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30年ぶりの高値におもう。時給800円だったころの話(4)

2000年前後の世の中の雰囲気は、世紀末を迎えて世界が終わるかと思ったら、何にも起こらなくてむしろ1000年に1度のイベントが終わった喪失感と、これから先、出口の見えない不況のなか終わりなき日常を生きねばならぬ閉塞感しかなかった。

僕のバイト先の家電量販店も、その頃できたばかりの価格コムが情報を素早く流すため、値下げ競争で体力が削られるばかりだった。

店の入っている商業施設も経営が傾き倒産するか、買収されるかといった噂が流れていた。

各テナントが利用できる食堂は、クソ安い飯しか食えない給料の店のバイトと社員しかいないので、辛気臭い話しか聞こえてこない。

その頃は牛丼が280円、マックのハンバーガーが60円くらいで食えたので、社食も380円とかそんなもんだったと思う。

今はマックも随分高くなったなぁと思うけど、消費税も最低賃金も上がっているのだから、高くなって当然のことだと思う。高いラーメンに文句をたらたら言う日本人は、2000円払ってでも食べる外国人と比べたらなんともセコくてケチな客だ。

できればセコくてケチな客とは付き合いたくないものであるが、僕のバイト先は高かろう悪かろうという店で、よく客がキレていた。

今もWikipediaを見ると、労働環境が悪すぎるという噂が流れて潰れかけたと書かれていて、内容を見ると内部にいた人が書いたとしか思えない。

そんな店の電話はだいたいがクレームの電話なので、誰も取りたがらないし、キレる客を見分けてかわす術を身につけなければならない。

しかし、運悪く捕まってしまうときもある。

その日は残業がなく早く上がっていいと店長に言われたので、ウキウキとして店内を巡回していた。

お客さんが手招きしてるので、早く帰れる喜びからか

「はい!よろこんで!」と言わんばかりの愛想を振りまいて、駆け寄ってしまった。

「おい!いつまで待たせんだよ!店長呼べやぁぁああ」

もう誰がどこからどう見ても怒りマックスである。いつもなら注意深く観察して、地雷客にはお声がけいたしませんのに。

「お客様。いかがなされましたか?私が承りますが」その頃にはみようみまねで、なんとか接客業みたいな話し方ができるようにはなっていた。

「今日、入荷したから受け取りに来いっておきながら、商品がねぇんだとよぉ。もう1時間も待ってるぞ!おい!あいつだ。あいつ!」

お客さんが指をさす先にはレジ裏で深刻な表情でどこかに電話かける社員の畠さんの後ろ姿が見えた。

「畠さん。お客様が1時間待ってると言ってますが」と、小声で伝えた。

「今、必死で在庫探してて地下の倉庫にあるらしいから、すぐに取りに行ってくる。なんとか場を持たせて」と、言い残すと従業員口へとダッシュしていった。

「お客様。誠に申し訳ございません。ただいまお取り置きしておきましたお品が見つかりまして、取りに行っておりますので、もう少しだけお待ちいただけないでしょうか」

これでもかという申し訳なさそうな顔をして、頭を下げ続ける。

「あいつどうした!おめえじゃ話になんねぇから店長呼べやぁぁぁ」

どうしたらこんなに怒ることができるのか、よっぽどひどい対応をしたのか、この人の頭がおかしいのか……。

しかしながら、店長を呼びに行った方が店長に詰められるので、客に怒鳴られている方がまだましだ。なにせ社員に話しかけただけで怒鳴られるし、蹴りを入れられることもある。

永遠に怒り続けられる人はいない。必ず怒り疲れるので、とにかく頭を下げて怒りがおさまって来たところで、なんらかの打開策を講じるしかない。

「申し訳ございません!」を繰り返し、頭を下げる。

こういうときはHotelの高嶋政伸をイメージして頭を下げ続けるしかない。

その間も逐一、こちらに向かっている状況をお客さんに伝えて、何かやってる感を出す。

そこから15分ほどして商品がもうすぐ到着というころには、さすがに客も怒り疲れて大人しくなっていた。

「君、名前なんて言うの?」と、客は僕のネームプレートを見た。

「ひょっとしてバイトなの?」

社員はネームプレートに顔写真が入っているが、バイトは苗字だけの簡易な名札なので、明らかにバイトっぽい。

「君が1番まともに対応してくれたわ。バイトも大変だな」と、なぜか知らないけど同情してくれた。同情されるようなことをしてるのは、あんただけどなと心の中では思っていたけど。

畠さんが脇に小箱を抱えて走ってくるのが見えて、「やっと解放される」と、ホッとしたのであった。

「バイトに免じて許してやるわ。お前、このバイトに感謝しとけ」と、言葉を吐き捨てて店を去っていった。

「ありがとう。助かった」

畠さんは僕の方に手を置いて、感謝の言葉を述べてくれた。

この畠さんはその後、僕にとても良くしてくれて、Macを1台売ると5000円の報奨金がでる販促期間に、もうレジを打つだけのお客さんを僕にまわしてくれたりした。

「いいんですか?」と僕が聞くと、「責任者の俺が売っても報奨金でないし」と、笑っていた。

最初はちょっととっつき難くて、怖い社員だなと思っていたけど、事あるごとに僕を気にかけてくれて、とても頼りになった。

本当にどうしようもない人間性のやつもいるけど、大多数の人は本当は優しい。それなのに、どうしてこんなにバイトが3日で辞めるような店が作られるのだろう。

事情も知らない店員を捕まえて「店長を呼べ」と怒鳴る客もまた、バイトに大変だな、と優しく声をかけることもできるのだ。

会社は人を金を儲けるための道具としてこんなに酷く扱えて、客はこんなに偉そうで悪意に満ちているのだなぁと、思い知らされた。

それでも僕は、僕から買いたいといってくれたお客さんと、バイト先の人たちは僕に良くしてくれたという記憶の方が残っている。

バイトに行くのが嫌で嫌でしょうがなかったはずなのに。

不思議なものだ。



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