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漆器・焼物探訪記〜輪島、高岡、角偉三郎、少々九谷、高島市古良慕〜

ここのところ精神的に全く安定せず辟易としている。
まず、第一に僕はメンヘラだとかリスカだとか、ODみたいな事が大嫌いで仕方ない。命を弄ぶ権限は誰しもが持つ数少ない"自由"であるが、大体そういう事柄を承認欲求や自意識の延長線上として戯れ続けている人間は、別に死のうが生きようがどうでも良いような愚鈍な人間どもである。
と強がってはみたものの、僕も精神のアップダウンが激しい人間である。きっと、病院や心療内科へ行けばAなんちゃらかんちゃらであるだとか、境界性なんちゃらかんちゃらだの、鬱なんちゃらかんちゃらと診断が下りるような類いであろう。
幸か不幸か、そういう精神的揺らぎに強くフォーカス出来るほどの強烈な不幸体験(虐待、ネグレクト、強姦、イジメetc)が無く、またそこに主体を置く程周りに恵まれなかった残念な人ではなかっただけである。
頭がどうやらおかしいという事を別に誰かに断定されなくてもそんなものは己で分かりきっており、認定の安心など無用であり、抗なんちゃら剤を処方されないと生きるのがままならないほど抗生物質漬けの豚でないというだけである。
しかし、理由が思い当たらない精神低調ほど鬱陶しいものはない。僕は屁理屈と捻れた論理で生きてきた人間なので、理が無く振り回されるという事象ほど耐え難きものはない。辛くなったり落ち込むには常に理由があったのだ。理由が分からないと対処や対策、超越すること能わず、それを受け入れると、また突発的にいつ起きるか分からない、いつまで続くか分からないという事は恐怖以外の何物でもない。

そうか…これが所謂、鬱と呼ばれる人達の気持ちであったのか。
そんな奴ら全員とっとと死ぬか、諦めて奴隷の様に働き続けろよ。弱者乙。くらいに思っていたのだが、なるほど、これはなかなかにしんどいではないか。
だが、それがどうした。生きていくということは辛い事じゃないか。無理くりにでも、被害妄想的にでも理屈を立てて乗り越えねばならない。僕は常に自己研鑽、自己批判を繰り返す強者になろうと佇む弱者でありたい。
ここ1年近くで、とにかく身近に起きた人間関係というか、クソみたいな奴を近しきとこに置いたことによるダメージであろう。
あれだけ「そいつだけは…」「あいつは馬鹿で駄目でしょう」という信頼すべき人々からの忠告、注意を「いや、器小さいな。革命を起こす人間はクズやカスすらも巻き込み云々」と自信満々であった事が恥ずかしい。
クズも、カスも、病気も、異常者も歓迎である。
最低限、仁や義、智、礼を尊ぼう、なるべく堕落者なりに一縷の筋だけは通そうとする侠気の人々であればである。
改めて、忠告してくれた友人諸兄らに感謝、謝罪すると共に、良い勉強になった。今後はもっと偏狭、偏屈であったとしてもしっかり選別、浄化に努めていきたいと思う。

そう、やさぐれているのである。
やさぐれてどうしようもない時には良い物を見に行くしか金と時間を持て余した人間に残された選択肢はなかった。
違法的なサムシングなんかじゃ全く無意味で何一つ解決にはならない。ジャンキーは耽溺するそれらの物しか何も持たない人間が陥るドツボである。
有難いかな、僕はもっとそれよりも快楽、快感を与えてくれる世界を既に知っているのである。

良い物だけは、決して誰をも裏切らない。

【輪島漆器】
前回の九州遠征ではずいぶん陶器を見て周り、耽溺し、蒐集も楽しんだ。
別府竹細工を見て以来、陶器以外の漆器や鋳物を見たい欲が強まっていて、そう思っている折、久しぶりに先輩(彼は漆芸を元々学んでおられた数少ないセンス良き方)と会い、近況を話していると、それは是非北陸を見て回らないといけない。と色々解説されたのもあり、上記の体たらくぶりな己を"覚醒"させるため急遽金沢から我が家に訪れていた友人を送り届けるついでに北陸を周る事になった。
金沢での夜も色々思いに浸り怒りが(世に対する憤りだけがポジティブなエネルギー)が込み上げるような楽しい夜を過ごし、いざ単身輪島へ赴いた。
いくつものショップや販売店を訪ね歩き、美術館へも赴いたが、何が良いのか、何が自分を震わせるのか全く分からない。
やはりある程度好みというのが出てくるためには、より多く名物や傑作を見、文脈や歴史を学んだ上でしか育まれないものなのだと確信に至った事は理屈の正しさをより強固にするキッカケにはなった。
漆器は、その工程の鬼さ故、値段が高く、なかなかノリで買うには手が出ない。もちろん金はある。しかし、ノリで買って良いことなんて何も無い。全くそれは無駄になりえる。九州から帰ってきて、己の蒐集物、日用遣いの品々がどれだけ恥ずかしくなった事か。問答無用で放擲した次第である。
その愚を犯しはしまいと誓って日は浅い。いくつか「まあ買っといてもええやろ」と思えるものもあったが、断念して輪島を後にした。

【角偉三郎】
先述の先輩から話を聞いていた「漆聖」角偉三郎。合鹿椀というデカいサイズの椀に執着して作り続けた巨星というので記憶していたのだが、美術館にあった作品「ジャズ椀」と、銘は失念したが食い違った重箱に痺れまくった。
まずジャズ椀という名前で飯三杯はいける。もちろん由来はフリージャズの演奏に当てられて椀内に漆を飛び散らせた逸品である。
深く調べていないが、元々彼は美術を志し、現代美術に若かりし頃影響を受けたたような人間らしい。
その背景なんかも含めてもう俺好み過ぎんだろう…
彼の息子が作家と工房をしており、その合鹿椀を購入しようか迷ったが買わずにいた事が少しばかり後悔している事である。息子の作品であるから別に何にもないと言えばそれまでだが、あの椀は悪くなかった。金額で多少二の足を踏んでしまうのであるから僕もまだまだ俗物俗臭プンプンな醜き人である。

【高岡漆器】
高岡漆器は現代風なセレクトショップや協同組合が運営する販売店に出向いたが、まあ話にならない。
現代風セレクトショップでは合成樹脂などを用いた椀で値段は陶器に劣らず手に取りやすいものであり、大ぶりで荒々しき椀を二つ購入はしたが、どこの地域でも見られる"バランス"の悪さが目立つ。今と昔、伝統と革新、洗練と崩し、それらのバランスを保ち指導する事が必須でありながら、それこそが一番難しいのである。
そういう境界線上を見れる人間でありたい。

漆器に関して何故北陸は多才にあるかというのを先輩からのメッセージをここに載せておこう。
やはり歴史がそれを必要とし、仕掛け、それを省みられず滅びていくとしたら、一企業や団体や地域ではなく、権力による圧倒的な先導(扇動)が現在には必要だろう。

【九谷焼(セラボクタニ)】

山中漆器を一番見に行きたかったのだけど、旅程と途中レコード屋に寄りすぎて時間を浪費した事で断念。
その代わり金沢の友人から勧められていたセラボクタニという工房+ショップを今様に仕掛けている施設を訪ねた。
建築も売られているものも洗練されており、やはり有名な窯場はこういう仕掛け方ができる。
ちゃんとポップなものも、伝統的な意匠を使った(蛸唐草の細首な花入とか即買いしましたよね。蛸唐草の柄は何故か前々から好き)な物も多く、やはり陶器はある程度、目が肥えてきたというか楽しみ方を分かってきており、ついつい購入してしまった。
九谷、侮るべからず。
名窯は名窯の底力が未だあるのだろう。
こういうポップな物もいけてまう。というかこういう崩し方も楽しめずして何の数寄者であろう。遊び心は一服の清涼剤。


【滋賀県高島市喫茶古良慕】
小松を後にして、一路大阪へ向かおうとしていた時に九谷で買った酒器などで昔の友人を思い出した。
彼女が初めて我々のヤサに遊びに来た時に、持参した錫の盆と、陶器の酒器を共に日本酒を持ってきた人で、その時茶の湯を少しばかり齧り始めた僕が受けた感動は一入であった。こういう振る舞いと驚きを自然としようとしたその心遣いとセンスに痺れた。
そして、その後どうしようもないうだつの上がらない時期を支えてくれた友人らの一人でもあった。
その人が高島市で喫茶店や古道具に関する仕事をしていると前々から聞いていて、定期的に連絡はしていたのだけどまだ訪ねたことはなく、帰路の途中なので電撃的に連絡してお邪魔させていただいた。
その店を経営している社長さんともお話しさせてもらいながら、店に売られている古道具を耽溺し、いくつか見繕って購入。
そして、あの時持参してきた錫の盆もまだ手元に持っておられ、久しぶりに見せてくれた。やはり素敵な人である。
そこで取り扱っている品々は、大体が蔵の解体などで出てきたものだというが、かつての日本人、田舎者達がどれだけ豊かで日常に気を遣ったりもしていたかが分かる。もちろん蔵を待っている程度の中産階級以上であろう。豊かさというのはその物質の選択に宿るのだ。何も分からずマイセンやクリスタルカットのグラスを多用し、デザイン性で選んだわけでもない高級外車に乗って悦に浸るような奴らはその精神において既に賤むべき"百姓"である。

そんなこんなで大量のレコードと、少しばかりの品々を土産に大阪の自宅へ帰ってきた。
段々と、物が増えて来てごちゃごちゃしてきたような気がしてきて、生活感みたいなものが出てきたような気もするし、何も知らない奴が見たらサブカル野郎(笑)の部屋だと罵られるような都市生活者な景色になっている。
しかし、僕は知っているのだ。そういう己の好みと向き合い、蒐集し、神経質になった奴の心中にのみ"タイラー・ダーデン"は育つのである。

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