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新作映画『シャン・チー/テン・リングスの伝説』レビュー

イーグルスが1976年にリリースした同名アルバムに収録されている"ホテル・カリフォルニア"。

非白人がアメリカで周りと打ち解けるきっかけ作りにはうってつけの名曲だ。それだけアメリカの社会や文化に浸透し、かつ世界的にも知られている有名曲。それがまさか2021年に、マーベルの新作映画で引用されるとは。イーグルスは永久不滅だ。今夜はこの名曲を聴きながら、映画のしあわせな余韻に浸ることにしよう。


【ストーリー】

アメリカ・サンフランシスコで暮らす普通の若者ショーン(シム・リウ)、親友のケイティ(オークワフィナ)と一緒にホテルの駐車場係として働きながら穏やかな日々を過ごしている。ある日バスの中で、片手が刃になっている大男レーザー・フィストと刺客6人から急襲を受ける。内に秘めた戦闘能力を発揮して危機を乗り越えるショーン。実は彼の本名はシャン・チーで、闇の世界で暗躍する組織テン・リングスのボスであるウェンウー(トニー・レオン)を父に持つ、決して普通ではない男だった。刺客らが父の仕向けたものだと睨んだシャン・チーは、妹にも危険が迫っていることを悟りマカオへと飛ぶ。

【レビュー】

カンフーアクションと、マーベルらしいVFXの融合。堅実でありながらファンタジー要素を盛り込んだアクション場面は見応えたっぷり。その中でトニー・レオンやミシェル・ヨーが、アジアを代表する名優として、作り物ではない唯一無二の美しい佇まいを見せる。これは時代の新旧が見事に溶け合った最高品質の娯楽映画だ。

まず主人公のキャラクター設定が、観客の共感を誘う。もちろん本当の姿は最強の戦士なのだが、サンフランシスコで平凡に暮らすショーンは、飲み屋で隣のテーブルにいそうなくらい親近感が湧くキャラクター。ホテルの駐車場係として真面目に働き、時には親友とハメを外して翌日仕事なのに徹夜でハメを外してしまうことも。大胆なことはしないけど、その日その時で楽しいことをしながら生きる我々と変わらない普通の人だ。親友のケイティも大胆に見えて、自分の能力をうまく発揮できず現状に満足してしまっているタイプ。やりたいことが見つからず、現状維持に走りがちな現代人像を投影したキャラクターだ。冒頭で十分なくらいこの2人に観客を共感させて、そこから壮大な冒険へと放り込んでいく。だから観客も、もしかしたら自分もヒーローになれるかもしれないという気持ちになれる。マーベル映画がここまで成長してきた秘訣は、この観客を取り込む語り口の巧さにあると言えるだろう。

そして、闇の組織のボスである父と、家族の物語が次第に明らかになっていく。子どもにとって1番乗り越えなくてはならない存在が自分の父親だ。父は心の中でそれを願いながらも、自らの地位を揺るがそうとする者は本能で徹底的に潰しにかかる。シャン・チーの父であるウェンウーは、テン・リングスを手に入れたことで一千年以上生きてきた不老不死の男だが、愛する妻と出会い心を入れ替えた。息子と娘のことも、心から愛していた。しかし妻がある事件で命を落としたことで、テン・リングスの魔力に再び取り憑かれてしまう。バラバラになってしまった家族、その崩壊と再建が本作の大きなテーマだ。

遂にマーベル映画に進出したトニー・レオン。悲しみと怒りを内に秘めた、主人公の前に最初に立ちはだかるヴィランである父親という存在を、人間臭く見事に演じている。そして、主人公を導く存在として登場するのがミシェル・ヨー。これまでのキャリアを踏まえて本作における勇姿を見ていると、自然と涙が出てくる。すでにアジアで比類なきスターであり国際的な知名度もあるが、アジア人の主要キャラクターとして自らのアイデンティティをそのままマーベル映画のような大舞台で誇りを持って演じられるというのは、やはり感慨深い。

冒頭の"ホテル・カリフォルニア"に話を戻すと、単にこの曲の偉大さを褒め称えているだけではないようにも思える。この曲で有名なフレーズに以下のようなものがある。

He said,“We haven't had that spirit here
since nineteen sixty nine”

訳すと"彼は「1969年以来、うちではそのお酒は置いてません」と言った"。このお酒を意味する spiritは、魂という意味でのスピリットにも取れる。"1969年以来、魂は失われた"。これについては諸説あるが、1969年に行われた2つの音楽コンサートが時代の明暗を表していると言われており、そのうちの暗であるオルタモント・フリーコンサートを指しているのではないかという説が根強い。オルタモントの悲劇とも呼ばれているが、コンサート会場で観客が殺害されるという事件が起こったのだ。ロックンロールが当時の暗いアメリカで若者たちの希望であったにも関わらず、夢が打ち砕かれた瞬間だった。アメリカに住む非白人が、周りに受け入れてもらうためのきっかけになるのが"ホテル・カリフォルニア"だというのは、なんとも皮肉めいている。もちろん映画でそういった政治的意図は全くないが、アジア系アメリカ人としての鋭い視点を感じずにはいられない。


最後は話が変わってしまったが、『シャン・チー/テン・リングスの伝説』は映画館でこそ観るべき超大作である。珠玉のアクションと、王道的なドラマ、そしてアジア系スターの活躍をぜひ大スクリーンで楽しもう。


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