見出し画像

目の前の人がハンカチを落としても拾えない私

街を歩いていて、前を歩く人がハンカチを落とした。
駅を歩いていて、前を歩く人が定期券を落とした。

よくあるシチュエーションだ思うが、おそらく多くの人はそんな時、落とした物を拾って、その落とし主に渡すのだと思う。

でも、私はそれができない。

目の前で落ちた瞬間をはっきりと目撃していても、見なかったふりをしてしまう。とても不道徳な行為だということは強く自覚している。しかし、その勇気がない。

小さい頃は、拾って渡していた記憶がある。「気づかず落とした人が大変!」と重い、駆け寄ってその人の肩をたたき、「落としましたよ」と伝えていた記憶がある。いつの間にか、できなくなっていた。

できなくなった記憶に理由を求めていくと、いつもドラマの「電車男」にイメージがいく。

主人公の電車男が、駅でOLとぶつかってしまい、お互いの荷物が散乱する。
慌てて電車男が荷物を拾おうとすると、「私のは拾わなくていいから!!」とOLに強く言われ、しゅんとなってしまう。

「気持ち悪いオタクに私物を触られたくない」という、OLの身勝手な行動を残酷なまでに打ち付けられるシーン。

当時は何も考えず、クスっと笑ていたか。
こんなの電車男がかわいそう!と憤慨していたか。
そこまでは覚えていないけれど。

自分の目の前で誰かが物を落としたら、必ずそのシーンが頭をよぎる。


その話を知人にしたら、「それは考えすぎだってw だって、自分が誰かに落とし物拾ってもらったら、その人のこと覚えてる?『ありがとうございます』っていって一瞬で終わりじゃない?」と言われた。
確かにその通り。一瞬の出来事で、そこまで他人に意識は向かない。

でも、全員がそうだとも限らない。と思わない……?

確かになんでもない人を「かっこいい、気持ち悪い」ですべて判断することはない。

でも、街で自分が触れたくないタイプの人間は、嫌でも目に飛び込んでくるし、そういう人が近くにいたら、できるだけ距離を取る。
あからさまなDQNとか、絡まれたらめんどくさそうなおばさんとか…。そういう存在は、明確な理由があるわけではなくて、本能的に「嫌」と思ってしまう。だから距離を取る。接触しなければ、なにも起こらないのだから。

そして自分自身、誰かにとってそういう「嫌な存在」になっている可能性は十分にある。

それを思うと、どうしても誰かが落としたものを拾ってその人に伝える勇気がでない……。
目の前の人が物を落として、それを自分が視認して、0.1秒の間に、それだけのことを考えてしまう。


相手に「嫌」と『思われた』だけならまだいい。

以前、作り話かどうかわからないが、『駅のホーム、階段を上ろうとするご老人が大きい荷物をもっていて、はこぶお手伝いをしたら、階段を登り切ったとたん『荷物を盗られた』と騒がれた』という話を聞いた。

仮に作り話だとしても、ありえない話ではない。優先席を譲れば「私がそんな年に見えるっていうのかい!!」と騒がれる時代。
やさしさを仇で返されることなど珍しくはないだろう。

いってしまえば、見知らぬだれかに優しくすることはギャンブルに等しい。

ギャンブルに勝つか負けるかを、一瞬で判断できるほど自分は賢くない。


そんなことを考えながら街を歩いていると、単に退陣恐怖症で片付ければ済む話な気も……してくる……ような……。


今日も目の前の人がなにも落とさないことを願いながら、街を歩く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?