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インドの経済政策

中国と比較されるインドの経済についてお話をしたいと思います。経済発展の激しいインドですが、実態があまり知られていないのも事実でしょう。インドの経済政策の特徴は、テクノロジー分野の発展とそれを支える教育制度と道徳観の伴った企業家精神で説明することができます。

インドの経済政策

インドは、世界でもっとも人口の多い民主国家であり、この民主主義体制は、インドで深く根付いているカースト制の問題に対してもアプローチを行っています。カースト制の下位に属すグループにも投票権を与え、社会的な流動化と平等のために制度的な枠組みで議員を確保していたりとしています。
このような政策は、欧米諸国の不安を和らげることに役立っています。
実際、インドの政治体制は、イギリス植民地時代の遺産の一部が残っています。この体制は、すべての人に対して権利と個人的自を保証しており、議会と選挙における少数党の存在も保証しています。イギリス統治時代がよかったわけではありませんが、多くのプラスの要素を導入したことは確かです。その大きな遺産が言語でしょう。およそ3億5000万人のインド人が流暢な英語を話すことができます。これが強力な競争優位であり、これによってインドはビジネスサービス分野のグローバルセンターとなることができました。
欧米諸国(特にアメリカ)はは「オフショアリング(業務の一部をを海外へ移転させること)」を目指す競争として、インドに特別な資源を置くようになります。コールセンターをインドに設ける事で、24時間体制のコールセンターを作ったり、ファイナンス分析、統計、及び法的コンサルティング、金融コンサルティング、医薬品向けの科学的サポートといった先進的サービス産業の進出がインドでみられました。実際、インドはヒンドゥー教の数学の伝統と関連ある固有の技術的、科学的な知識をもっており、これらの産業の進出を後押ししました。

ソフトウェアなどの無形産業においてもインドが高い地位を獲得することができたのも、インドの独自の意思決定の賜物です。
インドの最大の企業家王朝である、タタ一族が、バンガロールにトップレベルの科学センター「インド理大学院(IIS)」を建設します。さらに、インド政府はバンガロールという北方国境からかなり離れた地域に、国の防衛に潜在的な影響を耐えるハイテク産業が集中するような政策を打ちます。
さらに、アメリカで事業を起こしていたピトローグが、バンガロールで「ベル研究所」という、イノベーションセンターを設立しました。
この背景のもと、インドのバンガロールは、世界トップレベルのIT分野の集積地になりました。

インドの現在の状況は、長年にわたる企業家的行動によって特徴づけられます。例えば、インド最大の民間企業であるタタ・グループは、極めて多角的なグループを作り上げました。それは、銀行、航空輸送、自動車生産といった分野に進出をしていました。この大企業は、インドの歴史と大きく結びついています。
非関連分野の多角化は、インド経済と他の新興工業国(NICS)に共通した特徴です。この多角化の理由として、経済発展の初期の段階では、限られた国内市場のため規模の経済性を十分に利用できないためです。このような企業が限界を超えるため方法が、国際的な舞台に参入するという方法でした。これらにはミタル社【鉄鋼の世界的なリーダー)やノヴェリス社(アルミの世界的メーカー)が挙げられます。

また、インドの企業家には、強い道徳的特徴という大きな特徴があります。
例えば、ごく初期の段階からタタグループの経営者は、従業員の子供を援助するような利益共有制度を構築しましたをような活動をとっていました。
石油化学の企業家のムケシュ・アンバ二にも、資本主義には「魂」が必要だと主張しており、彼は代替可能なエネルギーの探索行っています。
この或る種の社会企業家的精神は、インド経済に本来備わっている性質であるかのように思えます。例えば、一台あたり70ユーロでコンピュータを提供するラジェス・ジェインが経営するノヴァティウム社や、救急車のコールシステムを運用するラマリガ・ラジュが設立したNPOなどが挙げられます。

このような環境下で、市民サービスまでもが企業家によって担われています。しかし、インドはいまだに貧困、社会的不平等、環境汚染などの問題が滞在しています。しかし、このような企業家の活動をみると、第3の大国になることは時間の問題でしょう。

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