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オチのない人生を書きたい

2023年、わんちゃんを迎えまして。

目に入れても痛くないとはまさにこのこと、むしろ目があっただけで抱えているストレスが消えるような日々を過ごさせてもろてます。

飯室です。

おしっこ踏んでもかわいい

昨日更新した記事で、公開当時「耳障りのいい」という表現をポジティブな雰囲気で使っていたのですが、意味が真逆だったことに気がつきました。

耳障り=聞いていて気にさわること。
そうだったのか...たしかに漢字のイメージ、ポジティブじゃないわ。質感ざらざらしてそう。学び。

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タイトルについてなのですが、私の会社では『人生のベスト盤』という自費出版サービスを運営していてですね。

その始まりのきっかけの1つに、タイトルにもある「オチのない人生を書きたい」という欲求がありました。

ことのはじまりは、「書いても書いても人は変わっていく」という気づき。

無宗教派ではありますが、「諸行無常」という言葉は違和感なく受け入れられる価値観で

「この子昨日まであの子のこと親友って言ってたのに、今日から嫌いなんだな」とか、「ずっと一緒にいようって言ってたのに他に好きな人ができたって言われた」とか、「病気を患ったらまるで性格が変わってしまった」とか、

小さなことから大きなことまで、「人って変わるよね」がいつも思考のベースにある方だと思います。

そんな中で、ですよ。

インタビューを通じてどなたかの人生を文章にして閉じ込める仕事をしていた私は、ちょっとした違和感を感じるようになりました。

人って、話した瞬間から変わるんだなぁと。

特に仕事に関する取材で言えば、転職とか独立とか当たり前になった世界なもので、書いた後に急に新しい道が見えて、レッツゴーそちら!みたいなことはめちゃくちゃザラにあるわけです。

自分のことを振り返り話す機会を得たことでそれまでが棚卸しできて、新しい景色が見えるようになったということだから、それはそれでとてもポジティブなことだと思っています。

一方で、少し悲しくなるのは、例えば企業に所属した方がその企業の中で取材を受けた場合。

転職したら記事を消してください、ということがあるわけですね。

ご本人がめちゃくちゃ消して欲しいと思うならそれはそれで、ただ、所属しなくなったらそこにいた時間が消えていくような、そういう感覚がすこしもったいないなぁと思っていました。

所属する場を離れるにはいろいろな理由があって、後を濁さず旅立てる場合もあれば、どちらかがこんちくしょー!と思いながら旅立つ場合もある。

ただ、どちらにせよ、そこで過ごした日々は少なからず本人に影響を与えていて、よくもわるくも結果が0なことはない。

だからこそ、いまのあなたを形作るすべてのもの、という意味で、人生をまるごと本にしたいと思いました。

どの時点もあくまで通過点で、「今の私はこう思う、明日はわからないけれど」という余白を残したいと思いました。

そう思うと、テーマの決まったお仕事の中ではなかなか難しく、思う存分聴いて書く、無理にハッピーエンドにしない、という媒体が欲しかったのですね。

近頃、還暦を過ぎた方への取材の機会が増えました。その中で感じたことは、正解かはわからない、という前向きな諦め。

もし、わたしの人生とはこうだ!と言い切ってしまったら、自分の言霊に縛られて動けなくなってしまう気がして、

無理にオチをつけるのは、フィットしないなぁという気持ちでおります。同時に不安ではあるかもしれないけど。

この考え方も、明日には変わるかもしれない。

だけどさ、いいじゃない。

正論だけで語れないのが、人間だもの。

人生のベスト盤 公式HP
https://jinsei-bestban.com/

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