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No2.僕たち夫婦は大学で知り合ったんだ

癌になるまでの人生はいったい何だったんだろうと
振り返ることが多かった。


思うがまま人生を送っていたのかもしれない。
今思えば上出来の日々だったのかもしれない。
いや、首の皮一枚でいつもギリギリの人生だったのかも。

僕たち夫婦は、大学で知り合った。

妻(多恵子)たえちゃんも僕も薬剤師を目指していたんだ。
僕たちは福岡にある薬科大学に通っていた。
共通の知り合いがいたこともあり、すぐ仲良くなった。
彼女は1級先輩だったので、僕は同級生の友達よりも可愛い先輩と
勉強することで試験勉強のモチベーションを上げていた。

いわゆる、助平根性ならぬ、スケベ根性丸出しってやつだ。
まぁ、大学生によくある話だ。(笑)

でもその介あって、テスト期間中、毎晩遅くまで一緒に勉強したおかげで
単位も落とさず、留年することなくストレートで4年生(当時薬学部は4年制)
まで進級することができた。(当たり前の話か。笑)
色んなファミレスで勉強していたのは良い思い出だ。

僕たちはとても気があった。
共に海が大好きで、彼女がはじめてサーフィンをするため
宮崎へ行ったサーフトリップを思い出す。
宮崎の幸島に向かう長い下り坂。13年くらい前かな。
この時から一緒だったんだ。余談だけど、この写真を見て彼女のお母さんは
この子と何かあるなと勘が働いたんだって。
それから5年後晴れて結婚することで証明されたんだ。
母親ってスゴイよね。(笑)

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そんなこんなでよく宮崎に友達とサーフトリップにも出かけた。
飲み歩くことも大好きで、好みの音楽まで一緒、クラブで朝まで盛り上がり
踊り散らかしていた。
当然のように僕たちは仲良くなり付き合うことになったんだ。
ここだけの話、舞い上がるように嬉しかったよね。
それからほとんどの学生と同じように学生生活を楽しんでいた。
サーフィンかクラブか飲み行くか。そんな毎日だった。

薬剤師になるための国家試験は本当に大変だったが、
先に薬剤師になっていた彼女のサポートのお陰で無事合格することが出来た。
本当に僕にとっての天使でアゲマンなんだ。何もかも順調だった。
福岡で就職していた僕たちは将来のことを話し合っていた。

彼女の希望は、大きな犬を飼い一緒に家の中で暮らすこと。
僕の希望は海の近くに住み、毎日サーフィンができる環境で暮らすことだった。
僕たちはお金はなかったが、自分たちの夢を叶えるために一生懸命働いていた。
そして、結婚する約束をした。両家の顔合わせの日取りを決め
その日を楽しみにまた一生懸命働いた。

当時、勤めていた薬局はとても忙しかった。
新人薬剤師だったボクは、専門生を高めるため、西洋医学、東洋医学様々な勉強会に積極的に出ていた。日々の薬局の業務はもちろんのこと、新米薬剤師の
僕にとって覚える薬の知識は気が遠くなるほど多かった。

忙しさは自分が立派な医療従事者になるために必要な階段を一歩ずつ歩んでいるようで誇らしく感じていた。薬剤師は、患者やスタッフから先生と呼ばれる。
だからその名に恥じないよう一生懸命になっていたのかもしれない。
あまりに仕事中心の生活を送っていたためだろうか、
ある日、ボクは大きな事故を起こしてしまった。

P.S.
15年くらい前かな。
宮崎の幸島へ続く坂道。
ツーショットはこれがはじめての写真じゃないかな。
この日は、貸し切りだったっけ。
面ツル腰くらいだったかな。
トイレが近くにないからNOGUSOしたことは内緒ね。
いやいや、食中毒だったからね、このサーフトリップ。
あれから15年。
お互い薬剤師になって働いて
結婚して、海好きで移住して、病気して
泣く泣く帰ってきて、いろんなことあったけど
また宮崎にいるよ。
ほんとサーフィン好きだね。上手くなったしね。
これから僕たちはどこへ向かうんだろうね。
また15年後もサーフボード持ってウロウロしようね。
今日は、いい夫婦の日(2019/11/22)だって。
いつもありがとう。
これからもよろしくね。

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