わたしと文学部


 いまから思えば後悔するところがないのではないのだが、大学に入学するとき、進路や専攻をかなり適当に決めてしまった。

 ほかの記事でも触れたと思うが、東京の大学に進学することを親が許してくれなかったので受験勉強全般に対する意欲が下がっていたのだ。「関西の大学から、勉強しなくても点数が取れる英語と現代文だけでイケる学部をまず探して、そのなかでいちばん偏差値の高いところにしよう」と考えた、その結果、立命館に入学することにした。当時の立命館には英語200点、英語リスニング100点、現代文100点という点数配分の試験方式があって、これが私にとってはピッタリだった。

 この試験方式で進学できるのは文学部の英米文学専攻と国際関係学部のどちらか二択である。国際関係学部の方が偏差値が高いのでそちらに進学しようかなとも考えたが、私の両親は宗教学者に文化人類学者と根っからの人文系なアカデミシャンであり、息子も人文系を専攻することを望んでいた。「"国際"とか"グローバル"なんて頭文字が付いているところは実学や語学ばかりでまともな学問を教えないに決まっている」と言われたので「そういうものか」と思って文学部に進学することにした。もうひとつ、当時できたばっかりの映像学部も英語と国語だけの入試方式があったのでダメモトで受験したのだが、こちらの国語では現代文だけでなく古典の問題も出てきたために古典を勉強していなかった私はそこで落ちた。しかし、出来たばかりということもあって志望者が殺到したためにその年の映像学部の偏差値や倍率はかなり高く、それを後から知った母親に「映像学部に受かっていればよかったのにねえ」と言われた。勝手なものである。

 また、私が英米文学を専攻することにも両親は渋い顔をしていた。アメリカに育ってカリフォルニアとかニューヨークとかの大学に通った両親からすれば、日本の大学でイギリスやアメリカのことについて学ぶことは意味がなく無駄なことであるように思えたらしい。それよりも、日本文学を専攻してほしかったようである。そもそも両親が日本に来た理由は二人ともアジアの宗教や文化を研究しているからであるし、特に母親の方の専門は日本文化だ。息子が日本の大学で日本に関することを研究するのであれば、文句の付けようもない。それに、日本文学の方が研究者としても成功しやすくなる、という目論見もあったかもしれない。すくなくとも英米文学専攻のように留学は必要とされないし、「在日アメリカ人の日本文学研究者」というのもなんだかキャラが立っていて有利そうだ。

 しかし、私は大学の入学時点では研究に対する興味は全くなかった。「4年生になったら卒論を書くものだ」という知識は持っていたが、それだけである。たとえば「大学院」というものが存在していたり「修士」や「博士」が存在することも途中まで知らなかった(だから、入学してサークルに入ってみるとやたらと年齢の高い人が学生ヅラしてサークルに馴染んでいることに驚いたし、その人の「M2」という学年表記もなんのことやらさっぱりわからなかった)。

 また、「日本文学」というものに対してそもそも良い印象を抱いていなかった。村上春樹は好きだったし夏目漱石くらいなら高校生の頃から読んでいたが、ほかの作家たちについては近代の人たちにせよ現代の人たちにせよあまり興味を抱いていなかった。国語の教科書に出てくる作品を読んでも「情緒がヌメヌメしていて陰気で気持ち悪いなあ」と感じることが多かったし、全体的に日本の作家は性格が悪い人が多そうだと思っていた。

 一方で、アメリカ文学は好きだった。といっても村上春樹や太田光など日本の文化人のエッセイがまず好きで、彼らが紹介している作家たちにも興味を持った、という形になる。大学に入学した時点ではカート・ヴォネガットがいちばん好きな作家だったし、ジョン・アーヴィングについては当時は文庫化されていなかった『オウエンのために祈りを』や『サーカスの息子』も高校の図書館にリクエストして入荷してもらうくらいに熱心に読んでいた。そのほかにも村上春樹が訳していた作家はあらかた読んでいたし、背伸びしてドストエフスキーやツルゲーネフなどのロシア文学なども読んでいたことがある。いまから思えば、村上春樹ファンのティーンエイジャーとしてはかなり典型的な読書傾向であっただろう。

 ……自分の読書傾向についてさらにさかのぼると、小学生の高学年のときにはやみねかおるなどが書いていた青い鳥文庫のミステリーを好んで読んで、その影響で中学生になってからもアガサ・クリスティを読んだり様々な現代ミステリーを読んだりしていた。この頃から、日本人作家よりも海外作家を好んでいた。たとえば綾辻行人のような本格ミステリについては「トリックばかりにこだわって人間や物語を描くのを放棄している感じが気に食わないな」と思って嫌っていたし、宮部みゆきのような社会派ミステリについても「わざわざ人間の嫌な部分ばっかり強調してネチネチしていて性格が悪いな」と思って嫌っていた。よく思い出したら海外のミステリ作品にも嫌な部分はいっぱいあったはずなのだが、翻訳というフィルターが通されることで文章と自分との間に距離ができて、作者の自意識や性格の悪さを直視しなくて済むことが好ましかったのだ。また、本格ミステリに見られる「自分たちのジャンルの作品はほかの小説のように人間や物語なんて描かなくてよくて、"トリック"という自分たちのジャンルの特徴だけを洗練させていくことにこだわり、それだけが評価されればいいんだ」という「開き直り」に志の低さが見られて、中学生ながらかなり不愉快に感じていた。だからいまでもミステリーやSFなどの「ジャンル小説」に良い気持ちは抱いていないし、それらのファンダムにも苦手意識がある。(とはいえ、中高生の頃から京極夏彦だけは好きだったし、いまから思えば漫画っぽくて現実味の薄いキャラクター描写に対しても「京極夏彦は凡百のミステリー作家と違って人間を描いている」などと思ったりしていたものだ。)

 とにかく、高校生になる頃には村上春樹も読んでドストエフスキーなどの「純文学」も読むような、典型的な文学青年になっていた。自分でも小説を書こうとしたりしていたし、「将来は作家になりたいなあ」とぼんやり思っていた。だから、「進学するなら文学部がいいかな」という気持ちも、最初からなくはなかったのだ。


 というわけで、立命館の英米文学専攻に進学したことは消極的で投げやりな選択肢ではあったのだが、一抹の期待も抱いていた。なにはともあれ文学部の文学専攻だ。高校生の頃は周りの友人は理系ばかりだったこともあり、小説や文学の話ができる相手は誰一人いなかった。そういう話ができる友人に出会えたり、なんなら同じ趣味を持つ女子と仲良くなったりできないかと期待していたのである。

 しかし、その期待はあっという間に打ち砕かれた。英米文学専攻の同級生のなかに文学に興味を持っている人はほとんどいなかったのである。彼らや彼女らの大半は英語やTOEICの勉強をするために進学していたのだ。一年生の頃からゼミのような科目があったのだが、そこの自己紹介のときに先生が「名前や出身と一緒に好きな小説も教えてね」と要望すると、半分以上の学生が「本は読まないので好きな小説はありません」とわざわざ挑発的に言う有様であった。ほかの場面でも、「英米文学概論」とか「英文学史」「米文学史」とかの必修の授業では授業中に誰もが喋っていて騒がしく学級崩壊のような状況になっていることが多かった。……かろうじて文学に興味を持つ学生もいなくはなったが、その大半は女子で、興味を持っている対象は外国の絵本であったり少女向けの児童文学であったりした。それが悪いと言うわけではないが、話は合わない。

 また、英米文学専攻で学べる内容も色々と期待はずれであった。まず、必修科目では文学ではない「英語」の割合が高過ぎる。もともと英語ができる身としては大学に入ってまでいまさら語学を勉強する意味が感じられなかった。文学作品を購読する授業も、文学に関する授業というよりかは英語の授業になっていた。その週の担当の学生たちが各自に宿題として作成してきた訳文と原典とをすり合わせる、という形式の授業ばっかりだったが、学生の大半にやる気がないので訳文の内容もめちゃくちゃだしそのために訳文の訂正に終始して授業の進度が遅くて原典の10分の1も進まないところで学期が終わるし、そんなので文学作品の内容やテーマに関する議論が行われるわけがない。

 こんな有様だから、先生たちからもモチベーションはほとんど感じられなかった。たまに不満げに「最近の学生は詩を読む意義を理解していない」とか「文学の価値を理解しない若者が増えすぎている」などと愚痴ったりはするのだが、だからと言って「詩を読む意義」や「文学の価値」をきちんと示してくれるわけではない。

 …私が受けていたある授業では、その年が定年の60代だか70代だかのおじいちゃんの教授が講師を担当していた。もごもごとした喋り方で何を言っているのかも聞き取りづらいような人だった。そして、この授業にはひときわ性質の悪い学生ばかりが集まっていて、小教室なのにみんなが雑談ばかりをしていて例のごとく学級崩壊となっていた。おじいちゃんの教授は顔を真っ赤にしたり涙目になったりして怒ることもあるのだが誰も聞いていないし、喋り方がもごもごしているから怒っている内容も聞き取れない。この授業に関しては「定年の最後の年で担当する授業がこの有様なのは、あまりに可哀想だな」と思って私はかなり真面目に受講して教授にも質問などをいっぱいしてあげてそのおかげで教授に気に入られてA+をもらえた。しかし、「教授が哀れだから真面目に授業を受講してあげる」というのも本末転倒だ。授業内容だって大して面白かったわけではないし、その授業から何かを得られたというわけでもない。

 こいうことが続いたおかげで、「文学を勉強する意味ってあるのか?」と私は深刻に悩むようになったのである。


 英米文学専攻は「文学ではなく英語を勉強したい」という学生が大半なおかげでとりわけひどかったが、サークルの知人の話を聞くと中国文学専攻や東洋史専攻も事情はあまり変わらなかったようである。人気がなくて受験者の少ない専攻であるから、内部進学や運動部推薦などで進学してきて大学での勉強へのモチベーションのないタイプの学生が穴埋めとして突っ込まれる、という状態であったようだ。

 文学部のなかでは日本文学専攻は良い環境であったようだ。文学に興味のある学生の大半は日本文学専攻に進学していたのである(わたしが所属してた文芸サークルも部員の多くは日本文学専攻であった)。文学部の掲示板を見てみると日本文学の自主ゼミが多くて、活発に勉強している雰囲気は外側にも伝わってきた。また学生からも人気があるカリスマ的な教授もちらほらといて、優秀な学部生はチューターである院生を通じて教授との関わりも濃厚であったようだ。

 サークルを通じて日本文学専攻の状況は間接的に聞こえてきたが、自分の専攻の環境のひどさとの落差から、彼らについては私はかなり僻んだり妬んだりした目で見ていた。「馴れ合い」している感じが反知性主義的で反文学的だとは思っていたし、文学作品の内容ではなく文学者に関するエピソードトークやおもしろトリビアの話ばっかりする彼らの振る舞いを「学問ごっこ」と見なして嫌悪したりもしていた。それでも、自分だってそういう環境に最初から所属していれば「文学を勉強する意味ってあるのか?」なんて疑問を抱かずに前向きで生産的に勉強できていただろう、とも考えてしまうのである。


 学問にせよ芸術にせよ、そのほかの文化的営みにせよ、それの価値や意義を疑うことなく感じ続けられるためには、コミュニケーションや集団的アイデンティティというものがどうしても必要になってくる。「誰がどう言おうと自分はこのことに価値や意義を見出しいているからやり続けるんだ」という態度を孤独に貫くことは学問においても芸術においても理想的であるだろうが、それを現実に実行できる人はそうそういない。研究者たちを観察していても、研究を通じてアカデミアに所属し続けることによって得られるコミュニケーションや帰属意識が研究を続けるモチベーションとなっている人はかなり多いようだ。「研究」そのものの価値や意義は頭で理解しているとしても、それだけで継続できるものではないのである。逆に、ある種の研究や芸術にあるとされる「価値」には、その研究や芸術によってコミュニケーションや集団的アイデンティティを得ている人たちがそれを継続するために擬似的に作り上げた面がある。研究や芸術の意義とは擬制的なものであり、それらに意義があると周囲や自分自身を説得して納得させることで、それらを継続することが可能になるのだ。ふと「これに意義や価値ってあるんだろうか?」と疑ってしまうと、その疑念を訂正してくれたり払拭してくれたりする指導者や仲間がいない限り、それを続けることは難しい。


 なので、わたしが抱いてしまった「文学を勉強する意味ってあるのか?」という疑念は卒業するまでついぞ払拭されなかったし、大学院は別のところに進学して別の領域の学問について勉強したり論文を書いたりすることになった。大学院の時に勉強した物事については、いまでもそれなりに価値や意義を感じられてはいる。しかし、大学院を通じても、諸々の事情で研究に関するコミュニケーションや研究をすることについての集団的アイデンティティやアカデミアへの帰属意識みたいなものは結局ほとんど得られなかった。もう自分にはどうせそういうものには縁がないのだと諦めてもいる。それでも、学問や芸術の意義や価値についてあまりに屈託なく語れる人たちに対する反感は今でも抱いているし、たとえば「人文学には役に立たなくても価値があるんだ」みたいなことを堂々と主張するような人たちに対する嫌悪感はこれからも消えることがないだろう(以前にはてなブログの方で書いた「人文学は何の役に立つのか?」という記事もそういう嫌悪感を出発点としたものだ)。


 文学について話を戻すと、大学1年生の後半から大学2年生の間が、人生でもっとも文学に触れていた時期だ。この時期は自分でもいっぱい小説を書いている時期であった。小説を書いている間はアンテナが鋭敏になって、作家たちが書いた文学作品のどこが優れているかということが普段よりも理解しやすくなるから、読んでいる時の充実感が段違いになるのだ。また、単純に彼女がいなくて片思いをしたりそのほかの人間関係にも色々と悩んだりと、人生においていちばん多感で繊細な時期だったということがある。そういうときには、物語の登場人物に対する感情移入もすごいことになるのだ。

 英米文学に関しては授業の課題として読むこともあったが、授業とは関係ないところでも英文学史や米文学史に載っている名作はなるべく読むようにしていた。そもそも授業では英語で読まされるので、古典が多いから英語も難しく、文章を理解する時点で苦労が多過ぎてその作品の良さや面白さを理解するところまでいかないのである。だから翻訳で勝手に読んだ。

 英文学に関していうとまずシェイクスピアは面白くない。まともな人間が戯曲なんて読んで面白いと思うはずがない。入門書や解説本を読んでテーマを聞かされたら「なるほどね」とは思うが本編はつまらない。日本人による『マクベス』の翻訳本の朗読会に行ったことはあるし、本場の英国の劇団が日本に来た際に『オセロー』を上映した際に鑑賞しにいったが、それらもつまらなかった。シェイクスピアを扱うゼミに入った同級生の中には話がうまい人間がいて「シェイクスピアの面白さ」をオーバーに語ってくれたが、それも作品自体の面白さというよりもトリビアや背景事情の知識に関する語りがメインで、そいつの話し方が胡散臭いこともあり聞けば聞くほどシェイクスピアとそれを研究している人たちに対する反感がつのった。そもそも本人がシェイクスピアの「作品」を面白いと思っている様子が見えなかったのだ。

 しかし英文学の古典小説には面白く読めたものが多い。当時は恋愛脳だったのでジェーン・オースティンの『高慢と偏見』は共感して読めたし、孤独感と被害者意識もいま以上に強かったのでメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』の怪物についても我が事のように感情移入して涙を流したりした。また、古典というよりかは近代寄りになるが、コンラッドの『闇の奥』は良かったしサマーセット・モームは特に気に入って『月と6ペンス』や『人間の絆』の他に数ある短編集もいっぱい読んだ。

 とはいえ、私が主に読んでいたのはアメリカ文学の方だ。しかし、古典となるとアメリカ文学はイギリス文学よりもつまらないものが多かったようがする。フェニモア・クーパーの『開拓者たち』もメルヴィルの『白鯨』もホーソーンの『緋文字』もきつかった。エドガー・アラン・ポーも言われるほど面白くはない。アメリカ文学の精神的代表作とされている『ハックルベリー・フィンの冒険』も、文学史の本で絶賛されているから期待して読み始めたのだが、風景描写や人物描写にはところどころ感慨を抱く点がありつつも全体としてはダラダラしていて読んでいてかなりキツかった。けっきょく「『ハックルベリー・フィンの冒険』のどういう点が重要とされていて、どういうところが後のアメリカ文学の作家たちに影響を与えたか」という知識を得るためのものとしてしか読む価値がなかったように思える。また、3年生のゼミでは『若草物語』や『アラバマ物語』など女性作家が書いた児童文学を集中的に読んだが、まあこれらもさして面白くはない(『若草物語』はキャラクターの描き分けは上手いなとは思ったりしたが)。ヘミングウェイも淡々とし過ぎていてつまらなかった。ジャック・ロンドンはそれなりに面白いが底が浅く感じられた。スコット・フィッツジェラルドは村上春樹の翻訳を通じて大学入学前から親しんでいたし、大学入学後にはその良さが一段とわかった(サリンジャーについても同様の感想)。フォークナーはどの作品も難しくて苦痛だったが、スタインベックはわかりやすくて好きだった。

 ……しかし、書いていて思い出したが、自分の専攻の対象となるとその読み方は不純なものになる。「米文学史」の授業やその教科書に載っている作品の中から特に重要な作品を選んで読んでいくのだが、「卒論では誰を扱おうか」ということを頭の片隅に入れながら読む部分もあったし、かろうじて英米文学の話ができる同級生やサークルの部員とのコミュニケーションやマウントのために読んでいるフシもあった気がする。特に近代以降のアメリカ文学は文学史においても「女性作家」「ユダヤ系作家」「黒人作家」などのカテゴライズが強調されており、研究者たちの研究対象もそれらのカテゴライズに基づいていたりするのだが、そういう情報を先に仕入れてから読みだすこと自体がそもそも非文学的な行為である。

 学部時代の終盤になると文学作品について書かれた論文や批評なども読むようになって、日本語で書かれたアメリカ文学の論文集をAmazonでざっと調べて、大学の図書館に入荷されていないものはリクエストを出して入荷させたりしていた。しかしそれらの大量の論文集を読んだところで文学研究のやり方はついぞわからなかった。けっきょく卒論ではコーマーック・マッカーシーという現代作家を扱ったのだが、研究のやり方がわからないのだから内容もひどいものである。現代作家なので日本語による論文も書かれておらず、これについても英語の論文集を大学の図書館に入荷させたが、論文を読んでも内容がさっぱりわからなかった。

 日本文学に関しては、サークルの先輩から紹介されたり部室にOBが残していった作家の作品を数多く読んだ。島崎藤村の『春』や高村光太郎の『智恵子抄』を読んで泣いたりもしたし、高校生時代にはわからなかった夏目漱石の良さが改めてわかったし、芥川龍之介や太宰治や室生犀星や志賀直哉や武者小路実篤なんかの作品を楽しんで読んだりした。泉鏡花や森鴎外や中島敦など、気に入らない作家もけっこういたが。小島信夫など、古典とは言わないが前時代にあたるマイナーな作家の作品に触れられたのもよかった。日本文学や英米文学以外ではカフカとドストエフスキーはほぼ全作品読んだし、スタンダールやユゴーなどのフランス文学も好きだった思い出がある。

 しかし、大学3年生になって「このまま小説ばっかり読んでいたら卒業も危ういな」と気付いて、徐々に小説を読む数を減らして授業で単位を取るための勉強の時間を増やしていった。また、この時点で既に文学を研究することに対するモチベーションは下がっていたので、必修科目以外では倫理学や歴史学や経済学や心理学や人類学など他専攻の授業ばかり取っていた。これらの科目はめっぽう面白かったし、この時に勉強した内容は大学院に進学した後やブログを書く際にも役立っている。そして、他分野の勉強が面白くなるにつれて、文学を勉強することの面白さはさらに低下していった。低下していったままその後も回復することなく今に至る。いまでも歴史や心理学や経済や哲学に関する本は洋書も含めて定期的に読んでいるが、文学に関する本はとんと読めなくなっている。折に触れて読み返す村上春樹を除いては、小説を読み始めてもすぐに苦痛になって読み進めなくなってしまう。もちろん自分で小説を書くこともできない。大学生時代の前半にあれだけ小説を読んだり書いたりしたことがウソのようだ。まがりなりとも文学の勉強にかけた時間も全て無駄のように思える。たとえば映画を見ていて登場人物の会話やたとえ話として『ハックルベリー・フィンの冒険』が出てくると「おっ」となるがそれだけだし、「おっ」となってもならなくても映画の面白さには変わりがないのだ。やっぱり大学に入学した際に進路や専攻を適当に決めるべきではなかった気がするが、入学時点では「文学を勉強したい」という気持ちはあったはずだから真面目に決めたところで同じ選択をしていたかもしれない。

 

 いつものようにオチも教訓もないエッセイになってしまったが……あえて言うなら、私のように専攻の選択を間違えてそれを勉強する意味を感じられないまま虚しい思いを抱えて卒業する学生は他にもごまんといるだろう、ということだ。

 だいたい、高校3年生の時点で「自分はどの学問を勉強するべきか」ということが適切に判断できる人の方が珍しいのである。教師や学校のOBに相談して適切なアドバイスがもらえる高校に通っている人もあるかもしれないし、文化資本に優れた家柄の人であれば親や親戚に相談することもできるだろう。しかし、大半の人はそうではないのだ。

 ネットでは「スタート地点から適切な選択ができてそのあともルートから外れることがなく万事うまくいって成功した人」の話ばっかりが目立ってしまうが、大半の人はそんなことはない。スタート地点から間違っていて、そのままズルズルダラダラと間違ったルートで生き続けてしまう人も多いものだ。なので、自分がそうなったとしても上を見上げて気に病む必要はない。目立たないだけで、世の中には自分よりもさらに間違ってどうしようもない生き方をしている人がいっぱいいるはずだから。それが私からのアドバイスだ。


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