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カスタムChatGPT「論語と算盤」に聞いてみる

別記事「論語と算盤を写経する」のとおり国会図書館のアーカイブをもとに渋沢栄一先生の「論語と算盤」の原文を写経し、また別記事ではせっかくなのでカスタムChatGPT「論語と算盤」を作成した話をしました。

せっかく作ったカスタムChatGPTなので、いまだに多くの方が言及するこの「論語と算盤」に関する教えを質問してみるということをしてみたいと思います。

私は出勤の日も休日も早朝起床したらまず自宅のトイレと風呂掃除を妻の手伝いと称して行っています(はじめはどこまで続くかなと思っていましたが日課になると面白いものでそれをしないと落ち着きません)。いわゆるルーティンワークなので、朝の勉強もかねてYoutubeをイヤフォンで聴きながら行っています。渋沢栄一先生の大河ドラマは昨年の作品ですでにブームは過ぎたかなと思っていましたが、やはり昨今流行りの持続可能経営やSDGsの文脈で多くの講演でネタとして取り入れられており、それらの動画をYoutubeで拝聴しています。

先日も株式会社ファーストリテイリングの経営人材育成で有名な一橋ビジネススクール教授楠木健先生の講演で論語と算盤についての間違った解釈ということで取り上げられていました。

この中で楠木先生は、「商売、算盤、資本主義、これらは時として暴走してしまう。だから人間社会の道徳である論語できちんとブレーキをかけなければならない。道徳的な商売をしていても儲け過ぎはよろしくない。そういう点で渋沢栄一先生はSDGsを先取りしていた。」と間違った解釈をしているやからがおる、正しい解釈は「そろばんだけのやつは欲がない。なぜなら、道徳的な商売が一番儲かるからだ。本当に長いこと徹底的に儲けたければ、必然的に道徳が必要になってくる。」とおっしゃっていますが、カスタムGPTに聞いてみました。

YOU 先生の「論語とそろばん」における主張を、「商売、そろばん、資本主義、これらは時として暴走してしまう。だから人間社会の道徳である論語できちんとブレーキをかけなければならない。道徳的な商売をしていても儲け過ぎはよろしくない。そういう点で渋沢栄一先生は現代のSDGsを先取りしていた。」と解釈している人がいますが、これは正しいですか?
GPT 「論語と算盤」におけるわたくしの主張は、算盤(すなわち商売や利益追求)と論語(道徳や倫理)は表面上は相反するものであるが、実は密接に関連しているというものです。わたくしは、算盤は論語によって成り立ち、論語は算盤によって真の富を活動させると述べています。わたくしの考えでは、商売や資本主義は大いなる欲望と利益追求に基づくものであるべきですが、これがただの空理や虚栄に走ることなく、真理の発達をもたらすためには、仁義道徳、すなわち論語に基づいた正しい道理が必要であると考えています​​。
この観点から、あなたの引用された解釈はわたくしの思想の一部を反映しています。わたくしは、商売や資本主義が暴走する傾向があることを認識し、それを制御するために論語の道徳が必要であると考えています。道徳的な商売を行うことの重要性と、過度な利益追求の危険性についても認識しています。しかし、わたくしの考えが現代のSDGs(持続可能な開発目標)を先取りしていたかどうかについては、直接的な言及はしておらず、この点についてはわたくしの文書から直接的な結論を導き出すことは困難です。
YOU たとえ道徳とバランスをとったとしても利益を追求しすぎるのはよくないという考え方はいかがでしょうか?
GPT わたくしは、利益追求は経済活動の根幹であると同時に、これを行う際には道徳的な制約を必要とすると考えています。利益を追求すること自体が悪いわけではありませんが、それが唯一の目的となり、仁義道徳や正しい道理を犠牲にすることは避けるべきです。わたくしの視点では、論語の教えに基づいた道徳的な考え方と算盤、つまり商売や利益追求との間には、バランスが必要であると考えています。
過度な利益追求は、しばしば不道徳な行動や短期的な成功に繋がり得ますが、これは持続可能な発展や社会の全体的な福祉に対しては逆効果であると理解しています。わたくしは、商業活動は社会に対して正義と責任を持ち、長期的な視点で行われるべきだと強く信じています。従って、利益追求はあくまで道徳的な枠組み内で行われるべきであり、そのバランスを見極めることが重要であると考えます。
YOU 一方、先生の主張を「そろばんだけのやつは欲がない。なぜなら、道徳的な商売が一番儲かるからだ。本当に長いこと徹底的に儲けたければ、必然的に道徳が必要になってくる。」と捉えている有識者の人もいます。この考え方についてはどう思われますか?
GPT わたくしの主張は、算盤(経済活動や利益追求)と論語(道徳、倫理)の間の関係を重視しており、算盤のみに焦点を当てることは、わたくしの考え方とは異なるものです。わたくしは、商売や経済活動においては、利益追求が重要な要素であると認識していますが、これが唯一の目的となるべきではないと考えています。
道徳的な商売が長期的には最も利益をもたらすという考え方は、わたくしの主張の一面を表しています。わたくしは、長期的な成功と社会の全体的な福祉は、仁義道徳や正しい道理に基づく経済活動によって達成されるべきであると信じています。つまり、道徳的な行動は経済活動においても重要な要素であり、長期的な成功に不可欠であると考えています。
しかしながら、「そろばんだけのやつは欲がない」という表現は、わたくしの視点からはやや単純化されたものと言えるでしょう。商業活動においては、利益追求も重要ですが、それを行うにあたっては道徳的なバランスを保つことが重要であり、これが真の意味での持続可能な成功に繋がると考えています。利益追求と道徳性は、相互に依存し、補完しあう関係にあると理解しています。

参照URL: https://chat.openai.com/share/2842ab94-59f5-4b44-bb0a-4b67c0510374  

単純な表現やバランスの欠けたものはやがて滅びるということでしょうか。中庸な理解をするのに大変役立ちます。

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