楽翁公、すなわち松平定信がその非凡な人格と精神をいかに修養されたかということが、彼の自筆による記録「撥雲筆録」を基に述べられています。楽翁公は幼少期に大病を患い、治療を受けて回復しました。学問に勤しむ幼少期を送り、特に六歳の時に孝経を学び、八、九歳頃には記憶力や才能を褒められることが多かったと記されています。しかし、楽翁公自身は、周囲の褒め言葉を単なるお世辞とし、自身を謙遜しています。また、十歳頃からは名声を高めようと考え、さまざまな分野での努力を続けました。十一歳頃には詩や歌を作り、文学的な才能も示していたことが記されています。
楽翁公が六歳から学んだとされる「孝経」ですが、「四書五経」とともに藩校の教育の中心となる儒学の教科書の一つでした。
四書
大学(だいがく) - 個人の道徳的修養と社会的責任について述べた書。
中庸(ちゅうよう) - 道徳的なバランスと調和をテーマに扱っています。
論語(ろんご) - 孔子と彼の弟子たちの言行録で、儒教の基本的な教えが記されています。
孟子(もうし) - 孟子(メンシウス)の思想と教えが記された書で、人間の善性についての議論が中心です。
五経
詩経(しきょう) - 古代中国の詩が集められており、歌や礼儀、政治に関する内容が含まれます。
書経(しょきょう) - 古代中国の歴史書で、歴史的な文書や演説が収録されています。
礼記(れいき) - 礼儀や儀式、社会規範に関する教えを集めた書。
易経(えききょう) - 陰陽の原理や占いに関する書で、宇宙や人生の理を解説しています。
春秋(しゅんじゅう) - 春秋時代の魯国の年代記で、孔子による編纂とされています。
藩校の教科内容は、江戸幕府直轄の昌平坂学問所の影響を受けており、漢学である儒学、特に朱子学を中心としており、これに武芸を加え文武両道を教育理念としていました。従って、 藩校の教育の中心となる儒学の教科書は、主として「四書・五経」と「孝経」だったわけです。
このように中国から伝来した漢文は今で言う道徳・モラルを学ぶのに大変優れた書物ではありますが、楽翁公は六歳から「孝経」のほかに仮名も学び始めたとあります。要は大和言葉も学び始めたということですね。
話は飛びますが、上智大学名誉教授で専門の英語文法史のほかに日本文学にもお詳しい渡部昇一先生が「お雛さまのもととなる源氏物語と大和言葉」について面白いことをおっしゃっています。
ここでは平安の女流作家による日本文学は世界最高の文学であり、これを儒教・漢文が重用される江戸時代に自ら学び、広く大衆に広めたのは徳川家康公であったと言及されています。
本文の後半には、楽翁公は文学的才能も豊かで、「感情の強い性質」を持っておられ、「大層精神修養に力を尽くされ」たとあります。
本書のタイトルは「論語と算盤」ですが、教育に大切なものは「論語・算盤と情緒」だと思わされた今日この頃でした。