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幸せは歩いてこない上に、困難は待ってはくれない

すごい歌詞だよな、と思う。

幸せは歩いてこない だから歩いていくんだね
一日一歩 三日で三歩 三歩進んで二歩下がる

水前寺清子さんの「三百六十五歩のマーチ」より引用

この歌詞を思い出したのは、「わたし、三歩進んで二歩下がりたくないんです」とバチっと言う方と出会い「え、かっこよ!言いたい!」とめちゃくちゃ残っているからなのですが。

幸せは自分から感じにいくものだ!と理解できるようになったのはわりと最近で、ちょっと前までは誰かが与えてくれるもんだとばかり思っていた。

親とか、兄弟とか、友達とか、パートナーとか、会社の先輩とか、「さあ!今いいよ持ってこい幸せ!」みたいな感じだった。しあわせやろうめ。

ああそうか、自分で作っていくんだなぁと気がついてからは、新たな景色が見えるようになった。

それは、幸せのちょっと手前にくる困難というやつは、こちらの事情を待ってくれない上にみんなでくることだ。

お前は来なくていい!と思っても勝手に寄ってくるし、「はい、次の困難の方ー」なんて順番さばいてくれる存在もいないので、

来る時は一気に来る。

小さいことで言えば、うまくスケジュール組んだつもりが一挙にスケジュール変更になり、締め切りがめっちゃ重なる、とか。

そんなときに今世紀最大に体調悪くなる、とか。

そんなときに、また別の問題が発生するとか。


だいたいが、「なぜ今!」なのだ。

どんな仕事であれ、人と人の関わりはあるものだから、自分の思い通りには進まない。

この間はうまくいったのに、今回は全くうまくいかない、なんてことはいつもある。

人とする仕事は、それもまたいきものだからね、これはもう、そういうものだと思うことにした。

いちいちメンタルやられていては仕方がないので(というか自分がやると決めたのでやらないと、なので)、うまくいかない時ほど楽しいと思うようにした。

「ここでの対応が、わたしの引き出しを増やしてくれるぞ」と考え、トラブルが大きければ大きいほど「器を大きくしてくれるぞ」と考え、

トラブルはあるもの。真摯に誠実に解決の術を探すことが、その後の信頼につながると知った。

順風満帆では、その価値には気づけない。たぶん、どんな場面においても、そうなんだと思うんだよな。

そりゃぁもう、んなこと言ってられっか!!と心が乱れる夜もあれば、眠りの浅い夜もあるけれど

ふてくされて投げ出したい時こそ、じっとまっすぐ見る。この場合には、どの選択肢があって、それぞれ選ぶとどうなって、どの姿が一番自分を嫌いにならないだろうか、と考える。

そちらが連れ立ってくるのに焦って、初手を雑にしないで、

「そこで一旦止まれ!」と笛をピピーと吹くように、並ばせる。

そうやっていけば、ものすごく大きな影に見えていた困難も、一つひとつは小さなものが集まっただけかと気がつける。

そんなふうに思って、困難を迎え入れるようにしている。

だいじょぶだいじょぶ、ひとつずつきちんと見れば。そう思って、接すれば、ヤツは意外といいやつだ。

そして、挑戦という名前のやつも、困難に紛れてやってくることが多い。

「いま!!!めちゃ忙しくて!!!あと1週間遅ければもっと準備できるのに!!!」

これも、世の常だなあと思う。

かと言って「来週お願いします」じゃあ挑戦というやつはさよならしちゃうわけだから、掴みたいならそのときに掴まなきゃいけない。

結局得られるものは、「やればできた」という実感だけで、

でもこれが、なかなかに人生を支えてくれるものだなと思っている。

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