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純粋さをつらぬく物語

時々「設定に無理がある」とかいう言葉を聞く。
度が過ぎるのはどうかと思うけど、フィクションなんだからそこ気にしても仕方ないような気がする。個人的には無理があるぐらいの設定の方がインパクトがあって好きなのだが。

通常と少しでも異なることがあれば人は違和感を感じて否定に走る。
フィクションに限らず現実世界ではあたりまえにそれが実行されている。


時代はそうやって作られてきた。
否定は何も生み出さない。
みんなどこかでそれをわかっている。
わかっているのに否定してしまう。
だから否定を打ち破る何かが時代を変えてきた。
そしてこれからも同じように時代は作られていく。


フィクションにリアリティを求める人は物語を批判をする。

映画「天気の子」は家出少年の物語である。
ここに違和感を感じてしまうと物語に没入できない。
「100%の雨女」設定や「東京はずっと雨」設定に違和感を持ってしまったら物語のテーマがかすんでしまう。

「天気の子」のテーマは「たとえ東京が二度と晴れなくても大事な人を救いたい」という少年の純粋な心にある。
あり得ないぐらい純粋なフィクションである。
間違いなく批判的な声があるはずの設定に純粋さをぶつけた新海監督のセンスに僕は痺れる。

同じ新海監督の「君の名は」も基本的には同じ作りだが都市が消える話と消えたはずの村が復活する話という大きな違いがある。
消えてしまう話は批判的な意見が多いだろうというのは想定できる。

実際、「天気の子」には批判的な意見も多い。
「君の名は」ですら批判的な意見が結構あった。
今年2020年に「天気の子」が公開されていたとしたとしたら状況的にもっと批判が多かっただろう。


うつむきがちなこのご時世に人が求めるのはわかりやすいハッピーエンド。善悪がはっきりしていてオセロのように黒を白に一気に塗り替える話。
そして新海監督もテーマとしていた純粋さ。

違和感を感じない設定で王道の純粋さを追求した物語

「だったらまだわかんないじゃないか!」
ルビッチ少年の叫び。
純粋な想い。

2020年の最後はやっぱりこの話で締めくくりたい。


個人的には新海監督にもこの映画の感想を聞いてみたい。




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