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教育係の先輩社員に「君にはこの仕事を続けて欲しくない」と言われた話

今の会社に入社して約9ヶ月。現在、私は研修生のバッジを胸に付け、先輩社員に付く形でその指導の下、業務にあたっている。

街中に少しずつ年末の喧騒が聞こえ始めた頃、私の教育係である先輩社員は昨晩に旧友と飲みに行った事を話してくれた。

「昔の友人と飲んでて、その時甲斐くん(私)の話もしてたんだけど」

私を知る人と私と面識のない人とで交わされる会話の中で自分が話題に上がるというのは何となく落ち着かないが嬉しく思う事柄の一つだ。

「その時もその友達に話してたんだけど、」と区切り一呼吸置き、そして「いい意味で、だよ。」と前置きをする。「いい意味でなんだけど」とやけに意味深な前置きを繰り返す。「甲斐くんには(この仕事を)長く続けて欲しくないと思う。」

二度の前置きが無ければ私はかなり落ち込んでいたことだろう。

「甲斐くんは色んな経験をしてるし、できればもっと良い所で働く機会があったらな、と思う。」と先輩は続けた。

私の教育係を担うこの先輩社員はありがたい事に以前より私の経験や能力を高く評価してくれていた。先輩は長くこの会社に勤めて、良い所ばかりでない部分も見てきたのだろう、心を病んで退職していく同僚を見送ってきたのだろう。私がこの会社で働くことを「もったいない」と考えたようだった。

この言葉は私に衝撃を与えなかったし、心深くに突き刺さることもなかった。しかし、頭の中で反芻され、じわりじわりと沁み入るものがあった

この先輩は私を教育する為に通常業務をこなしつつ、私のフォローをし、丁寧に説明をし、私のミスをケアしてきた。私が退職するという事はその時間と労力が無駄になるということに他ならない。

ただでさえ人が足りない部署だ。私が辞めたりしたらそのしわ寄せは先輩や同僚にくることだろう。まして能力を評価しているのであれば、引き止めこそすれ、退職を促すことなんてできない。

それでも先輩は、自分の負担が軽減する事や会社としての利益よりも優先して「私の飛躍」を願ってくれた。

私の働く会社はちょっとブラック寄りだし、仕事はきつくてしんどいし、同僚も決して良い人ばかりではないし、びっくりするくらい給料は安い。

先輩の話を聞くより以前から転職という考えはあった。しかし、今はこの先輩に本当に一人前と認められるまでは仕事を続けようと思いを改めた。皮肉なことにそれは先輩の願いとは反するのかもしれないが。

教育係とペアでやっていた業務をもう一人でもやっていけると判断されることを我々は「ひとり立ち」と呼んでいる。

忙しない年の瀬を駆け抜け、数日後には新しい年を迎えようとしている。年が明け一月からは私は「ひとり立ち」しなければならない。本来ならばもう数ヶ月は先であるはずだった「ひとり立ち」だが、事情が変わり急遽早まった。不安はあるが新年の門出と共に「ひとり立ち」するというのは、考えてみればこれ以上ない最高のタイミングなのかもしれない。

繰り返すが、私の働く会社はちょっとブラック寄りだし、仕事はきつくてしんどいし、同僚も決して良い人ばかりではないし、びっくりするくらい給料は安い、しかしそれでも私はこの仕事に誇りを持ってお客様をお出迎えしたい。


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