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このnoteもずっと練習なんだな、って思います。

哲学者アランの『幸福論』の箴言をヒントに、私の思いを書きます。

誰だって初めから
上手くいかない
だから
練習することが大事

ミッキーマウス 幸せを呼ぶ言葉 アラン「幸福論」笑顔の方法  P164 
(発行:株式会社KADOKAWA 2014/5/10初版)

 今こうやって記事を書いていますが、いつも書く前に「上手に書けるかな…」って少しだけ不安になります。書くのやめようかな、とも思ったりしますが、どんなすごい作家さんだって、このアランさんだって、最初からうまく書けたわけじゃないんだから、と思って書くようにしています。これが練習なんだな、と思います。練習するたびに、それができるようになるのと同時に、上手くできないかもしれないという不安を克服していくんだと思います。それは本当に日々紙一枚くらいが上乗せされるくらいの成長かもしれないけれど、それでもりっぱな進歩です。そしてうまくできなかったとしても、こうするとうまくできないってことがわかったことが進歩ですよね。目に見える形では何も変わってなくても、目に見えないところでは変わっているのです、間違いなく。目に見えないものがはっきりとわかる何か、ものさしのような、目印のような、そんなものがあったら便利なんだけどなぁ、と思ったりもしますよね。でもとにもかくにも練習です。練習して損することなんてなく、確実に上手くなるんだからそれを信じて。軽い気持ちで続けられたらいいですよね。

 もし、何かに挑戦したくても上手くできないかもしれなくてあきらめそうになっている方がいらっしゃいましたらこうお伝えしたいです。「練習すればいいんです」と。私のこのnoteもずっと練習が続くし、好きで続けているパッチワークも満足する作品ができる日は訪れず、ずっと練習なんだと思っています。それでも少しずつ上手くなるし、それで十分だとも思います。

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 私が最初にnoteに記事を書いた時ってどんなだったんだろう?と思って、今は公開していない最初の記事を読み返してみて、びっくりしました。固すぎる文章、同意していいものかわからない内容、つらそうで苦しそうな雰囲気…。ひょえー!でした。恥をさらして以下に貼り付けておきます。興味のある方はお読みくださいませ。今の私と考えていることがぜんぜん違うし、あーこういうことを考えていたから病気になったのか、とも思います。初投稿でも仕事のことを書いているところがまさに10ハウス山羊座の私っぽくて、なんとも言えない気持ちになりました…。

それでは、今日も読んでいただいてありがとうございました。

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noteの初記事 2018年6月14日←もしかしたらこの前にも記事を書いているかもしれませんが、もう残っていません。
タイトル:人は生きていくのが「仕事」。


普段なにげなく「仕事」という言葉を使っているが、この言葉のもつイメージに負けそうになってる、と最近気づいた。

わたしは40代で、平日午前だけ事務のパートをしている。子どもが学校に入っている時間帯で、しかもパートなのだから、月に数万円の収入ということになる。

このパートをはじめたばかりのときは気にならなかったが、そのうち収入の「額」が気になるようになってきた。

もっと稼ぐほうがいいのでは? と。

これがはじまると心は重くなる。「今している仕事」がなんとなく、あまりよくないもの、に思えてくるのだ。

と、ここで「今している仕事」と書いたが、たいていの人はもっと大事な仕事をしているはず。そう、一番大事な仕事は「生きていく」ということ。その中で、収入を得るため仕事があったり、家事や子育てがあったり、恋愛をしたり、友達と盛り上がったり、趣味があったりなかったりする。

「生きていく」というのが一番大事な仕事で、その他はそれにともなった活動、と言ったらいいか。

「仕事をしていて収入がある」という場合はそれでいいが、
「仕事なのに(金銭として)無報酬」っていうのもあるし、むしろその仕事の方が大事だったりもするのだ。

だから「仕事」っていう言葉のイメージをわたしの中では、

・金銭の報酬があるものを「契約」(ここではパート)
・それ以外の仕事は「活動」(家事や子育て、趣味、楽しみ)

と、置き換えたい、と思っている。

この2つを分けることで、気持ちが重くならないようにしたい。報酬がなくたってやってみたいことはある。報酬だけにとらわれて、身動きがとれなくなったらつまらない。

心を軽くして生きるために、いろいろ試していこう、と思っている。


初投稿記事 ここまで -------

恥ずかしい。

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