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-第1章-父親になりました

自分の子供が産まれることはとてもうれしいことですが、男は突然父親の自覚が芽生える感じではないです。母親はお腹に命を宿したその時から自覚が芽生えるのかもしれませんが、男は徐々に自覚が芽生えていくものだと思っています。私はそうでした。

産まれてきたわが子を目の前にして、感動し、妻には深く感謝の思いを抱きました。出産は本当に人生最大の大仕事だと思います。出産を乗り越えられたお母さんたち、すべての方を尊敬しています。

父親が出来ることといえば、出産までは妻をいたわり、心配事をなくしてあげて、子供が産声を上げるまでサポートに徹することだけです。

産まれてから、がお父さんのスタートラインですかね。私は不慣れながらも、全力で産まれてから歩き出すまでのすべての過程に携わりました。沐浴、粉ミルク、オムツ交換、地獄の寝かしつけ、赤ちゃんと出かける際の必要なアイテム準備、ベビーカーの仕事人。
ざっとですが、ほぼすべて通ってきました。

少し話は逸れますが、ベビーカーの仕事人っていう言い方ですが、ベビーカーを押しながら都内などの混雑するエリアで公共交通網を使って移動をされていた方にしか伝わらないかも知れません。
まず、ほぼエレベーターでの昇り降りなので、普段利用する駅や降車駅のエレベーター付近の車両は把握します。駅改札から地上までのエレベーターの場所も把握しなければなりません。行先のどこに赤ちゃん授乳室があるのかも。そしてそのすべての移動に伴い、ベビーカーをたたむ必要があればたたみ、また使える状態にするスピードも日々鍛錬されます。電車やバスでは一般の方の邪魔にならない場所にいなくてはなりません。このようなスキルが必要になるので仕事人という言い方をしました。慣れてはいきましたが、なかなかのハードワークでした。おまけに移動の最中に赤ちゃんが泣き出した時には全力で静かにさせるミッションもありますから。

ちなみに、赤ちゃんと生活する中、どうにも出来なかった私の欠点があります。夜に寝てしまうと赤ちゃんの泣き声で起きれませんでした。起きて手伝わなきゃという意識はあっても、どうにもそれだけは出来ませんでした泣。

このような、子供の赤ちゃん時代のお世話を通して、徐々に親であることの自覚が出てきたなぁと思います。

出来ないことや、慣れるまではひたすら謝っていました。赤ちゃんに滅私奉公して、なんて大変なんだって心は少し泣いてました。

私の心の声「オンギャー!(子育てキツイよ~大変だよ~っ!)」

私の父親の自覚の産声だったのかな。

                              だてんぐ

コロナ渦で実は無職となってしまいました(6月末で)色々悩んだ挙句、フリーランスとして開業の準備を進めています。色々なことに挑戦していき、子供たちを育て上げるために頑張っていきます。