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【プレゼントの本質】プレゼントを贈り合う意味が分からない人へ

誕生日プレゼント、クリスマスプレゼント、バレンタイン、ホワイトデー、結婚祝い、出産祝い、昇進祝い、快気祝い、父の日、母の日、長寿祝い。


プレゼントは割とイベントごととセットではあるし、時にはプレゼントがイベントのメインということもあるんじゃないかな。


今、プレゼントに抱くあなたのイメージはどんなものですか?


嬉しい?めんどくさい?楽しい?義務感?桃?


思い返して触れてみれば、子供の頃のプレゼントにまつる思い出というのは見事にどれも温かい。


おもちゃ屋さんのちらしを見つけては欲しい物にぐるっと丸をつけたり、お目当てのおもちゃCMを見るたび親にも見せようとしたり、会ったこともない私にプレゼントをくれるサンタさんへの好きが高まって50音表を頼りにボロボロのひらがなで精いっぱいお手紙を書いたり。


過去の自分と言えどあまりに愛しくて、この子を今すぐ抱きしめたい。
手を繋ぐから私だけが親を独占できた誕生日前のおもちゃ屋さん下見デートなんかは嬉しすぎる思い出だから、アラサーの涙腺には堪える。

世間はこれを老化と呼ぶ


プレゼントにまつわる思い出と瞳がもれなく輝いていた子供時代、私は無敵だった。


悲しいが、それも大人になれば話は違ってくる。


当然「お返し」の概念が身に着いた。


自分でお金を稼がなくてはいけない時代、「大人」に突入する。


いつまでもちょっと貧乏な暮らしから抜け出せない私の損得勘定はどんどん速くなった。


自分を生かすので精一杯な日々は、節約の二文字を太字にするし、人との繋がりを軽視させるし、思い出を振り返る時間も首の可動域も狭くさせた。


他人に贈り物をしたいと思わせる心の余裕なんてどこにもなかったのだ。


プレゼント交換ってお金がただ移動するだけじゃないの?リクエスト制なら自分で自分に買った方が手っ取り早いし、サプライズならお金と引き換えに捨てるに捨てられないような要らない物が増えるリスクもあるし、というかなぜこうも人類はプレゼント交換に魅了されているのか、と世界にさえ悪口めいた目線を向けるのだった。
過去の自分抱きしめたいとか言っていたが、正直このnoteの導入を考えるまですっかり忘れていた思い出たちだ。
無敵時代の輝く瞳は見る影もなく、物価高騰の波に目の光をさらわれてすっかり別人になってしまったというわけだ。

鏡に映る立派に薄汚れた瞳の女は一体誰なのだ。






ところが、大どんでん返しをしてのけた人物が現れた。


今の恋人である。


私の誕生日にあろうことか彼はプレゼントを用意していなかったのだ。


ばつの悪い顔をする彼に私は一つ、プレゼントのリクエストをした。


今後も誕プレ交換をするならお互い高い物ではお財布がもたないだろうし、忘れてたってことは彼にとってこれから急な出費になるから可哀想だし、貰うからには私もお返ししないといけないわけで優しい金額の物が良いし、欲しい物を普段の会話だけで調査するのは至難の業だし、見てこの可愛いけどもばつの悪そうな顔を、彼も挽回する機会があった方が気分が良くなるだろうし、金銭的にあまり負担にならない程度でリスエストするのがいい気がする、あとどうせなら私も本当に欲しかった物が欲しい。

この間、思考0.5秒


考えた末、リクエストしたのは3000円の品。


それは普段の生活を優先して何度も後回しにしていた憧れの品で、後日無事に彼の手から私に贈られた。


この日から私のプレゼントに対する冷めた思いは少しずつ毛色を変えることになる。


受け取ってからというもの、彼と彼との時間を思い出す頻度が明らかに増えていったのだ。


準備するのを忘れて斜め下を向く彼のしょんぼりシルエット、一緒に食べたケーキの味、誕生日に晴れやかでいてくれた空の明るさ、誕生日おめでとうの声色、恥ずかしそうにちょっと不安そうにプレゼントの袋を持つ彼、自分が思うよりプレゼントを貰うことが嬉しくて動揺した勢いで大声のありがとう!を放った私を見て笑う彼の下がった目尻、なんでもない日の彼の静かな横顔、初めて出会った日の私の緊張っぷり、不満を彼にぶつける前に自分の考え方を変えて成長できた自分を褒める気持ち、そして、彼のお誕生日には何をしてあげよう、彼ならきっと喜んでくれる、そういうことがぽこぽこと無限に思い起こさせる。

もう、桃とか剥いてあげたい



貰ったプレゼントを目にした時、手にした時、贈り主の顔が浮かぶ。


私の口角が重さを捨ててふわっと上を向く。


胸の奥にじんわり滲むように広がったあたたかみに癒されていく。


これを3000円で買えただろうか。


リクエストした品は人気こそあれど、お金を支払えば誰でも手に入れることができるものだ。


同じ品を3000円出して自分で購入したとして、愛情と感謝の念に満たされる心地の良さ、桃を剥かせて欲しいと願うような類の強い情熱は手に入れられただろうか。


桃って美味しくて大好きだけど、食べるまで面倒ランキング上位入賞常連って感じなので、私が桃を剥いてあげたい!というのは特級の愛情表現である。

独特な愛情スケール


プレゼントを交換するのは、決してお金の移動なんて低レベルな話ではなかったのだ。


感謝、愛情、友好の証、私を思い出してね、そういうお金で買えない実体のない何かを実体のある品物に背負わせることで、目に見える形にして相手に贈ることができる高尚な行為だったのだ。


そうして贈られたプレゼントは、贈り主を思い出させるきっかけの装置となるし、離れていても贈り主と私を媒介する物になるし、きっと宝物になる。


プレゼントを貰ったことで彼を思う時間が増えた結果、自分を生かすので精いっぱいだった日々は優しく穏やかな時間に侵食されてまろやかになっていく。


物価高騰の波にさらわれた光を彼がちょっとずつ私の目に呼び戻してくれる。


彼からのプレゼントが私の手の中にあるなら無敵時代が再び幕を開ける、そういう予感がする。





過去の無敵時代の私には「どうかそのままでいて」とお願いしたいし、誕プレ交換とかお金の交換してるだけじゃんwと単芝生やすくそがき時代の私には「斜に構えるな。友達減らしやがって」と一言言ってやりたいくらいに、考えが変わった。


効率厨ぶって人に話してきたが、人情終わってるだけの人じゃん、うわ~~~~やめて~~~~~恥ずかしい…!

中二病・自己紹介




どうでしょうか。


プレゼントの本質はお金や下心とかではなくて、お金では買えない「貰った人の心を癒す」見えない物の方だったと私は思うのです。


今、プレゼントに抱くあなたのイメージはどんなものですか?



余談だが、恋人のことが好きか分からなくなった際に「まだ恋人に桃を剥いてあげたいと思うか」を自問自答することは非常に有効な手段になりえる。

桃リトマス試験紙


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