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自分を褒められなくても大丈夫

こんにちは。デイジーです。訪問ありがとうございます。

無視や外しのパワハラは、受け手の自己肯定感を奪うケースがあります。そんな時「今の自分を大事にして褒めよう」とアドバイスを受けたことはありませんか?


1.自分を褒めるのは難しい

「自分を褒める」ことは、多くの場合、自己肯定感を高めるのに役立ち、ポジティブな気持ちになるためのステップと考えられているようです。

しかし、長期にわたり無視や外しのパワハラを受け続けたことにより、原因がわからず自分を責め続けた結果、周りの視線が気になるほど仕事に集中できず、自己肯定感が低くなってしまった状態で「自分を褒める」というのは本当に難しいことです。

2.パワハラ職場の往復で生まれない肯定感

無視や外しを続けている私の上司は、役員や他の部門との会議の場などの「他人の目」がある場所では、必ずといって言いほど「私のことを心配している」感を全面に出し、私がまるで上司の下で普通に仕事をしているかの如く説明を平然とすることができる人です。

その一方、私個人に対する対応は全く別でした。透明人間のように扱い、すれ違っても無視。視線を合わせようとすらしません。

無視・外しは、証拠を出しにくいことを痛感しました。長年の外しで精神的におかしいと感じたとき、心療内科医が会社に相談してみたら?とアドバイスをくれました。そこで、会社に、上司による無視が長年続いていることを説明しましたが、会社は最初から上司を擁護する態度で、あなたのとらえ方が問題では?という言い方までされました。

その時に感じたのは、無視・外しが行われると、被害に遭うのは受け手である私だけ、加害者である上司は無視・外しをやりたい放題、しかも自分は「何もしない」のだから加害者という意識すら持っていない。会社は、無視・外しという証拠が出しにくい事例を一社員の訴えで調査する気はなく、上司を罰しないどころか、被害者の考え方が問題だったとしてもみ消す、更に言うと、そういう体制の会社が嫌なら、被害者が会社を辞めれば済む、といったスタンスを悟りました。

世の中の会社すべてがそうではないと信じたいですが、少なくとも現在の会社の態度はそう見えました。上司のパワハラに苦しみ、体調がおかしくなり、相談しても会社は耳を貸さず、自分を責め続ける中、自己肯定感を上げるために「自分を褒める」というのはなかなかできないことでした。

3.無理に自分を褒める必要はない

それと同時に、このような環境下でパワハラの被害者で居続けることは非常に自分の時間を無駄にしている、と思うようにもなりました。

最初は、無理しても自分のいいところを探し出して何か褒めようと思いました。何を褒めよう、と考える毎日でした。しかし、考えても考えても同じアイデアしか浮かばず、毎日同じようなことで自分を褒めるのが、無意味なことのように思えました。性格的に同じことを繰り返すのが苦手なことも災いしました。

4.自分を褒めずに「認める」

そしてたどり着いた私なりの改善策が「認める」です。自分を褒める作業は、一日の活動から良いところを見つけ出す必要がありますが、そうではなく、その活動で一日を過ごした自分を「認める」だけです。

一日活動してよかったとか、悪かったとか、改善が必要だったとかの評価は一切しません。自分の活動を少し思い出して「今日一日活動お疲れ様」というスタンスで「認める」のです。無視される一日、キャリアアップに全く作用しない単調な仕事を評価するとマイナスしか浮かびません。ですが、それはそれとして、一日過ごした自分に「お疲れ様」それでいい、というスタンスに変えました。

自己肯定感が低い中で「自分のいいところを見つけて褒める」ができなかった当時の私が、代わりにしてみた試みでした。自己肯定感を上げる一般論としては正しくても自分に合っているとは限りません。私は、褒めることを探せず、逆に自己嫌悪になっていました。そこで、褒めることが見つからなくても活動したという事実だけに着目して、今日はこんな一日だったなと「認める」ことにしました。

嫌な日があっても、「認める」だけなので、あれこれ考えず、「こんな一日だったな」だけで済み、自己嫌悪も自然に減っているような気がしました。

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ここまで読んでくださってありがとうございます。自己肯定感を上げるための本や動画はたくさん出回っていますが、なかなか自分に合った方法を探せない方も多いと思います。私もそうでした。たどり着いたのが、いろいろな情報を参考にしても、できないところはあきらめ、自分なりにカスタマイズする方法です。こんな方法も選択肢としてありではないでしょうか?


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