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東北

銀杏BOYZをApple musicでランダム再生したら、"銀河鉄道の夜" が流れた。
小学生の頃、総合学習とか国語で宮沢賢治の本を探してこいと言われて、図書室に入り浸っていた甘い時間を思い出す。

北東北の田舎で生まれ育った。

年明けには、毎年手作りのごまだれと胡桃だれであえた手作りの餅を少しずつ消費する。
時々電子レンジで秒数を多く設定しすぎて、サランラップが餅と一体化するのを煩わしく思っていた。

消防署の上の、ちいさな学童ではミズキ団子を丸めた。正直当時は小うるさいと思っていたおばあちゃん先生に言われるがまま、緑、白、ピンクの餅を枝につけたが、その後のお楽しみ会での矢島美容室を踊った男子たちのほうをよく覚えている。

家の近くには和牛のひしめきあう牛舎があり、
温かいのでよく冬のかくれんぼの穴場にしていたが、おしりを鼻で撫でられては、鼻水がついたと大騒ぎした。

夏になると、祖母がひとりで育てるには広すぎる庭がいきいきとしはじめ、毎日食べきれないほど採れるミニトマトやきゅうりばかりを食べておなかを下した。

祖母は野菜とともに、たくさんの花も育てており、いつも仏壇の前は新鮮でカラフルだった。
水を替えるたび、「かわいかべ?」と聞かれて、んだね、と答える。

秋になると、枯れて種をつけた枝豆を叩いて中身を集める。過ごしやすくなった縁側でサスペンスを見ながら、虫食いのものを選び取ってよける。

我が家の田んぼの横はいつも犬の散歩コースで、
大きな、燃える岩手山を見ながら歩くと、道にはトラクターが落としていった堆肥のかたまりと、藁なのか稲なのかわからない草が落ちている。

そしてまた冬が始まると、除雪車が来ないと敷地から出られないほどの雪が積もり、背中を通して紐で繋げられた手袋と、ポンポンが踊るニット帽、上下に繋がった赤とピンクのスキーウェアを来て、散々に遊んだ。

やがて中学生になり、高校にあがり、
最寄りのイオン(しかも一階建てで半分は産直)までも車で30分、
登校に使うローカル線は3時間に1本しかないことにうんざりし、
県の中央に住む、ませた同級生が得られる娯楽にすら簡単にアクセスできない事実を思い知らされて、絶対にここを出て都会へ行くんだという意志を固めた。

今でこそ、あの時、あの片田舎でしか得られなかった経験に助けられることが多くあると思える。
東北を舞台にした小説や、写真集、エッセイから思い起こされることがひと一倍あって、しかも鮮やかだ。

東北の隅に生まれ、一度は嫌ったこともあるけれど、やっぱり東北が好きだ。
文化が街とともに生きていて、言葉どおり、地に足をつけて生きている感じがする。

歳を重ねるにつれ、自分が骨を埋めるのは、東北でいたいと強く思うようになった。
人がどんどんいなくなってゆく東北を見つめて、自分ができることはまだ何かわからないが、
東北に思いを馳せる人がいる限り、まだ東北は死なないと思う。

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