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格好いい大人になりたくて

あたたかい料理を盛りつけるお皿は事前にあたためておくこと。
お刺身はパックのまま出さず、お皿に盛りつけ直すこと。
黄色信号になったときに車のアクセルを踏み込まないこと。
夜のレストランに行くとき、セーターは着ないこと。

そんな諸々はすべて、伊丹十三氏のエッセイが教えてくれました。

どうすれば彼のような格好良い大人になれるのでしょうか…。
彼のエッセイをはじめて読んだのは20代の頃でしたが、そのとき、この人は心底格好いい大人だと惚れ惚れしてしまったことを憶えています。
ページをめくりながら、このひとが「イイ女だ」と認めるようなイイ女になりたいなあ…なんて思ったものです(じつは今もすこし思っています)。

ひさしぶりに『女たちよ!』と『ヨーロッパ退屈日記』を読みました。
読んだといっても、気になった目次のものをパラパラと一時間半ほど読んだだけなのですが、やっぱり面白かったです。
スマートでさっぱりとした文体に、洒落てるなあ…格好いいなあ…と、瞬く間に虜にされてしまいます。
それから、伊丹氏のエッセイは、ただ目次を眺めて、これはどんな内容なのだろう…と想像するだけでも愉しいので、そこもすきです。

伊丹氏の目から見たら、きっと私は「野暮だねえ」なんて言われてしまう筆頭のような気がしなくもないけれど…。
読んでいると、「うわー、痛いトコ突かれたなあ…」とか、「私もかく有りたいなあ」とか、羞恥と憧れの気持ちがどんどん膨らんできて、普段のじぶんを省みるきっかけになります。

だけど結局、表面に出てくるものというのは、服装であれ仕草であれ言葉であれ、そのひとの内面(生き方)が影響しているものです。
充実した中身が表面に滲み出ているような、そんなステキな大人になるのが目標ですが、未熟な私は、まずはカタチ(外面)から入って、それを自分のものにしていくというのもアリだよね…!と開きなおっております。

憧れのひとが書いたエッセイは、カタチから入るときの入門書にぴったりだなあと思います。
なので私も、伊丹十三氏の本たちには、この先まだまだお世話になるつもりです。
ただし、すべてを本のとおりにしていたら、それはそれでツマラナイ大人になりそうなので、本体(私)を引きたてるスパイスのようなつもりで取りいれてゆけたらいいいなあ、と思っています。

 ホーム・シックというものがある。これは一時、人生から降りている状態である。今の、この生活は、仮の生活である、という気持ち。日本に帰った時にこそ、本当の生活が始まるのだ、という気持ちである。
 勇気を奮い起こさねばならぬのは、この時である。人生から降りてはいけないのだ。成程言葉が不自由であるかも知れぬ。孤独であるかも知れぬ。しかし、それを仮の生活だといい逃れてしまってはいけない。

伊丹十三著『ヨーロッパ退屈日記』新潮文庫 P.96

こんかい私がとくに響いたのはこの文章でした。
ホーム・シックに限らず、人生のいかなる場面においても通用する、たいせつにしたい考えかただなあ、と思います。

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とてもひさしぶりに、あたらしい観葉植物を我が家にお迎えしました。
「月兎耳」という子で、その名のとおり、葉がうさぎの耳のような形をしています。
もふもふしていて、とてもかわいいです。
だいじに育てていきたいと思います。