私の星

君はメタミューズという言葉を知っているだろうか。私の好きな某アイドルグループの名前で、これに込められた意味は「実像崇拝」だ。
10月24日、25日、A.B.C-Zのコンサートに行った私は、そこで改めて私のメタミューズを確認した。いや、私の星だ。
私の星と出会ったのは、戸塚祥太という1人のアイドルと出会ったのは、ちょうど5年前の年明けだった。たまたま姉に見せられた紹介シートで見た時。
「この人かっこいいじゃん!」
普遍的でひねりもない理由で私の推しは彼になった。15歳の私は初めてのコンサートで衝撃を受けた。これがA.B.C-Zなんだと。
私がアイドルを推すのに、1歩目を作ってくれた人。私は色んな媒体で戸塚さんを知っていった。中でも大きいのは『ジョーダンバッドが鳴いている』の書籍化だろう。これは戸塚さんが雑誌『ダヴィンチ』にて連載していたエッセイ集である。2018年に出された本は今までのエッセイを振り返る一言とおすすめの本を添えられたエッセイが綴られており、戸塚さんという人がどういう気持ちであの時過ごしていたのか、そこに至るまでどんな経緯を辿って行ったのかが記されている。小さい頃は超がつくほどの悪ガキでこれ以上やんちゃにならない為にスパイだと騙されてジャニーズに入り、挫折を知るエピソードがある。幼き戸塚さんは上手くそのステージでバックダンサーを務められず、ジャニーズを辞める決心(この頃のジャニーズJr.は完全契約性ではなかったので、たった電話1本で仕事が入ったりする)するものの、このままではいけないと再度挑戦する話が書かれている。
その後、A.B.Cというグループに選抜され、最終的にA.B.C-Zとしてデビューするが、その道は険しいものだった。ジャニーズ初のDVDデビューを果たし、毎年公演を行い、音楽活動をしてきたが、他のグループに比べて奮わなかった。
多くの後輩が、先に大きなステージに立って行った。A.B.C-Z好きなんですと言っても、A.B.C-Zって誰?と言われる。それでもメンバーは誰も腐らず、演技も歌もダンスも、名前の由来になったアクロバットも手を抜かなかった。お客さんの前で見せるパフォーマンスには、一切の妥協はしなかった。そして、各々が常に努力し続けた。私が出会った2017年、あんなに知名度の低かったA.B.C-Zは5年間でこんなに大きくなった。各地方での番組出演。レギュラー番組の出演。色んな番組への出演。誠実な対応から地方の方から愛されるグループとなった。
今年から始まった公式Twitterも好評で色んなファンが交流を楽しんでいる。
そして10周年を迎え、ゆかりのある地域から首都まで全国ツアーを行った。
メンバーのコロナ感染による欠席、台風の影響による中止など、完全成功とは言えないかもしれないが、10周年を祝うには最高のコンサートだった。
さて、戸塚さんに話を戻そう。戸塚さんは作詞作曲を手がける。その詩はなんとも言えないカラーを持っていてまさに戸塚節と言うべきか。
未音源の楽曲もあるが、今回は音源化された曲を少し紹介しようと思う。
まずは記念すべき1作目。〈ドラマ〉。
《「どうせ僕なんて まぁ」
ハート鈍っていて 眼差しは鈍ってる》
ネガティブな歌詞から始まるが、決して暗くない。その後、自分を鼓舞するような歌詞が続き、ラスサビに行く前、こう言う。
《磔にしてた 好きの炎 身にまとい戦うよ》
《「どうせ僕なんて まぁ」なんて言えない 星の眩さが照らすから》  
大切なものを見つけた言葉。照らしてくる星の眩さがスポットライトになるのだ。
私はこの曲に死ぬほど惚れ込んだ。
次に出されたのが『V』これは暗にメンバーに対して宛てた曲だと思っている。
《出来ない事ありすぎて涙
隣の人は今日ですぐクリア
同じように追い抜いていけたのに
けど君は僕と共に飛んだ》
自分は不器用だ、という戸塚さんの率直な歌詞。不器用な自分の為に一緒に飛んでくれる仲間たちを想う歌詞だと思う。
《手を繋いでいてよずっと
大喝采浴びたくて
華やかすぎる舞台(ステージ)の上
華やかじゃない位置についた
笑って泣いたね
あれは僕等の希望》
まさにA.B.C-Zを体現したような歌詞だと思う。
ソロ曲なのに、5を表すVのように5人でいることを歌う。華やかな位置についても手を繋いでいてね、と彼は言う。ずっと一緒だと。
私はこの曲も当然惚れ込んだ。
3曲目の『Dolphin』は5周年の年の曲だった。
5周年を意識した曲だが、印象的なのは歌詞の中でにある台詞だ。
《“意志の輝きってのは決して消えることはないんだな 一人一人に与えられた運命や宿命に近いのかもしれない 絶体絶命の夢を見たって ボーイズビーアンビシャスじゃなくたって 振り返らず 急ぎ足にならず ただ愚かに今を燃やしていく 深く息を吸い込んだら 思い切り潜るんだ
海底のそのまた底にある自分の意志を引きずり出す為に”》
刹那を生きる我々に呼びかけるメッセージは熱くて、血が滾ったのを覚えている。まだ精神疾患になる前でさえ、この曲は救いになってくれたのだ。
そして、今回の新曲『星が光っていると思っていた』に続く。実はこの歌詞はいくつかの記事で取り上げている。
率直に聞いて、私は衝撃を覚えた。繰り返し繰り返し聞いてもっと衝撃を覚えた。
今の自分に、めちゃくちゃ刺さるからである。
え?何?私の近況知ってる?ってくらい刺さった。推し贔屓じゃなくてマジで。
いきなり私の近況になるが、私は最近メンタルの調子が悪かった。少しのことで急降下急上昇を繰り返し、苦しんでいた。創作活動が上手くいかないのもあって、辛くてしかたなかった。PENTAGONのコンサートを見て、決意を新たにしたことがある。
「私も誰かに歌を届ける仕事がしたい」
そうして、もう自傷しない!と宣言した、のだが。ここ数日、強いストレスに晒され、急激なメンタルの変化に耐えられず、反動により包丁で手首を切ったり(大惨事になるかと思ったが全然切れなかった)水筒で手首を痛めて痣を作ったりと自傷行為に拍車がかかった。
そして、その自傷行為はよりにもよって、A.B.C-Zのコンサートにいく2日前に2連続で起こった事なのであった。
私の糧は、『星が光っていた』のセリフ部分を聞くことだった。これを見る為に行くんだと言っても過言ではなかった。
そしていざコンサートになって、実際に『星が光っていると思っていた』を聞いた。
凄まじい熱量だった。スーツで弾くギターはかっこよかった。巻いたバンダナがかっこよかった。
いよいよセリフの箇所。聞いていくうちに感情は高まっていく。
《君が怯えることなく暮らせるといいな》
《転んだ時、「頑張れ」って言ってくれる人が君のそばにいるといいな》
ここで涙が溢れ出した。
《君が 君を笑えるといいな》
《君が 君を許せるといいな》
《君が君を乱暴に扱うことなく》
《君が 君を 一番大切にできるといいな》
そして終盤のこの言葉が胸に、心に突き刺さる。
《死ねって言葉の意味が死ねじゃなかったらいいな》
その言葉で、涙がとめどなく流れた。コンサートでこんなに泣いたのは初めてだった。
死ねって言葉の意味が死ねじゃなかったら、どれだけいいだろう。私はどれだけ救われるだろう。戸塚さんの少し掠れた声に〈生きろ!〉と叫ばれて、心は揺さぶられた。
戸塚さんは突拍子もない行動で話題になるものの、その人柄は多くの後輩を魅了する人だ。
A.B.C-ZはいつもバックについてくれるジャニーズJr.に見せ場を作ってくれる。別に自分たちの映像を適当に流してればいいのに、わざわざ1曲できる尺を確保してくれるのだ。下手したらJr.にファンを取られる可能性だってあるのに、必ず見せ場を作る。それは自分たちがデビューまでに死ぬほど苦労したからこそ例えファンが浮気しようとも見せ場を作るのだ。逆にJr.目当てに来たファンを自分たちのものにしてしまったりもする。
A.B.C-Zは優しすぎる。でもそこが好きなのだ。
いつでも辛かった時、傍に寄り添ってくれたのはA.B.C-Zの歌だった。
どん底は終わりじゃない始まりだと歌うアイドルは、これほど1人の精神疾患者を救っているのだ。そして、私の憧れでもある。
多くの人の支えになるアーティストになりたい。
戸塚祥太という人に会って5年。1度も後悔したことなんかなかった。戸塚さんが企画でマジでカレー作って緊張が解けてガチ寝坊して放送すっぽかした時に心配したくらいで、基本心配することもない。
おおげさだが、私の「実像崇拝」は戸塚さんなのだと思う。優しくて強くて、かっこいい人。
人間として憧れる人。私の神様。
これからも、私の心の支えでいてください。
私より幸せになってね。私も頑張るけど。
あぁ、あの灯りは貴方だったんだ。私はバカだなぁ。ずっと、星が光ってるんだと思っていた。

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