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No12.いよいよ手術!術後のリスクとは?恥ずかしがらず紹介するよ

2016年3月28日 手術2日前オナラ出たらOK!?


今日から手術のため入院することになっていた。
朝から多恵子に背中を流してもらい気合十分。
まるで戦国時代の武士が出陣する前のようだった。
病院に着くと早速病室へ向かった。しばらくすると再度手術内容を説明するため、主治医と看護師が病室にやってきた。

「手術と術後の合併症についてもお話しますね」
前回より落ち着いた状態で話を聞くことができていた。

「手術日当日は朝から点滴管理となります」
「手術室に入るとまず術後の疼痛管理のため背中から麻酔のための管をいれます。そのあとは術中に身体管理をするための心電図など装着し準備を整えます。
麻酔が効きはじめるまで約30分~60分くらいです」

「腹腔鏡下で3〜5時間を予定しておりますが、術中所見にて開腹に移行する場合があります。手術が終わりましたらご家族をお呼びし、手術の結果について説明します。術後ICU(集中治療室)で1泊して様態が落ち着いたら、一般病棟へ移ってもらいます」

それから術後に貧血を認めた場合は輸血をすることや感染のリスクがあること。
また腸をつなぎ合わせた部分が十分にくっついていなかった場合(縫合不全)、腸液や食べ物がもれることで、腹痛や発熱を生じる場合、再手術をすること。
手術をすることで腸が癒着(お腹の中のいろいろな所にくっつく)したり腸の動きが止まったりすることで腸内容の流れが止まり、それにより腹痛やおう吐などの症状が出現すること。

リスクの話ばかりで頭がクラクラしていた。
「退院まで約2週間と考えています。正確な日時はその都度、相談させていただきます」「正しく腸がつながっているかの判断は、オナラが出たらOKです」

手術成功の可否がオナラって、少し可笑しく笑えた。
それだけ聞けたらもう十分、あとは手術の成功を祈るばかりだった。


2016年3月30日 大腸がん手術とそのリスク


朝5:30、採血で起こされた。ベットのマットは固く、シングルサイズより少し小ぶりのせいか狭く、ひどく腰が痛い。手術前は胃を空っぽにしなければならないため、昨晩から何も食べていない。栄養は繋がれた点滴からのみとっていた。

沖縄を離れる時、空港に集まってくれた友人たちからもらったメッセージ付きの
写真が飾ってある。これからしばらくの間、こんな生活が続くのかと思うと、沖縄の生活が恋しく寂しくなった。あ〜はやく帰りたいな・・・。

時間になり手術着に着替え、鏡越しに自分のお腹を見ながら思った。
見た目はどこも悪そうじゃないのに、今にも癌が大腸を突き破ろうとしている。
人の病気って見た目じゃ分かんないもんだな。そこには真っ黒に日焼けした
サーファーが鏡の前に立っていた。末期がんになるまで気づかず体を酷使していたなんて、ここにきて自分の体がはじめて愛おしく感じる。
腹腔鏡で手術できなかったら、胸当りからヘソまでL字に大きく開腹手術をすると言ってたな・・・それは嫌だな。
「藤井さん、準備はいいですか?」看護師が車椅子を準備して待っている。
「はい、大丈夫ですお願いします」
僕は手術が成功するよう祈りながら力強く返事をした。

僕は今までにない特別の思いを持って、手術台の上で待っていた。
ベッドの周りでパタパタと看護師たちが慣れた手付きでバイタルサインを測定する機械を体に取り付け、点滴ラインを確認している。いよいよ手術がはじまろうとしていた。目を覚ました時にはすべて終わっている。はやく終わってくれ・・・。
あの忌まわしい真っ赤に炎症した癌とおさらばできると思うと、少しだけ肩の荷が下り気持ちが楽になる気がした。
僕は心の中で何度も「すべてきっとうまくいく」とつぶやいていた。

「はい、藤井さん。それでは今から麻酔のお注射をしますから、チクッとしますね」と麻酔科医の先生。

僕はゆっくり体の力を抜いたつもりでいたが、気がつけば右手の人差し指に
親指の爪をたて、自らの指の痛みを作りながら、背中の注射を待っていた。
この指の痛みに勝る痛みは感じない。これが僕の注射スタイル。
不安を感じ取ったのか、看護師がやさしく手を握り、「大丈夫ですからね」と
声をかけてくれた。その手のぬくもりが僕をホッと安心させた。
顔に酸素マスクを当てられると、「ゆっくり楽に深呼吸してくださいね・・・」
僕は数回も息を吸うことなく、深い眠りについていた。

次に気がついたときには、手術が終わってICUに運ばれている最中だった。
移動するベットの近くで多恵子の声がする。
「あきちゃん頑張ったね、よしよし」「もう大丈夫だからね」
彼女の顔が見えたときには、本当にうれしかった。しかし意識が朦朧としている。うまく言葉が出てこない。そして弱々しくこういった。「うんこ・・・でた」。

お腹の中を二酸化炭素で充満させ、作業空間を作りそこに、カメラのついた細長いスコープを挿入し、テレビモニターを見ながら手術を行う腹腔鏡下では、長時間
お腹の中を触っているため、常にお腹が張った状態だった。そのせいもあって、
トイレに行きたくしょうがない感じだった。大人用オムツを履いているから
いつでもしていいと言われていたがどこか抵抗があった。

お腹のあたりが痛いような気がしたけれど、痛み止めの麻薬がよく効いているのか、少しふわふわしているためそれほどでもない。ウトウト眠ったり起きたり、
トイレに行きたくなったりを繰り返しながら、ICUでの時間が過ぎていった。

がんが最初にできた所(原発巣)にとどまっている場合には、手術でがんをすべて取り除くことによって、治る可能性が高くなるという。
がん細胞は周囲の組織に広がったり(浸潤)、リンパ管や細かい血管に入り
リンパ節やほかの臓器に広がったり(転移)することがある。
そのため手術では、がんだけではなく、がんができた臓器を大きめに切除する。

僕の大腸の悪性腫瘍の大きさは10cmほどあり、隣接していたリンパ節にも転移していたため、大きく円錐状にリンパ節転も含め、大腸のS上結腸部分を30cm切除した。そして直腸と下行結腸をつなぎ合わせる手術だった。

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大腸は、長さは1.5mほどで、水分の吸収と便の貯留・排出などが主な機能。

S状結腸は便を貯める役割があるため、その部分を切除した僕は、一日に何度も
便意を感じることがあった。腸を切除した影響や癒着によって排便が不規則になったり、下痢や便秘、ガスが出にくくなりおなかが張ったりする排便障害が起きたのだった。

多くの場合、手術から1〜2カ月たつと落ち着くというが、抗がん剤をはじめてからは腸が爆発し、下痢と便秘を繰り返し、15分に1回はトイレにいく生活が半年以上続いたときは、これが一生続くのかと心配でたまらなかった。

下痢症状の時は、脱水に気をつけてお腹を冷やさないよう冷たい水分は避け、常温または温かい飲み物を飲むようにしていた。便秘症状の時は、お腹を温めたり、
足つぼマッサージをしてもらい、水分を十分摂るよう心がけていた。主治医から
処方される整腸剤や緩下剤(便を柔らかくする薬)を服用することもあった。

もし排便や排ガスが全くない場合は腸閉塞の前兆かもしれないため、すぐに担当医に相談する必要がある。主治医がいっていた、「オナラが出たら腸がつながっている」とはこういうことだったと身を持って経験することになった。

もうひとつ術後にビックリしたことがあったから恥ずかしがらず紹介しておこう。

「No11.精子を凍結するという選択」でも少し書いているが、お腹まわりの骨盤内には性機能に関係する神経があるため、男性では、直腸がんの手術後に勃起不全や射精障害などの性機能障害が起こることがある。


僕もご多分に漏れず、立たなかった時、がんを切除した結果がこれか!と
男として屈辱的だった。もし妊娠を望むのであれば、手術前に精子凍結をしていた方が焦らなくて済むから是非時間に余裕があるのなら、そうすることを勧めたい。

また女性の場合調べてみると感覚が弱まることがあるが、大きな障害になることはないという。多くの患者が経験する悩みであり、治療などで機能が回復する場合もあるので、恥ずかしがらずに担当医に相談してみるといいと思う。

こうして手術は無事終わったが、これからが治療本番だった。
がん患者が向き合うことになる課題は、治療だけではなかった。
これからはじまる抗がん剤治療による副作用、働いていないため収入減による
生活の不安など、精神的にも金銭的にも困難が待ち受けていた。

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