、なにか思ったり感じたりして、その「瞬間の感情」が未来のその人のどこかに残っていたら嬉しいと思います。

長々と失礼いたしました。

ここまで見てくださりありがとうございます。もしよろしければサポートのほうもよろしくお願いいたします。とても励みになります。