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No10.余命30ヶ月・・・ってそんな。ドッキリだと言ってくれ

こんにちは。アキです。(@earth0309)



2016年3月22〜24日


福岡に戻った僕を待っていたのは、つま先から頭まで検査のフルコース。
血液検査にはじまり、レントゲン検査、造影CT検査、造影MRI検査、
造影エコー検査、胃カメラ。他にも聞き慣れない検査をいくつか。
大腸がんであることは間違いないが、肝臓にどれくらい転移しているのか
他の臓器に転移していないか調べるためだった。



僕の場合、大腸の4/5周炎症して、腸閉塞寸前だったため
一刻を争う事態だった。大腸がんは切ってしまえば、予後良好と言われるが、
僕の場合すでに肝臓に転移していたためそうもいかなかった。
北海道から着任したばかりの医師で肝臓のスペシャリストによれば、肝臓の血流が良いから抗がん剤もよく効くという。よく効くということは癌も退治できるが
副作用はどうなんだろう?嬉しいような嬉しくないような・・・。

夜、嬉しいニュースがあった。
Instagramの投稿で友人の1人が僕のことがきっかけで、日々の生活を考えるようになったという。僕たちの経験で周りの大切な友人が変わっていく、こんな経験はしてほしくない、僕ひとりで十分だ。家族と話し合い、福岡の病院で手術することが決まった。


2016年3月25日 これってファイナルアンサー?

「血圧150/100ですね、今日は高いですね」と看護師が言った。
今から検査結果と治療スケジュールを聞くから当たり前だった。
今日すべて分かる。最近食欲もなく、みぞおちの辺りがキリキリする。
いよいよ病人らしくなってきたな。関心している場合じゃなかった。

気を紛らわせようと、最近iPhoneでゲームをはじめた。これがなかなか面白い。
ここは福岡の中でも優秀な医師たちがいると評判の病院だった。
だからなのかたくさんの患者で待合室はごった返していた。
予約していても待たされる病院あるあるに僕たち夫婦は、まだかまだかと
ソワソワして落ち着かなかった。朝一で来てるのに、呼ばれたのは昼だった。

「お待たせしました」主治医が診察室へ僕たちを招き入れた。

外科医である彼は、メモ用紙に慣れた手付きで大腸の絵を描きはじめた。その様子は何度も腸を切ってきたスペシャリストだとうかがわせる様子で、少し安心した。
書き終えると、ゆっくりとがんの全容とその治療法の説明をはじめた。

「まず、大腸癌は深さによって早期癌と進行癌と分けられます」
「早期癌とは、粘膜下層部にとどまったもの。進行癌とは、筋層を越えて進んでいるものを指します」
「造影MRIの結果、S上結腸がんステージ4、進行癌でした」
「一般に筋層内にはリンパ管や血管が多く存在し、癌がその内に入ることにより血管リンパ管を通り、全身に広がります。藤井さんもリンパ節転移があり、肝臓に5〜6箇所、大きなもので3cm、転移しています。肺の方にも転移している可能性があり、こちらも3cmくらい、小さなサイズもいくつかありそうです」

多恵子は横で微動だにせず、主治医の一言一句聞き漏らすまいと、話に耳を傾けていた。緊張していたせいもあってひと言も話せない僕の代わりに、
「主人の癌は治りますか?」と、聞いてくれた。これってファイナルアンサー?
僕は飛び出しそうな心臓を、ゴクリと唾と一緒に飲み込んだ。
ドキドキドキドキ・・・
今まさに、死ぬか生きるかの崖っぷちだった。

主治医は表情をゆるませながら少し厳しく、そして冷静にこう言った。
「余命30ヶ月です、5年生存率30%です」
「標準治療、つまり手術・抗がん剤・放射線治療を5年間続けた人の生存率が
藤井さんの場合、30%です」

突然足元でガラガラと音を立て崩れおちていく床に吸い込まれる気分だった。
あぁ・・・やっぱり死んじゃうんだ。しかも生きてる確率30%って・・・
どうすんだよ・・・タッチ画面の効かないスマホのように
フリーズして何も考えられなかった。
真っ白な頭の中に、はっきりと浮かんだのは、死という文字だけだった。

もうオレの人生終わりだ・・・。

順調だと思っていた人生は、すべて幻想だったのか。
「ドッキリ!で〜す」って誰かにいって欲しかった。
「・・・最悪だ・・・」やっと口にした言葉だった。
余命宣告で完全にノックアウト、生きる希望を失っていた。

主治医がまたゆっくりと丁寧に治療スケジュールを話しはじめた。
「治療方法は2つあります。1つ目は抗がん剤をはじめて癌の勢いを止めてから
大腸がん(原発)を切除する。このとき注意があって、抗がん剤を先に
はじめることで大腸がんは小さくなるが、がん病巣は大きく筋肉層まで浸潤(※)
してるから抗がん剤が効きすぎると腸が破裂して、腹膜炎を起こす可能性はゼロではありません」

浸潤(※)________________________________________________________________________
癌がまわりに広がっていくこと。水が少しずつしみ込んでいくように,次第にがん細胞が周囲の組織を壊しながら入り込み,拡大していくこと。似たような言葉で転移とは、からだの離れた部分に癌が飛び火して広がること。
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主治医は続けた。
「2つ目はまず腹腔鏡下で原発をとって、体力が回復しだい抗がん剤治療をする。
手術している間に免疫力が低下して、肝臓の癌が元気になることもあります。
しかし、肝臓の癌はまだそこまで大きくないし、肝臓の太い血管にまで
いっていないのは幸いだね」
「若い人の癌は成長スピードもはやい。腸閉塞を起こす前に手術が必須だね」

どちらを選択するにしても、手術と抗がん剤は避けられなかった。
しかも、まだ肝臓や肺に転移している癌もある。抗がん剤治療を続けそれぞれ癌が
小さくなったところで手術をする。そして再発防止にまた抗がん剤をする。
分かりやすく流れを書くとこういうことだ。

①大腸がん手術 → ②抗がん剤(肺がん小さくするため)→
③肝臓がん手術 → ④抗がん剤 → ⑤肺がん手術 → ⑥再発防止の抗がん剤

大腸がんは隣接しているリンパ節にも転移していたため、広範囲で切除する必要があった。癌はS上結腸にあったので、この部分を切除し、下行結腸と直腸をつなぎ合わせる手術だそうだ。
腹腔鏡手術(※)は開腹手術よりも傷が小さく、回復するのも早い。腹腔内で癌をとったら、おへそを切開し病変を取り出して終わりだという。

腹腔鏡手術(※)_____________________________
腹腔鏡というテレビカメラでおなかの中をみながら行う手術のこと。
おなかを切る手術を開腹術と呼び、腹腔鏡手術は開腹術と比べて、小さな傷で
済むために患者の術後の痛みが少ないことと、それにより
回復が早いことが一番の長所。
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日に日にお腹も痛いし、下血が酷くなっていた。もう待ったなしの一本勝負。
頭の中でウーウーと警告音が鳴り響く、「大腸がん直ちに手術せよ!」
その横でパタパタと数字がゆっくり減っていく。死のカウントダウン。
「のこり29ヶ月と29日」
どうすればいいの?と嘆いたとこで明日は待ってくれない。
自分の体力を信じ、腹腔鏡下で原発を手術して抗がん剤をする選択肢以外
他に見つからなかった。半ばまな板の上の鯉の僕、3月30日に手術をすることが決まった。


「たえちゃん、ごめんね・・・よりによってこんな日に」

今日は多恵子と付き合って9年記念日で結婚して4年が経とうとしていた。

本当なら2人で、お互いお気に入りの一張羅に身を包み、大好きな寿司を大好きなシャブリと一緒に楽しみ、9年間の思い出を振り返りながら、これから先の楽しみを語り計画する日に、僕たち夫婦は余命を告げられた。
言葉にならない・・・。

「たえちゃん、ごめんね・・・よりによってこんな日に」
僕は彼女を幸せにできていない不甲斐なさと、これから先も一緒にいれないかも
しれない切なさの間で、悔しくて涙があふれ出した。
「ひどいよな・・・」、「余命30ヶ月で、治療しても30%だってよ」
僕の癌のパターンは、30年前だったら手の施しようがない類だったらしい。
しかし、今は治る見込みもあるという。

「手術して抗がん剤して、体力があるといっても大丈夫かな」
やっぱり不安でたまらなかった。「どうしたらいいんだろうね」
治る?治らない?、死ぬ?死なない?
頭の中を死神が大きな棒でグルグルとかき混ぜ僕を混乱させていた。

僕は生きるテンションが落ちていってるのがわかった。
10人いたら7人が亡くなって、3人が生きてることか・・・
その僅かな確率に入るとは思えなかったし自信がなかった。
がん宣告を聞いた頃の「なぜ、オレなんだ!」という怒りから、もう彼女と一緒にいられないかもしれないという切なさへ、無力感が僕を襲っていた。

「今まで楽しかったね。ここまでよく頑張って生きてきたと思う、これも運命で
仕方ないのかな」「もう死んでもいいかもしれない・・・」
余命宣告、しかもステージ4で全身に転移している・・・仕事も順調で
毎日サーフィンもできた日々に後悔はなかった。
彼女は下を向いたままグッと唇を噛みしめ、
ジッとただ黙って僕の弱音を聞いていた。「・・・ごめん・・・」。

しばらく沈黙が続いた。

「・・・あきちゃん、聞いて」
精神のどん底でさまよう僕に、気持ちを立て直してしっかりした声で彼女はこう言った。

「これまでも2人で国家試験や首の骨折なんかも乗り越えてきたじゃない。
まさか9年目でこんな状況になっているなんて、21歳の私が知ったら、お付き合い遠慮しますって言ってたかもしれないけどさ、9年間の絆は他のどの夫婦よりも
強いでしょ。今は1秒でも愛おしく感じる。余命30ヶ月・・・
絶対乗り越えよう」

お互い真っ赤に充血させた目をしっかりと見つめて、大きくうなずいた。
そして彼女が力強く
「ここからが本番!絶対、死なせない!乗り越える!それだけ!」とまっすぐ僕の目を見て言った。

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