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「食事」って楽しい。

こんばんは。

6月になり、完全ではないものの、人出が戻りつつある。
ほしいものをやっと見に行けるうれしさと、これからの生活様式について考えながら行動する難しさを感じながら過ごしています。

さて。
全然関係のないことだけれど、
おそらく、私は一般の人に比べると食が細い。
調子が良ければ1人前は普通に食べられる。
ただ、5回に3回程度は1人前が食べきれないのだ。

実に8割が「1」に満たない。
夜ごはんの前に何か飲み物を飲んだり(例えばジュースとか)、
ちょっとしたおやつを食べようものなら、おそらく100%の割合でその日の夜はその時の自分を恨むことになる。

昔からそうだったのか。

というと、そういうわけではない。
もともとはスポーツ漬けの毎日を送り、弟とは食べ物を取り合いながら
おやつにメロンパンをほおばっても、夜ごはんはがっつりとデザートまで完食する、普通の学生だった。

いつから今のような状態になったかというと
始まりは大学4年生の夏。

もともと暑さに弱く、夏は食欲が落ちるタイプだ。
それでも、たいてい7-9月の間。
10月になるころにはまた、元気になるのが毎年のことだった。

ただ、その年ばかりはそれが11月ごろまで続き、胃が小さくなったのか
食欲は戻っても量が以前ほど増えなかった。
原因は就活と卒論のストレスだったと思う。
それでも、大学での研究は楽しかったし、そこまで深刻になることではなかった。

決定的に今の状態を作り上げたのはおそらく、社会人1年目。

配属先は大炎上プロジェクト。
会社こそ、悪いところではなかったのだと思う。
ただ、組織とはそういうものだ。
1ヶ月経つごとに、人がいなくなりまた新しい人が来て、また消えていく。

その状況下で私も漏れなく、心がやられ始める。
最終的に『こんなところにいてられるか』と思わせてくれる人がたくさんいたおかげで、倒れる前に辞める選択ができたのだけれど。

ストレスとは「食欲増進」と「食欲不振」のどちらにも向かう可能性があるが、私は後者に向かったのだ。

夜遅くに帰り、母が作ってくれているごはんを温めて食べるのだが、
どうも、食べきれない。
たいてい、翌朝やお弁当に繰り越しされることになる。

休みの日、家族とごはんを食べるときも、3口程度でおなかがいっぱい。
さすがに心配されて「食べなさい」と叱られる。
そうなってくると、食事の時間は苦痛な時間になる。

それから数年かけて、少しずつ食べられる量も増え、今に至るのだが。

もともと、飲み会は好きだし、友だちとごはんに行くのも好き。
その空間は大好きだから、もちろん大切な時間なのだけど、
少しずつ少しずつ、回復してきてふと
「ほんと、最近ちゃんと食べられるようになったね。よかったね。」
って友だちに言われた。

その時、私はそれほどに食べられない状態だったのだなぁと実感したし、
高校から私を見てきた友だちはどれほど自分のことを見てきてくれたのだろうと、本当にありがたく感じた。

「食」とは生きることだ。
全てのエネルギーの源だし、食べることでさらに元気に生きることができ、時に人との関わりを深くしてくれるもの。

たぶんだけれど、私は拒食ではなかった。
ただ、食べるということを重要視できなくなってしまっていたのだと思う。
まだ、完全ではないけれど、できる限り食べることに向き合おうとしているところ。

昨今の流れで「食事の時は会話を慎みましょう」なんて言われることもあるけれど、やっぱり食事ってコミュニケーションだから。
少しでも早くこの状況が落ち着いて、みんなで、大きな声で笑ったり、鍋をつついたりが安心にできるように、今はのんびりした時間を楽しむ時間として楽しんでいきたい。

200620

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