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話し合う

雨の多い9月ですが、貴重な晴れ間に気持ちの良いショットが撮れました。
あっという間に夏が終わって少し寂しい感じがしますね。


先日、大西つねきさんと松本ひできさんという方のドキュメンタリー映画上映会を行いました。
「灯台の灯り」

「自転車で地球6周して分かったこと」

二人ともとんでもなくオモシロイ人です。
よかったら予告編、観てみてください。

映画が終わったあと、感想をシェアする会を開きました。
その名も「コンシャスネスカフェ」。
意識を交わす会という意味です。
各々がただ感想を言い合って終わるのではなく、みんなの感じたことをそれぞれがキャッチして自分の認識を深める、そんなことを目的にした会でした。

私はそれをファシリテートしたわけですが、これがまた難しい。
…というのも日本ではみな自分が感じたこと、考えたことを表出するのがとても苦手だからです。
黙ってしまうか自分が思ったことを一方的に話してしまうことがとても多い。
「話し『合い』」にならないことが多いと監督の小楠健志さんは言います。
日本人は話し合うことを教えられて来なかったと。
だからこそ改めて学んで実践することが大事だと仰っていました。


話し合うためには…
①自分の身体を話している人に向ける
②「相手が何を言いたいのか」を理解する
③相手の発言を聴いて「自分が何を感じたのか」を認識する
④自分が感じたことを言葉で表現する

という段階があるとのこと。
これを繰り返していくことで段々と参加者の思考が深まっていくと。
(うろ覚えですが、だいたいこんな話だったと思います)
当たり前のようでなかなかできないですよね。
そもそも①からしてできていない人が多いですよね(^_^;)

②も簡単なようで難しい。
相手の話を聴いているようでけっこうあれこれ考えちゃいますよね…。
思考せずに相手の話をそのまま聴く。
どれだけできているか少し意識してしてみてください。

③・④は実践しないとなかなかできないものです。
自分が何を感じているのか。
日頃から自身の内面に意識を向けていないと分からないものです。
それは言葉にできない生の情報。
その生情報を言葉に変換するだけで実はとても難しい作業です。
更にそれを人が理解できる形に整えて発する。
しかも短時間で行う必要があります。

冷静に考えるととてつもなく難しい作業ですね…。
そりゃ日頃から実践していないとできないわけです。


とかく日本では本音とタテマエを使い分ける風習があります。
だからこそ素の自分が感じることに意識を向け、それを表現する…ということをしてこなかったのではないかと思います。

私は個人の自立が問われる時代に入っていると考えます。
「あの人が言っていたから…」というような理由で決めていると簡単に流されてしまいます。
その場合、大抵人のせいにしてしまいます。
価値観がとてつもなく多様化し、大衆についていくだけでは何も安心できない世の中になってきました。
今こそ人の話を丁寧に聴き、自分が感じたことを丁寧にすくい上げ、それを伝える…という作業が必要だと感じます。

繰り返しになりますが、話し合いで一番大事なのは「相手の考えを聴いてどう感じたか」ということです。
そうしないと話が深まっていかない。
ただそれぞれが自分の考えを述べるだけに留どまってしまうとバラバラな方向を向いたままになってしまいます。
自分と相手は違うんだ、ということ。
そして違っていい、という認識。
その上で違うものが重なることで生まれる価値を共有する、ということにとても意義があるように感じました。


ファシリテートする時に意識したのは「人の意見を否定しない」ことと「『〇〇さんの意見を聴いてどう感じましたか?』と尋ねる」の2点です。
否定しないことは当然として、後者はとても話が深まりやすいと感じました。
始めの人の考えに周りの考えを重ねていく。
そうすることで徐々に考えが昇華していく。
そんな感覚がありました。


人と話し合う。
簡単なようで難しく奥深い作業。
そんなに肩肘張らずに何かテーマを決めて話し合ってみるとおもしろいですよ。
映画や本をネタに話すのもオススメです。
人と違うことを楽しんでいきましょ♪

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