『太陽の王子 ホルスの大冒険』感想書きなぐり

2023年は高畑勲熱が再燃した。
『かぐや姫』を高校生の時に観て感動したが、作品をどう観るのか分かっていなかった僕はその時はその気持ちを放置してしまった。

作品を観るときは3つ重要な見方がある。①キャラクターに感情移入する主観的な見方、②脚本の構成を追う客観的な見方、そして③作り手の人生・体験に物語を見出すメタ的な見方。

①はほとんど9割型の作品で可能な見方で、主人公に感情移入して、周囲の人間との関わりを楽しむことができる。②は少し珍しく、例えば伏線が張り巡らされた作品で、見事な回収劇を楽しむことができる。そして③は一部のメディア露出の多い監督に限り、メタ的に感情移入して楽しむことができる。

ジブリはかなり作り手のメディア露出が多いイメージで、個人的にはブランディングがすごくうまくいっている印象がある。宮﨑駿作品はジブリのその名前だけで映画を見に行く人が多かったりする。『かぐや姫』も難解だがジブリの名前で見に行った人は多かったはず。

一方で本題の『ホルス』は、そんなもの一切無い作品だった。無名の作品で、アニメ黎明期で、稼げるはずもないのにパワーだけは必要な「挑戦的萌芽研究」だった。
「ジブリバフ」のない、最も頭が冴え渡っていた時代の高畑勲×宮﨑駿コンビがどんなものを作ったのかを体験することができる。

高畑勲演出で、冒頭からホルスと狼との白熱した戦闘から始まるが、この手法は今ではほとんど見られない気がする。富野由悠季監督の『Gのレコンギスタ』はパッと思いつく好例。冒頭から追いかけっこで始まると、当然視聴者は完全に置いていかれる。ただし、その演出力によっては「これから面白い話が始まりそうだぞ」という感覚にもなりうる。

ホルスが雪山でロープを掴んで登ると、その先には魔王グルンワルドがいるシーン。急に一人称視点に立つことで、視聴者をホルスと同じ緊張感に巻き込む。

そして、ヒロインのヒルダのキャラクター造型は高畑勲監督の最も得意とする領域。ミステリアスなのに、どこか短絡的な少女性も感じる、かぐや姫と雰囲気が似た女の子。あのキャラクターデザインは宮﨑駿でも、大塚康生でも書けず、森康二さんが担当したと高畑勲本人が語っていた。

何度噛んでも味がするスルメ映画として、思ったことを書き留めておきました。

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