執筆日:2023年12月07日(木)
更新日:2023年12月07日(木))
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裸の礼拝、裸の教会建築
教会建築を数多く設計された岩井要氏が1965年から約30年間で手掛けた作品を収めた著書『天と地をつなぐ空間-教会堂 : 岩井要・真建築設計事務所作品集1965-1995』(日本基督教団出版局, 1995.11)は、日本の教会建築の歴史を丁寧に紐解きながら、ご自身の教会建築に対する考え方を述べつつ、最後に今後の教会建築の在り方を示しています。日本の教会建築は、少子高齢化、信徒数の減少、建築費の高騰、老朽化や耐震問題が顕著に表れ、建替えの必要が迫られている教会を数多くあります。この様な状況の中、日本の教会建築、特にプロテスタント教会の建物では、たくさんの諸室を今までと同じように求めることの必要性に疑問を感じていました。過度な装飾のように、たくさんある部屋は、限り少ない予算の中で、多くの割合を占めてしまい、一番大切な礼拝堂の席数を小さくせざる負えない状況をつくりだし、本末転倒のような気がしていました。もちろん、尊敬する建築家奈良信氏が「総合的施設が伴ってこそ始めて教会」だと述べていることに反論はないのですが、平均の信徒数が20人程度の小さな教会がほとんどのプロテスタント教会では、もっと削ぎ落としていく必要があると思っています。奈良信氏に直接、教会建築で大切なことは何かを伺った際には、「礼拝堂とつながる集会室」の重要性を語られていたいの覚えています。確かに、礼拝が終わると、集会室に集まり、昼食祈祷会などの交わりのときをもつ教会が多くあります。
神学者であり日本基督教団隠退教師の加藤常昭氏が「教会堂とは、そもそもいいったい何なのであるか、どのように建てたらよいのかという問いは不可避である。私たちの福音宣教のわざに教会堂は不可欠のものであるのか。信じて生きる者にとって、礼拝堂はいかなる意味を持つのか。教会や教会堂の大小を問わず、これらの問いに対する答えをどうしても手に入れなければならない」と述べているように、前述した諸問題や、コロナ禍を経験した私たちは、これからの教会、教会建築をどのようにしていかなければならないのか、多様な人々と共に熟慮していく必要があります。
主な建築作品
日本基督教団 船橋教会 (1965年)
日本基督教団 新島教会 (1967年)
日本基督教団 松本教会 (1969年)
日本基督教団 旭川六条教会 (1974年)
日本基督教団 豊橋中部教会 (1976年)
日本基督教団 牛久教会 (1976年)
日本基督教団 越谷教会 (1977年)
日本基督教団 武蔵野緑教会 (1980年)
日本基督教団 目白教会 (1980年)
日本基督教団 山梨教会 (1981年)
日本基督教団 城西教会 (1982年)
日本基督教団 銀座教会 (1982年)
日本基督教団 富士見町教会 (1985年)
日本基督教団 三軒茶屋教会 (1985年)
日本基督教団 阿佐ヶ谷教会 (1986年)
日本基督教団 高崎教会 (1986年)
日本バプテスト連盟 常盤台バプテスト教会 (1988年)
日本基督教団 砧教会 (1989年)
日本基督教団 福井神明教会 (1990年)
日本基督教団 三崎町教会 (1992年)
日本基督教団 小田原教会 (1994年)
日本基督教団 京都丸太町教会 (1995年)
新島学園礼拝堂 (1988年)
東洋英和女学院礼拝堂(1991年)
和泉クラークホール (1992年)
東京YMCA山中湖センター (1983年)
東京YMCA 妙高高原ロッジ (1985年)
東京YMCA国際奉仕センター(1991年)
にじのいえ (1973年)
学生キリスト教友愛会 (1988年)
参考文献
真建築設計事務所, 佐藤建築写真事務所 著『天と地をつなぐ空間-教会堂 : 岩井要・真建築設計事務所作品集1965-1995』(日本基督教団出版局, 1995.11)
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都内の教会を自著『東京の名教会さんぽ』でご紹介しています。
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