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泡沫と衝動


“There is no such thing as, what if”




人間、三代欲求だけに依存して生きることが一番楽だ。
でもそれだけじゃ、生きていけない。
108の煩悩が毎日を豊かにするし、自分を人間たらしめる。


さて、僕は一度満足すると煩悩が欠落する。
三代欲求を中心にして円を描いていた煩悩たちは、まるで身の危険を感じて逃げ惑う小鳩達のように散々する。



そして、僕は“暇”を名目に煩悩たちの回収に走る。
他人との差異は僕に焦燥感をもたらす。
だからなんとしてでも僕は煩悩をかき集めて、マジョリティを演出しなければならない。


マジョリティの中の僕は完璧だ。
異分子という異分子を排除し、自我を制御する。
感情のon/offはもちろん、流れる人の波に飲まれ、疲労感さえも僕が掌握する。

ないものからあるものを作る。
他人の模倣をこなす。
そして僕は誰からも疎まれず、仰がれもしない。

恍惚だ。


そろそろ話を元に戻そう。
煩悩なしに演出できるなら、どうして煩悩集めに走るのか。

端的に言おう。

満足をするためだ。


僕だって人間だ。満足だってしたい。
たとえ、その先に破滅があったとしても。

“もしも”なんて存在しない。
破滅して、醜悪さを曝け出して、いなくなる。
僕の理想。僕の本能。
僕の満足の終着点。

この本能は泡沫のようなものだ。
破滅にむかうのはやっぱり怖くて、臆してしまう。
でも、そうなりたい衝動だけが何度も何度も僕を襲う。


そうやって僕は叶わぬ願いを望むことに疲れて、煩悩を捨て去ろうとする。
いっそのことなら植物になりたいと思う。

でもまたそのうち満足を求めるようになる。


煽動者である僕に惑わされるあいつらは浅はかだ。


でもきっと一番浅はかで、虐げられるのを望んでいるのは僕だ。


きっと明日も満足することはできない。
わかっているのに、わかりたくない。


トランキライザー、按摩、Le Rouge et le Noir。

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