京都に住んでるのに知らなかったこと

「京都にはなぜ、たくさんの通り名があるのか」

実は答えは簡単です。



時は平安に遡ります。

尊い人々が住まう京都では、その需要に合わせて、いろいろな職人(京都に多い神社仏閣関係者も職人に含む)が住み着いた。貴族はもちろん高級志向であり、多くの職人の生活が支えられていた。


その後、仕事の効率化のため組織化が進んだのか、都市デザインの影響かはわかりませんが、

面白いことに、同じ職人同士は集まり、木屋町、麩屋町、・・・と、仕事が一目でわかるような集落ができていったそうです。


特に皇居などのお屋敷を中心に、職人たちの集落が密集し、その郊外に農作物を作る畑地などができたそうです。


時は移り、政治の中心が関東に移り、多くの職人は京を離れるか、職替えを余儀なくされました。


さらに戦後の経済成長がやってきます。工業化が進むわけですが、

職人たちが住まう中心部かというと、そうではなく。しかし工業化は畑地であった郊外で進んだそうです。

郊外で行われていた農業はさらに郊外、もはや山の麓付近で行われることになりました。


さて、大まかにまとめると、中心部から外部に向かって「職人」、「工場」、「農地」という構図になりました。

それからも、工業化にも負けず、職人の街として、京都は栄えることになりました。


中心部は、工業化するには、恵まれすぎた場所だったのかもしれません。

それとも、歴史には名の残っていない多くの職人達が、工業化反対の立役者になったのかもしれません。


それも今となってはわかりません。

わかるのは、京都は今でも多くの人に愛されているということでしょう・・・。



おわり

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