不連続な複合体 ー レトロタイプへの指向 ー
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不連続な複合体 ー レトロタイプへの指向 ー

 あいちトリエンナーレ芸術大学連携プロジェクトである『U27プロフェッショナル育成プログラム 夏のアカデミー2019「2052年宇宙の旅」』で、チューターとして、制作のアシスタントをさせてもらいました。

 夏のアカデミー(通称 夏アカ)は8月末から集中講義、制作期間を経て、現在展示期間がスタートしており、10/14まで会期は続きます。なぜこのテキストを書いたかと言うと、夏アカに対する感想が主ではなく、私なりに見聞きした「プロジェクトとしての意義」をまとめ、俯瞰するためです。これを機に今回の経験や、アッセンブリッジでの会場構成からアートに関わらず共同して創造することを私なりに整理できると良いなと思っています。

① 序:夏アカへの姿勢と役割

 今回の夏アカで私は講師と受講生、もしくは受講生同士の対話、議論を進める、風通しの良い空間となる交通整備に近い役割だった気がする。さらに創造性をいかに喚起できるか、それについては他チューターの二人のユーモアに助けられながら、進めていた。今回のプログラムは、見える制限、制約は最低限にとどめ、制作する上での条件設定から、土台となるテーマから16人で決定しなければいけなかった。特に制作期間の前半は他用で出勤できず、議事録でしか追うことはできなかったが、その議論でかなり紛糾しているように見えたし、その対話の葛藤こそ今回の展示のフックにもなっていった。そのため、チューターはその議論のディテールを把握することに追われて、カウンセリングのような役割をしつつ、作品を進めるサポートという立場だった。

② 敵対と関係性のオーバードライヴ

 大枠のテーマから展示作品をコレクティヴで製作する関係性には、クレア・ビショップが「敵対と関係性の美学」(※1)で述べるように、共感だけでなく敵対の公共性があり得るべきだ。僕には、目を覚ますような、一部の受講生たちの敵対の宣言(※2)によって、創作の場としてそれまでの議論に比べて一気にドライヴしていくように見えた。もはやこのプログラムのドキュメント(アーカイヴ)こそ、最も鑑賞者には提示しなければいけない、という衝動は受講生全体にあった。

③ 決定権を握らない不連続な複合体

 この集団の中で制作を進める、意見の決定権は誰にあるのか?その疑問を僕は常に持っていた。プロジェクトマネージャー、ファシリテーター、キュレーター、どれも違うだろう。決定権を委ねる動き、そのルールを設定することさえできれば、もっと制作のディテールは向上するのではないか。全員で議論をすり寄せるのではなく、それぞれの小集団の個別の思考をなんとかまとめにじり寄る「不連続統一体 (※03) 」のようなコレクティヴであればいいのだから。全員で決める、集約する、意見を求めることに疲弊しない、決定権を握らないトライアンドエラーを、特に制作に映るラストは機能していたように、見ていて思う。

④ 創造が「先行しない」レトロタイピング

 鑑賞者に問うパブリックな場、史料体そのものを作品にしてしまう社会と密接に結びつく作品・空間に接する機会が多くなった。今回のあいちトリエンナーレでいえば、モニカ・メイヤーの方法に代表される。この作品の態度は、「アーカイヴ的衝動」(※04) の中で、ハル・フォスターが提示した作品の指向性とも関わるようにみえる。その地平に続いてリサーチ/アーカイヴのような創造を先行しない方法を用いた制作のプロセス(=レトロタイピングと呼称)を見せるには、粗雑にならないよう、鑑賞者に伝えられる時に「創造」しなければいけない。(あくまで先行しないというのであって)

⑤ 展示空間 C Lab Aichi

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『C Lab Aichi』は、アカデミーでの「コミュニケーションによる分離」の経験を元に、アカデミー自体を俯瞰で見つめ直す場として展示にする構成だった。それはシリアスに生々しい不和の状態を見せるのか、コミカルに演じてしまうのか。高嶺格さんの最終講評でもいくつかアイディアが出ていたように、色々な状況を見せることが検討できるはずだ。例えば、「コミュニケーション」がそもそもどう成立するのか、観る人の「コミュニケーション」というふわっとした印象を改めるようなリサーチなど、メタな視点のレトロタイプな展示でも、「C Lab Aichi」という作品の指向を創造しなければいけない。

今出来上がった成果物について言えば、コラボレーションでつくることに加え、複合体らしさを出すには、もう少し主体性を喚起するようなフレームが必要かもしれない。absenteeたち(※2)についても、ポーズではなくプロジェクトへの参加、フィードバックに向けてネガティブにならない方法が必要だろう。この実験的なプロジェクトがトライアンドエラーを繰り返しつつ、コレクティブでつくることの可能性をしっかり感じられるよう、それが彼らの将来の制作に向けてひいてはプロジェクトとして育っていくために、どうサポートできるか、制作期間中に考えさせられた。


⑥ 夏アカの先 スタンス、フォーマット
 受講生たちは、このプログラムにそもそも参加する意味、学ぶべきことについて、それぞれのスタンスがはっきり分かれていて、各々がしっかり考えを持っていた。制作することこそ、創造性こそが優先されるべき、共同の在り方を深めるべき、考えること、そのプロセスが重要など、様々だ。そのスタンスをコントロールすることはとても難しいし、作品に直結してしまう要因だった。

夏アカは、本来の個人制作、グループ制作のプロセスにはない、チャレンジングなフォーマット、テーマで、何か共同制作へのモチベーションを持った、ファーストコンタクトの作家たちが創造する。このプログラムは、ポジティブに更新され、洗練されるような方向に向いて動いてほしい。それこそが、作家たちのスタンスや、制作、展示を変えうるフォーマットになることが夏アカの先にある、創造だと思う。


⑦ 制作に向けた補助線
 僕のような世代(90年近く生まれ)は、個人制作のために事務所として看板を立てるのではなく、身軽にプロジェクトタッグ型で共同する体制が多いように思う。一見すると個人の名前が埋もれてしまうような方法ではある。しかし東日本大震災やそれに伴う活動を学生時代に深く関わり、経験し、個人の力のなさ、共同の可能性に加え、レトロタイピング、それに伴う場づくりの重要性を痛感した世代として、「不連続な複合体」は制作のかたちとして定着するようなモデルかもしれない。今回の夏アカは、制作の方法として問題意識を共有し得る、現在的な学びがあった。


※1: 『敵対と関係性の美学』(2004) クレア・ビショップ 著 |この論文においてビショップは、ニコラ・ブリオーの『関係性の美学』、およびブリオーが「リレーショナル・アート」の範疇に含めるリクリット・ティラヴァーニャやリアム・ギリックらの作品が、あくまでも安定した調和的な共同体のモデルに基礎を置いていると批判し、むしろサンティアゴ・シエラやトーマス・ヒルシュホルンの作品に「敵対性」の契機が見られるとして積極的に評価した。

※2:夏アカの会期中、とある要因で集団から独立して作品を制作したグループ。詳細はネタバレになるので、会場でご覧ください。

※3:不連続統一体 |建築家の吉阪隆正が提示した建築もしくは集合、集団形成の思想。

「バラバラだけど、それ全体を形成して、また分かちがたいものであるというような矛盾した関係」http://www.jia.or.jp/resources/bulletins/000/026/0000026/file/eq7I0gRz.pdf

※4:『アーカイヴ的衝動』(2004)ハル・フォスター著 | 2000年以降に急激に進んだデジタル化によってアートの美しさ、目的が転倒しているという「アーカイヴ」というテーマを読み解く、非常に重要な論文。ブリコラージュ、考現学、フィールドワークなど建築にも多いに関わる鋭意的な内容。金沢21世紀美術館の紀要で日本語訳全文pdfが掲載されている。

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